承継
この想いでサイトは、 足立 全康(足立美術館創始者)さまを承継するために作成されました。

享年91歳 、誕生日 1899年2月8日、命日 1990年12月19日

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本名:足立 全康(あだち ぜんこう)
戒名:美術院高色庭園居士
墓地:-
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足立 全康(あだち ぜんこう、男性、1899年明治32年)2月8日 - 1990年平成2年)12月19日)は日本実業家素封家島根県能義郡飯梨村字古川(現・安来市古川町)出身。

経歴[編集]実家は農業を営む。尋常小学校卒業後、家業を手伝う傍ら、村の商売の手伝いをし、次第に商売に深い関心を寄せてゆく。14歳の頃、炭を大八車で運搬する傍らそれを売ることで、初めて商売を手がけることになる。その後はさらに商売を手がけてゆき、類い希な商才を発揮してゆくことになる。

第二次世界大戦後は、敗戦後の瓦礫の中を駆け回り、大阪を商売の本拠地として、大阪と安来を商売で往復するようになる。その後、不動産投資を手がけるようになり、一代で財産を築く。

1947年昭和22年)に名古屋で開催された横山大観展で観た「紅葉」(六曲一双屏風)に大変深い感銘を受け、それが後年の美術品収集への情熱へと繋がる。

1970年(昭和45年)、71歳の時に財団法人足立美術館を設立。

1990年(平成2年)12月19日没。享年92。

夢とロマン足立全康は平成2年、91歳で亡くなるまで世界の足立美術館にしたいという夢とロマンを持ち続けました。朝に夕に庭を見て、少しでも気に入らないことがあると庭師を呼んでは陣頭指揮をとっている姿や、何年も前に入手し損なった絵画について「いやまったく名作との出会いは人と同じで、縁だね。絵を集めるのは金じゃない。値段じゃない。いいものが出たら目をつむって掴んでしまえということだ。まったくあの絵は惜しいことをした。いまだに夜中にパッと目が覚めては思い出し、眠れん時があるよ」と口角泡を飛ばして語る姿を思い出しますと、要するに足立全康が出会った絵画といわず、庭園といわず、人といわず、それは、「美しいものに感動する心」を何とかして人に伝えたいという想いが、足立美術館のすみずみまで息づいているといえるのではないでしょうか。来館されるすべての人に感動を与える美術館でありたいと願い続けた足立全康であったと思います。

横山大観コレクションなど、珠玉の日本画の名作と広大な美しい庭園を有する島根県の足立美術館は、創立以来、地元の人々に愛され、観光スポットとしても人気があります。その創立者の足立全康(ぜんこう)は、同美術館を生まれ育った地元への感謝の意を込めて建てたそうです。  並大抵の財力では名作を集めることはできません。足立の財力のもととなったのは、戦後間もなく大当たりした不動産投資でした。足立を成功に導いた不動産投資には、みずからが編み出した3つのポイントがあったそうです。やがて足立の興味は不動産から、美術品投資へと変遷していきます。
足立が巨富に向けて疾駆するのは昭和21年第2次大戦直後のことだ。友人から「足立さん、大阪は一面、焼け野原ですわ。みんな右往左往してる。ヤミもヘチマもありません。商売やってもうけるには絶好のチャンスやよって50万円ほど工面してすぐ出てきなはれ」  足立はその誘いに飛び乗って、大阪に出る。たちどころに100万円もうけた。同24年には「丸全繊維」という綿布問屋を開業、同時に金融業も手掛ける。時に50歳。遅咲き全康は糸へんのもうけを土地に振り向けた。「新大阪地所」を設立、本格的に土地投資に踏み出す。新大阪駅付近がまだ田園地帯であったころだ。次々と土地を買収していった。  買収資金は銀行融資に頼ったが、足立のうまいところは、土地代金がすぐに銀行に環流する仕組みをつくったことだ。「坪1400円が一杯だ」という足立に、「いや1500円でないと売らない」という農家。ころあいをみてこう切り出すのが「必殺、足立流」の神髄である。

足立全康は裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげたが、その絵画収集にかける情熱は並外れたものであったらしく、数々の逸話が残されている。

足立美術館のもう一つの特色は、その広大な日本庭園である。庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、面積5万坪に及ぶ。全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたという。

            足立美術館専属の庭師や美術館スタッフが、毎日手入れや清掃を行っていて「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園は国内はもとより海外でも評価が高い。

日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られ、彼方の山や木々までも取り込んで織り成す造形美は秀逸である。

             足立美術館米国の日本庭園専門雑誌「Sukiya Living」の日本庭園ランキングでは、全国803箇所の名所・旧跡を対象に「庭そのものの質の高さ」「建物との調和」「利用者への対応」などを総合的に判断し、初回となる2003年ランキングから毎年、庭園日本一に選出されている。2位は京都の桂離宮、3位は福井の養浩館庭園。

           足立美術館
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           足立美術館  島根県安来市古川町320

※注:このサイトは、足立全康に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

このメッセージは、 2023年11月20日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
14歳ごろから炭を大八車で運びながら、飛躍の機会を待って大阪へ出て敗戦後の瓦礫の中を駆け回って財を築き、それを美術品の収集に充てた。
復興が進めば美術品の価値が高まると考えた先見の明は、尊敬に価します。いつの世でも見習うべき偉人です。      合掌

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このメッセージは、 2023年11月20日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
14歳ごろから炭を大八車で運びながら、飛躍の機会を待って大阪へ出て敗戦後の瓦礫の中を駆け回って財を築き、それを美術品の収集に充てた。
復興が進めば美術品の価値が高まると考えた先見の明は、尊敬に価します。いつの世でも見習うべき偉人です。      合掌