1935年北海道滝川市に生まれる
北海道学芸大学札幌分校(現北海道教育大学札幌校)卒
株式会社ミクニ舎 代表取締役社長
社団法人中空知地域職業訓練センター協会会長
昭和35年、 認定職業訓練所塗装科長を振り出しに共同職業訓練所所長、 認定職業訓練校長(34蔵) 、 謂練協会会長など民間訓練に45年間務める。
その間、北海道職業訓練審議会委員から呼称が変わった北海道職業能力開発審議会委員の職業訓練公職を22年間務める。
滝川市教育委員・教育委員長、 青年会議所理事長、 ロ ータリ ー クラプ会長、滝川市経営者協会会長、 テニス連盟会長、 音楽協会会長、 裁判所調停委員などを歴任、 (社)日本塗装工業会副会長を務め、 現在は北海道職業能力開発協会副会長、 滝川商工会議所副会頭
平成12年春黄綬褒章受章
国際ロータリー 第2510地区 2009-2010年度 ガバナー渡 邉 恭 久
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アルバム
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職人の町 滝川
ミクニ舎 本社
滝川駅風除室
ガバナー時代顔
滝川ロータリークラブ ガバナー時代
報告
わが町匠の系譜
民間が行う職業訓練ー徒弟制度から職業能力開発へ
愛情と熱意と感謝で綴られた
中空知、職業訓練の軌跡。
親方の家族の目から見た徒弟制度における技能伝承の姿、
戦後の空白を乗り越え、手探りで始まった民間技能訓練黎明期、
そして地域職業訓練センターの誘致に始まる
本格的な職業能力開発の歩み。
著者が体験し、携わった中空知の職業訓練の足跡が
中空知地域職業訓練センター創立20周年を記念して
ここに集大成された。
『当時、墨の絵の具は油煙を擂って作っていた。股の間に擂り鉢を挟み、一滴、また一滴
と水を加えながら、比重の軽い油煙が吹き飛ばないよう、水となじませながら擂り粉木で擂るという今期のいる作業である。この作業は、油煙が飛んで他の作業に影響しないよう作業場の片隅が使われた。注意深く作業していても時には油煙の粉が舞い上がり、あんちゃんの頬や鼻につき、それを手でこするため顔が真っ黒になることがあった。
薄暗い作業場の片隅で、真っ黒な顔で黙々と油煙を擂っていたあんちゃん。少しでも早く一人前になりたいとひたむきに頑張っていたその姿に技能習得の原点を感じる』
第一章 職人のいる風景 「家業は看板屋」より
愛情と熱意と感謝で綴られた
中空知、職業訓練の軌跡。
親方の家族の目から見た徒弟制度における技能伝承の姿、
戦後の空白を乗り越え、手探りで始まった民間技能訓練黎明期、
そして地域職業訓練センターの誘致に始まる
本格的な職業能力開発の歩み。
著者が体験し、携わった中空知の職業訓練の足跡が
中空知地域職業訓練センター創立20周年を記念して
ここに集大成された。
『当時、墨の絵の具は油煙を擂って作っていた。股の間に擂り鉢を挟み、一滴、また一滴
と水を加えながら、比重の軽い油煙が吹き飛ばないよう、水となじませながら擂り粉木で擂るという今期のいる作業である。この作業は、油煙が飛んで他の作業に影響しないよう作業場の片隅が使われた。注意深く作業していても時には油煙の粉が舞い上がり、あんちゃんの頬や鼻につき、それを手でこするため顔が真っ黒になることがあった。
薄暗い作業場の片隅で、真っ黒な顔で黙々と油煙を擂っていたあんちゃん。少しでも早く一人前になりたいとひたむきに頑張っていたその姿に技能習得の原点を感じる』
第一章 職人のいる風景 「家業は看板屋」より