(幼少期)
1825年10月25日、ウィーンの数キロ南に位置するザンクト・ウルリッヒ(ドイツ語版)地区の、ロフラノ通り76番地で誕生した[3][4]。シュトラウス家は遠くユダヤ系ハンガリー人の血を引いていることは間違いないと思われるが、このことがヨハン2世の生前に何らかの形で言及された記録は残っていない。後年、彼はハンガリーに題材をとった作品を多く残しているが、そのことと自らの家系を結び付けた発言も特にない。また、数世代も前の改宗まで遡って身元調査的にユダヤ人呼ばわりする差別が行われ始めたのはナチスからであるが、ヒトラーが大のシュトラウスファンであったため、やはりシュトラウス家の遠祖に関して調査されることはなかった。したがって、資料的にシュトラス家とユダヤ教徒を結びつける確定的データは発掘されていない。なお、シュトラウスという姓自体がユダヤ固有というのは誤りであり、南ドイツ地方ではごくありふれた名前である。 父は音楽家ヨハン・シュトラウス1世、母は居酒屋の娘マリア・アンナ・シュトレイムである。できちゃった結婚であり、母がヨハンを身ごもったと発覚したことが両親の結婚のきっかけとなった[5]。