承継
夫ピーターワーナーが突然この世を去ってから2回目の夏を迎えました。
去年は何もできる状態ではなかったため、今年は何らかの形で追悼を行い皆様にもお会いしたいと思っていましたが、昨今の状況から集まる事が難しくなって思案していた所このサイトを知りました。まだ手探りで始めたばかりですが、今後少しずつ色々な思い出や写真等をアップしていきたいと思います。
皆様の中にあるピーターとの思い出やピーターへのメッセージをシェアしていただけたらとても嬉しく思います。         2020.08.08  中森 浩子
Please feel free to write your message to Peter or a memory of Peter.
We'd be very happy to share with you.
(Click the button right next to the pen icon to post message. You can write whatever you feel. Thank you.)

このメッセージは、 2024年7月4日に、岡田恭明さんが投稿
カバンを整理していたら,ピーター先生 お手製の名刺を見つけました。
もしかしたらと思い,「Peter Warner Teaher」で検索したら,この思い出サイトに辿り着きました。
2018年の夏,仕事の関係で教室でのお別れ会に参加できず,後日,閉鎖された教室のマンションまで行ったことを思い出します。時折,英会話に通ってみるかと考えてはみるものの,ピーター先生でないなら... と思い,手を止めてしまいます。ピーター先生は本当に最高でした。心から感謝しています。

家族の皆様,思い出サイトを作っていただき,ありがとうございました。
6年間のご様子を知れました。今年も暑い日々が続きますが,ご自愛ください。
時折,訪問させていただきます。
このメッセージは、 2020年8月18日に、 Keikoさんが投稿
私が初めてピーターさんにお会いしたのは、親しい友人である浩子さんが彼を婚約者として紹介してくださった時です。そのすらっとした長身と人懐っこいキラキラした瞳に魅せられたのを覚えています。その後私は海外に住むようになり、ご結婚なさったピーターさんと浩子さんにお会いする機会はそんなにありませんでしたが、それでも胸に焼き付いた忘れがたい思い出があります。
私の二人の娘がまだ小さかったある夏、私が久しぶりに帰国して茨城の実家に帰省していた時のことです。名古屋にお住いの浩子さんが会いに来ないかと誘ってくださったのです。その当時経済的にあまり余裕がなかった私は、とても茨城から名古屋までの交通費が出せなかったので、この次にしましょうと返答したところ、折り返し浩子さんからご連絡があり、ピーターさんが交通費を出してくださるとのこと、私は耳を疑いました。「めったに会えないあなたの親友なんだから」とご自分から申し出てくださったと聞かされ、思わず目頭が熱くなるのを覚えました。感謝の思いを胸に私が娘たちを連れて名古屋に飛んで行ったのは言うまでもありません。
私の名古屋滞在中も彼はずっとなごやかな笑顔でした。最後の夜、浩子さんは久しぶりに会った私と二人きりでの外食を計画してくれましたが、その当時まだ小さかったジョン君とうちの二人の娘のベビーシッターを買って出てくれたのはやはりピーターさんでした。私は出かける前、申し訳なくてどんなふうにお礼を言ったかすら覚えていません。私が覚えているのはただ「いってらっしゃい」という彼のまぶしい笑顔でした。その夜私たち二人が外食を終えて帰ってくると、玄関先でいちばん初めに耳にしたのはピーターさんと3人の子供たちの屈託のない笑い声です。4人はゲームをしながら私たちの帰りを待っていてくれたのです。
私のピーターさんとの最高の思い出はこの名古屋訪問でした。今でもまるで昨日のことのように思い出します。今ではもう成人した娘たちも、ピーターさんと過ごしたこのひと時をいまだに覚えていて、ことあるたびになつかしがります。
わずかな出会いの中に、何とたくさんの胸高鳴る思い出を残してくれたことでしょう。私はこのピーターさんの思い出を一生大切に心に閉まっておきます。そして、いつかどこかで彼に再会できたら、もう一度心からの「ありがとう」が言いたいです。 
地上での人生は短かったけれど、彼はダイアモンドのように輝く思い出を多くの人の胸に残してくれました。
ピーターさん、本当にありがとう!
このメッセージは、 2020年8月13日に、MyersonJoshuaさんが投稿
Peter,

I quite enjoyed getting to know you over the years here in Japan - hard working, professional, friendly, generous, and at times a little shy - at teaching workshops and over billiards. It was good spending time with you. Thank you.

You had great character and strong views. With them, you helped lead your communities.

It was a shock to hear that you had passed, but not surprising to hear that it was while helping your church. It would have been nice if you could have stayed with us a little longer, but things did not turn out that way and you have moved on. I am sure you are close to God.

                                      Be well my friend,

                                              Josh
このメッセージは、 2020年8月13日に、中森信福さんが投稿
皆さまへ

父ピーターへの追悼メッセージ、誠にありがとうございます。
もしよろしければ、このサイトの「思い出」というページもご覧ください。
ピーターとの思い出を共有する場所ですので、写真や動画・思い出コメントなどをシェアして頂けますと彼もきっと喜ぶと思います。よろしくお願い申し上げます。
このメッセージは、 2020年8月13日に、RomaniMichaelさんが投稿
I first met Peter in the summer of 1977. He and his family moved to Nagoya in 1991. My family and I moved nearby to my wife’s hometown about six months later. Our families got together two or three times a year. Unfortunately because of schedules etc. we met less often in recent years.

Peter was my friend and I miss him very much. He always had a huge, welcoming smile on his face, a grin and a laugh that were impossible to forget. He was passionate about his work, especially phonics. I wish we had another chance to shoot some eight-ball.
このメッセージは、 2020年8月12日に、KakoMayumiさんが投稿
Peter, how have you been doing up there? Are you finally in peace or still busy working hard on something?

I still give your phonics-based approach in my classroom and sometimes wonder where I’m going with it. We have a lot to catch up on. I miss you.
このメッセージは、 2020年8月12日に、ひきだ愛音さんが投稿
Hi, ピーターおじさん。元気?…って訊くのはおかしいですよね。でも、そう訊きたくなってしまうんです。だって私が挨拶するとき、ピーターおじさんはいつも笑っていたから。私が今時の小学生よりも拙い英語でなんとか話をしようとすると、おじさんは「Hee!hee!hee!」と甲高く笑って、でもそれはとても朗らかで暖かい笑いなんです。まるで部屋の電球が増えたかのように明るくしてくれました。私のなかのピーターさんは、いまでも明るいです。8月の太陽のように…。これからもその笑顔で照らし続けてください。忘れないよ。
このメッセージは、 2020年8月12日に、RocheBillさんが投稿
I worked with Peter in Los Angeles for several years. He was a person of intense honesty and integrity. After Peter and Hiroko moved to Nagoya, and since my wife is from Nagoya, we visited them every time we visited her family. This gave us a wonderful friendship with Peter and Hiroko and John as we visited them several times over 20 some years. It was a pleasure to see Peter start his school and watch it grow. His dedication to his students and teaching program was nothing but exceptional, professional, and a labor of love. He believed strongly in his approach to Japanese children learning English that he pursued informing the Japanese department of education of his system, believing it of value to the nation of Japan. He wanted so much for the people of Japan to benefit from a better system of teaching. The success of his teaching English to the youth of Japan was unequaled.
Peter loved his wife and son. He loved billiards and approached it with a deeply analytical and expert viewpoint. It was another example of how meticulous he was in everything he did. He was an avid reader, and loved history. He had a big heart, and lived his life in service of others. He is remembered as a very loving, caring, and serving person. A great man, motivated by truth and love. From my wife, Yumiko, and I, Bill Roche, we offer our sincerest warmest and affectionate loving memories of Peter.
このメッセージは、 2020年8月12日に、曵田宏さんが投稿
期せずして同い年の君だから親近感を感じていましたよ。
君の分まで精一杯に生き抜きます。何よりの供養だと信じているからです。
このメッセージは、 2020年8月11日に、中森信福さんが投稿
Peterのお墓について
去年ある方から「ピーター先生のお墓参りに行きたいので場所を教えてください」という連絡をいただきました。
ピーターの遺骨は2つの骨壺に入れて持ち帰りました。一つはビーターの姪のナターシャがこちらに取りに来てくれ、アメリカに渡り故郷マサチューセッツ州のノースフィールドにある墓地に埋葬されました。広々とした芝生が広がる大地と明るくどこまでも広がる空の下で父Rechardのお墓の隣にピーターの墓石があります。(冬は雪に埋もれてしまうそうですが)写真がアップできるようになったらご覧いただきたいのでもう少しお待ちくださいね。

もう一つの遺骨はまだ自宅にあり、ピーターの遺影を飾った棚の中に安置されています。
色々な経緯があり、まだどのようなかたちにするのか決めかねているのでしばらくはこのままにしておくつもりです。  8/11/2020 中森浩子

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2024年7月4日に、岡田恭明さんが投稿
カバンを整理していたら,ピーター先生 お手製の名刺を見つけました。
もしかしたらと思い,「Peter Warner Teaher」で検索したら,この思い出サイトに辿り着きました。
2018年の夏,仕事の関係で教室でのお別れ会に参加できず,後日,閉鎖された教室のマンションまで行ったことを思い出します。時折,英会話に通ってみるかと考えてはみるものの,ピーター先生でないなら... と思い,手を止めてしまいます。ピーター先生は本当に最高でした。心から感謝しています。

家族の皆様,思い出サイトを作っていただき,ありがとうございました。
6年間のご様子を知れました。今年も暑い日々が続きますが,ご自愛ください。
時折,訪問させていただきます。
このメッセージは、 2020年8月18日に、 Keikoさんが投稿
私が初めてピーターさんにお会いしたのは、親しい友人である浩子さんが彼を婚約者として紹介してくださった時です。そのすらっとした長身と人懐っこいキラキラした瞳に魅せられたのを覚えています。その後私は海外に住むようになり、ご結婚なさったピーターさんと浩子さんにお会いする機会はそんなにありませんでしたが、それでも胸に焼き付いた忘れがたい思い出があります。
私の二人の娘がまだ小さかったある夏、私が久しぶりに帰国して茨城の実家に帰省していた時のことです。名古屋にお住いの浩子さんが会いに来ないかと誘ってくださったのです。その当時経済的にあまり余裕がなかった私は、とても茨城から名古屋までの交通費が出せなかったので、この次にしましょうと返答したところ、折り返し浩子さんからご連絡があり、ピーターさんが交通費を出してくださるとのこと、私は耳を疑いました。「めったに会えないあなたの親友なんだから」とご自分から申し出てくださったと聞かされ、思わず目頭が熱くなるのを覚えました。感謝の思いを胸に私が娘たちを連れて名古屋に飛んで行ったのは言うまでもありません。
私の名古屋滞在中も彼はずっとなごやかな笑顔でした。最後の夜、浩子さんは久しぶりに会った私と二人きりでの外食を計画してくれましたが、その当時まだ小さかったジョン君とうちの二人の娘のベビーシッターを買って出てくれたのはやはりピーターさんでした。私は出かける前、申し訳なくてどんなふうにお礼を言ったかすら覚えていません。私が覚えているのはただ「いってらっしゃい」という彼のまぶしい笑顔でした。その夜私たち二人が外食を終えて帰ってくると、玄関先でいちばん初めに耳にしたのはピーターさんと3人の子供たちの屈託のない笑い声です。4人はゲームをしながら私たちの帰りを待っていてくれたのです。
私のピーターさんとの最高の思い出はこの名古屋訪問でした。今でもまるで昨日のことのように思い出します。今ではもう成人した娘たちも、ピーターさんと過ごしたこのひと時をいまだに覚えていて、ことあるたびになつかしがります。
わずかな出会いの中に、何とたくさんの胸高鳴る思い出を残してくれたことでしょう。私はこのピーターさんの思い出を一生大切に心に閉まっておきます。そして、いつかどこかで彼に再会できたら、もう一度心からの「ありがとう」が言いたいです。 
地上での人生は短かったけれど、彼はダイアモンドのように輝く思い出を多くの人の胸に残してくれました。
ピーターさん、本当にありがとう!
このメッセージは、 2020年8月13日に、MyersonJoshuaさんが投稿
Peter,

I quite enjoyed getting to know you over the years here in Japan - hard working, professional, friendly, generous, and at times a little shy - at teaching workshops and over billiards. It was good spending time with you. Thank you.

You had great character and strong views. With them, you helped lead your communities.

It was a shock to hear that you had passed, but not surprising to hear that it was while helping your church. It would have been nice if you could have stayed with us a little longer, but things did not turn out that way and you have moved on. I am sure you are close to God.

                                      Be well my friend,

                                              Josh
軌跡

経歴

Peter Fred Warner
 1953年11月15日 米国マサチューセッツ州アムハーストに父Richard Warner母Priscilla Warnerの第4子として生まれる。
1987年に日本人と結婚、1989年に一児をもうける。1991年に英会話教師としてカリフォルニアから名古屋に移住。以来最後まで英語教育に熱心に取り組んでいた。特に日本人の苦手な発音を身につける為のフォニックスのシステムを導入し、常に色々な教材を手作りしていた。フォニックスの教授法についても熱心に研究し日本各地でセミナーも開催していた。
明るい性格で子供からシニアの方まで一時多い時で月100人以上の生徒を指導していた。
晩年の7年ほどは敬虔なクリスチャンになり、教会活動にも熱心に参加するようになった。
岐阜県関市にて教会の青少年キャンプに参加していた8/12早朝に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
報告

選択

中森浩子さんが2026年8月16日に投稿
8月12日で8年目を迎えた。長いような短いような…時間の無い世界のあなたがどう感じているのかはわからない。気掛かりなのは肉体を離れたあなたがまだピーターとしての意識でいるのかどうかという事。
こちらは時間が流れているので常に変化している。先月孫は1歳を迎えた。私は春から新しい家に住んでいて驚きましたか? 

8年前のこの日はお盆の入りの日曜日。早朝に電話が鳴りあなたが突然倒れて意識も脈もなく岐阜の病院に搬送されているから来てほしいとのこと。まさに寝耳に水だ。たまたま徹夜で隣県に出かけていた息子に連絡して帰ってきてもらい車で出かけたが、案の定高速は渋滞で焦る気持ちとは裏腹にノロノロと車は進んでくれないのである。関市は遠い。
倒れてからどのくらい経っていたのか覚えていないが車内の私の携帯に病院から連絡が入った。
「ずっと心肺蘇生を試みていますが回復の見込みがありません。もう停止してもいいですか?」
というのだ。人生は選択の連続とは言うが、こんなこと突然私に決めろというの? 私がはい、と言ったらあなたの人生は終わってしまうのだ。
普通の道を走っていてあと15分で着くというのがわかっていたら「お願いです、もう少し待ってください」と言えたと思う。しかし高速の真ん中で渋滞、あと何時間かかるかわからない。病院がそう言うという事はもうダメなのかな…これ以上迷惑はかけられないのかな…と頭の中がぐるぐるして「ではやめてもいいです」と言ってしまった。
後日知人のひとりに「どうして待ってもらわなかったの、当然でしょ」と言われて言葉が返せなかった。別の知人には「心臓マッサージずっと続けていると内出血しそのうち肋骨も折れてダメなのよ」と言われた。そういえば到着した時あなたの胸のあたりだけ紫色になっていた。

あの時突然の出来事で混乱はしていたが、心のどこかであなたはとても強い意志でしかもわくわくしながら真っ直ぐに向こうに行こうとしているように感じ、そして私にそれを止めることは出来ないと感じていた。
それでも結局私のひと言であなたの人生を終わらせてしまった。せめて何でもう少し逝こうとしているあなたの命にすがろうとしなかったのだろう。冷たいと思われたかな…。8年経っても涙がどんどん出て来る。ひとしきり泣いたあと、ふと時計を見ると14:14の表示。
いーよ、いーよ、って言ってくれてる? 勝手かな。でも私が何か失敗した時もいつもあなたは優しかったよね。「It's O.K.」って笑顔で言ってくれたね。



白い馬の夢

中森浩子さんが2026年8月16日に投稿
あなたが亡くなってしばらく経った頃夢をみた。
私が近所の友人に届け物をするために玄関を出ようとするとあなたは車のキーをチャっと鳴らして「送ってあげようか?」と言った。私は「いいわ、近くだから」と断って出かけてしまった。目が覚めてからとても悔やんだ。送ってもらったらほんの少しでもあなたとドライブが出来たのに…。
ずっと残念に思っていたらしばらくしてまた夢をみた。今度は聞くことはなく「今まで経験した事がないようなドライブに連れていってあげる」と言って車を発進させた。
車は山の斜面をほとんど90度の角度で猛スピードでぐんぐん登って行くので落ちるのではないかと恐怖を感じたがやがて山頂に着いた。そこは広々とした草原でたくさんの馬が群れていた。そのうちの白い大きな馬が近づいて来て大きな濡れたような瞳で私をじっと見つめていた。
後で調べるとそれは最高峰の吉夢だそうだ。そういえばあなたは馬がとても好きだった。敬意さえ持っていた。
大きな愛情深い目で見守ってくれているという意味もあるという。
ピーター、素敵な夢をありがとう。

七回目の命日

中森浩子さんが2025年8月12日に投稿
去年の命日には家に来た息子とこのサイトのアルバムをスライドショーにして見ていた。いつ見ても何年経っても切なくて胸が締め付けられる。写真のあなたはいつでもどんな時でも元気で笑顔で仕事の時も情熱があふれ出ていた。丈夫で病気もなかったのに何で・・と毎回思う。二人で無言でしばらく見た後、「切ないね」とポツリとつぶやいた。
BGMの歌は唯一あなたと一緒に歌える思い出の曲で切なさに拍車がかかる。あなたが最後に家を出る前に何故かこの歌が心に浮かんできてそのフレーズを歌ってあげたい衝動があったができなかったのを思い出し今夜はスライドショーを見ながら一人で歌ってみた。あの時あなたに歌ってあげたかった。きっとあなたは少し驚いて立ち止まり、じっと私を見つめたことだろう。もしかしたら最後のハグができたかもしれない。思っても仕方ないことだけれども。
あなたが逝く少し前から「自分はいつでも死ぬ覚悟ができている」と教室で言っていたとある生徒さんから聞いたことがある。
それはクリスチャンの信仰的考えでは立派なことなのかもしれない。あなたは天国に行くことをとても楽しみにしていたみたいだけど、生きていたらその後に待っていたであろう一人息子の結婚やあなたの孫の誕生という将来は楽しみに考えることはなかったんでしょうか・・。急がなくても誰でもあの世にはいつか必ず行けるというのに。

先月初孫の男の子が生まれた。「孫が生まれて嬉しい」という気持ちより、男の子だったので「これであなたのY遺伝子がまたひと世代生き延びた」という安堵の気持ちだ。可愛いでしょう、と人に言われるが私はこの子を見るときはどこかに微かでもあなたの面影がないかとさがしてしまうだけなのだ。今のところ見つからない。
あなたが生きていたらどんなに楽しいおじいちゃんになったことだろう。あなたのように子供より真剣に全力で遊べる大人を私は他に知らない。
あなたというおじいちゃんと遊べる機会をなくしたことがこの子に申し訳ない気持ちだ。
でもあなたの愛のひとしずくを受け継いだ新しい命がこれから色々な経験をし成長していくという新たな希望が気持ちを豊かにしてくれる。
元気な男の子だよ、みんなの「たいよう」だよ。   (命名  大耀)