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今日のお供え

中森浩子さんが2023年8月12日に投稿
ピーターが亡くなってから私の食生活は変わった。朝は決まってパンだったがもう大概ご飯だ。でも今日は命日なのでパンケーキを焼いた。
家族3人揃っていたとき日曜日の朝はパンケーキという習慣だった。メープルシロップは必ずアメリカの本物のシロップを買っていた。時にバナナやカボチャやブルーベリー等を入れて楽しんだ。一度「パンプキンパンケーキとブルーベリーパンケーキのどっちがいい?」と聞いた時「うーん、、、」と身悶えして悩んだ姿を思い出しておかしい。
今日のはヨーグルト米粉パンケーキに友人が庭のブルーベリーで作ったジャムをくれたのでそれをのせた。コーヒーは前夜仕込んだ水出しコーヒーだ。少ししてからそれを下げて食べた所自分でもびっくりするほど美味しい。私まだ少し進化してる?
あなたの遺影に向かって「美味しいね」と言って食べた。魂になったら食べる必要はないからお供えって本当に喜ぶのかしら?と時々思う。こちらの気持ちやエッセンスのようなものを受け取ると言う人もいる。でもこんなに美味しくできたらやっぱり生きてる時に食べて欲しかった。「ヒャッホウ!」とか言いながら喜んで食べてくれただろうに。あなたの声が聞こえないのは寂しいね。

いつも朗らかな人だった。ジョークを言うのが好きだった。でも大抵面白くなかった。いつも言って自分だけ笑っていた。働き者でいつも一生懸命だった。でもちょっとドジだった。自信に満ちているようで本当は怖がりだった。
頑丈な体で家族で一番元気だったのに。
どうしてあんなに原罪を恐れるようになったの。何故あそこまで自分を追い詰め自分の体にムチ打つような生活をしたの。
普通に家に帰って来てくれれば良かったのに。普通の人で良かったのに。特別に誰かに認められなくても家族が元気で楽しく過ごせたらそれで良かったじゃない。

思い出すと感謝の気持ちだったり可哀想に思ったり愚痴を言いたくなったり色々でごめんなさい。


5年目の命日

中森浩子さんが2023年8月12日に投稿
今年の夏は暑い。命日の今日は最高気温40度近くの予報の殺人的暑さだ。
あなたが逝った5年前も酷暑の夏だった。暑い日はそれを思い出してつらい。

ピーターが亡くなって教室を閉鎖する事になり生徒さん達とお別れ会をしていた時衝撃的な話を聞いた。あの酷暑の中、帰国する牧師の引っ越しの作業を引き受け、さらに大量に出た家具等の大きな不要品をゴミに出す為教室に持ってきて仕事の合間にベランダでノコギリで細かくする作業におわれ疲労困憊だったというのだ。先生は本当に大変でした、と言われたが普段人一倍元気な人が疲労して見えたのはよほどの状態だったと思う。あの時期のコンクリートのベランダは何十度だったろう。それにピーターは金曜日と日曜日は断食をしていた。仕事のスケジュールを考えると引っ越しを手伝えるような日はその両日以外にない。そんな無理をさせて、、それを終わらせ直後に青少年のキャンプに講師として出かけたのだが準備の為に睡眠も削っていた。酷暑の金曜日に出発、その日も断食。日曜日の早朝に倒れた時既に心臓も呼吸も止まっていた。病院に運ばれ検査をしても何も病気が見つからず「原因不詳」とされた。医者にそう説明された時「じゃ何で死んだんですか」という言葉が喉元まで出かかったが声を発することも出来なかった。あまりに突然で何を言われても飲み込めなかった。
しかし生徒さん達の証言を繋ぎ合わせるとこれは明らかに過労死だ。心臓が止まってしまうほど無理をしたのだ。牧師はピーターより年配だがいくらピーターが自分より若いと言っても断食をしている64歳のピーターに何故そこまでの重労働をさせたのだろう。何故自分の責任でゴミの処理くらいしなかったのだろう。ピーターの命はそんな事の為に削られるほど安いものだったのだろうか。
そうした事の直後に亡くなったというのに当の牧師から遺族の私達にはひとことの言葉もなかった。ありがとうもすみませんでしたもなかった。教会の人は死んで天国に行ったのだから何も心配ないと私に言った。
信仰って時には残酷だ。あなたはあの教会に行かなかったらこんなに早く死ぬことはなかった。そう言ったらあなたは怒るだろうか。信じていたものね。それともあの世に行ったらもっと色々な事が見えてそうだったね、と言うだろうか。

どう思っているのでしょうね。命日に他に書きたいことがあったのにあまりに暑いからこんな事を思い出してしまった。

時は止まっている

中森浩子さんが2022年8月12日に投稿
4年前の今日あなたの遺体に対面した時、「そんなはずはない。きっとまた会える!」という言葉が瞬時に頭の中を支配した。そうやって生きてきたが当然の事ながらいつまで待ってもあなたに会えることはない。遺影のあなたは相変わらずの笑顔でそこで時は止まっているのである。
その後の世の中は思いもよらない形で変わって来た。不安と恐怖を与えれば大多数の民を支配できるという仕組みが出来てしまった。あなたが色々とやりかけのまま突然逝ったことは今でも納得する理由は見つからないけどひとつだけ良かったと思うのはこのような世界を知らなくて済んだという事だ。教室の運営もままならなくなったことだろう。様々な規制にあなたはイライラし絶望したことだろう。
良かったね、、、知らなくて良かったね。肉体の痛みも不安もなくて良かったね。天国でのびのびと自由にやりたい事をしていますか?会いたい人に会えましたか?

今日のパンケーキは少し柔らか過ぎたかな。コーヒーは楽しめましたか。
私は毎日一人で食事をし、猫と庭の少しの野菜の世話をし、海にも久しぶりに一人で運転して行ってきたよ。もうあなたが運転してくれることはないものね。
釣りに行った時私が根掛かりしたり針が取れたりしたらあなたはすかさず自分の竿を私にくれて私は釣りを楽しみあなたはそばでずっと黙々と修理をしてて、それがいつも自然だったからそれがどんなに恵まれたことなのかあまり気にも止めずに通り過ぎてしまった。あなたのいない世間に放り出されて、もうこの世にはあなたのように親切で優しくしてくれる人間はいないのだということを思い知る日々を送っている。
あなたに幸せな老後を過ごさせてあげられなくて本当にごめんなさいね。一人になった私をどのように見ていますか。
命日の今日くらい、会いに来てくれればいいのに。

中森浩子さんが2021年8月12日に投稿
3回目の命日が来た。少し前からどうしよう、とオロオロしている。こういう時日本の風習は良いと思う。お坊さんを呼んでお経をあげてもらい、家族と親族でお茶でも飲みながら故人の話し等できれば何か少しでもした気になるし気持ちが落ち着いていくような気がする。
ピーターはクリスチャンだったのでお坊さんは呼べない。何もしてあげられない。

今年もある生徒さんがお花を送ってくださった。それを見るとしみじみありがたく、そしてしみじみ寂しい。慕われていたのにね。

今日はせめて好きなもの、、、そうね、きっと食べたかったパンケーキとコーヒーを供えるね。バナナとシナモン入れて。夜はジョンと食事をしながら話しをしよう。

言えなかった「ありがとう」

中森浩子さんが2020年8月21日に投稿
岐阜のキャンプへ立つ前夜、あなたはパソコンでそのための資料を作っていた。翌早朝の出発の為それを持って教室に帰るあなたをその日は見送りたいと思い私は待っていたのだが、その背中を見てるうちになぜかあなたに対する感謝の気持ちが泉のように湧いて来た。不思議なくらい全身が幸福感で満ち満ちて来た。今まで一生懸命働いてくれたこと、部屋をリフォームして音楽室にしてくれたこと、そうだ、あなたはもう本当に十分してくれたと私は言いたくなったのだ。でもあなたは画面を見つめたままだ。待っていられず「終わったの?」と声をかけると「ああ、、終わった・・・。」  と心の底から沁みでるような静かな穏やかな声でそう言った。これがあなたから聞いた最後の言葉になった。
この時あなたが少しでもこちらを向いたら私は心からお礼を言えただろう。しかしあなたは最後にネットでニュースをチェックしていて時計を見ると深夜を回っており、私は翌日年に一度の演奏会に出るため早く寝なければならず見送りを諦めて風呂に入ってしまった。浴槽に浸かっている時、深夜の為周囲に気遣い静かにカチャリとドアを閉めて出て行く音が聞こえた。
あなたは最後の旅立ちを家族に見送られることもなくひとりひっそりと行ってしまったのだった。
私はこの夜のことをどれほど後悔しただろう。なぜ自分の支度を優先して見送りをしなかったのだろう。最後にお礼が言えたなら、しばらく見せてなかったとびきりの笑顔で送り出していたら、せめて死ぬまでの2日間あなたはもっと幸せな気持ちで、あるいは安心して過ごせただろうに。死が覆らないのはわかっていてもせめてあの夜に5分でもいいから戻れたらと何度思ったことだろう。
でもこれを書いていて思い出した。生前私があなたを褒めたり感謝した時決まって「紙に書いて‼」と要求していたことを。それを部屋に張っていつも眺めていたかったんだよね。
だから私はここに書くね。いつも、いつでもこれを読んでね。
「ピーター、ずっと私達を支えてくれて本当にありがとう。最後に私の部屋を作ってくれ幸せをくれてありがとう。あなたはやれるだけの事をやったと思う。信じてくれてなかったかもしれないけどとても働き者だったこと、忍耐強かったこと、頼まれた事はすぐやる姿勢、人の為に自分の多少の犠牲は厭わなかったあなたのことは尊敬しています。でもちょっと急ぎ過ぎちゃったね。もっと話がしたかった。またきっと会おうね!」
Peter,thank you so much for everything.Thank you for supporting us all this time and giving  us happiness .I'm very happy that I finally could have my music room.Believe me,I respect you. You were working hard,being patient,you would help people right away if they ask,you wouldn't mind sacrifice yourself for the others. You have done enough.
But you were a little bit too hasty. I wanted to talk to you more. Let's see again !  Hiroko

とらちゃんもそちらに Tora left to follow you.

中森浩子さんが2020年8月15日に投稿
家に18年いたとらちゃんも5月にそちらに旅立ったよ。また抱っこしてあげてね。
とらちゃんもピーターのことよろしくね。
Tora our cat who lived with us for 18years  left to you this May. Please hold her again.
Tora,please take care of Peter.

仏壇はないけれど Peter at home

中森浩子さんが2020年8月15日に投稿
自宅でのピーターの遺影や遺骨をどうするか考えましたが、ちょうど教室で使っていた棚があったのでリビングの食卓から見える所におきました。遺影の前には生徒さんからいただいたお花や友人がくださったピーターが好きだったというフルーツキャンディー等が置いてあります。下の遺骨のそばには教室でずっと時を刻んでいた時計が。棚の上には彼がいつもかぶっていた帽子、昔アメリカで彼に似ているからと買ったカーミット君が歌を歌っています。時々好きだったコーヒーを供えています。

ピーターのお墓 Peter's grave

中森浩子さんが2020年8月14日に投稿
マサチューセッツ州ノースフィールドにあるお墓です。
広々として明るいですね。日本にもこのような場所があればいいなと思います。
Peter's grave at Northfield  Farms Cemetery in Northfield ,MA.

Peter, Peter, where are you?

中森浩子さんが2020年8月12日に投稿
ピーターが突然いなくなってしまってから 私は毎日 彼がどこでどうしているのか探していた 。
外へ出れば目に飛び込んでくる文字に彼からのメッセージのようなものがないか、あるいは通りがかった知らない人々の会話の中にピーターの言いたい事があるのではと耳をそばだてたりした。
ネットでも色々な事を検索した。「人は死なない」の著者の話も興味深かった。
そのうち見慣れない少年が出て来て何だろうと思いクリックするとLiberaという少年合唱団のTom  Cullyの歌だった。
https://youtu.be/lHZ1cuYSRh4
それを聴いた時に初めてピーターからのメッセージを感じて涙が流れた。
後でその歌詞は秋川雅史の「私のお墓の前で、、」の原文だと気づいたが、少年の声でというのがピーターらしかった。いつまでも心の中は純粋で繊細な少年のような人だった。
ピーター、ありがとうね。浩子

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