承継
この追悼サイトは、私たちの愛する人 田村 正和さんを記念して作成されました。享年77歳 、私たちは永遠に覚えています。

本名:正和(たむら まさかず)
戒名:深達院和光日正大居士
墓地八景苑(マップ)〒236-0032 神奈川県横浜市金沢区六浦町2254

※「生前墓」として1988年に購入、現時点2021年では墓石がまだありません。


俳優。京都府京都市右京区太秦生まれ。東京都世田谷区育ち。成城大学経済学部卒業。最終所属は自身の個人事務所である新和事務所。 阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれるが、次兄の田村俊磨を含め4兄弟である。異母弟に俳優の水上保広。家族は妻(一般人女性)と娘
若き日の田村正和さん=1964年 写真|【西日本新聞me】

「田村正和の葬儀は身内9人だけで。派手にせず静かに見送った」....田村亮(弟)
家族葬で、死が公にされたのは、亡くなってから1か月以上も経ったことだった。田村さんは生前、俳優のイメージを崩さないために自身のプライベートを守り、最期も「静かに逝きたい」と願う田村さんの希望を、家族が尊重した形だった。

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大切な方の思いで

生い立ち

田村は、京都の東映撮影所の近く、京都の大畑で生まれた。その後、嵯峨野に引っ越したが、9歳の時に父親を亡くした。田村は子供の頃、父の跡を継ぎたかったといい、そのことを知った父は喜んでいたという。また、父とは普通の父子のように手をつないで街を歩いたり、一緒に映画を見に行ったりすることはなかったが、毎年夏に宮津の旅館に行った時だけは、一緒に遊んだり、海で泳いだりしてとても幸せだったという。特に演技の影響を受けたわけではないが、母親から聞いた父親の生き方や俳優としての姿勢に、田村は影響を受けていたのかもしれない。成城学園中学校を経て、中学・高校時代はバスケットボール部に所属していた。

真面目で無口な性格

兄弟の中で、自分と父親が一番性格やキャラクターが似ているという。インタビューで父親の話をするときは、半沢さんという名前を使い、名優と言われる父親がいることを負担に感じていない。自分は自分、父親は父親だと言っている。自分が息子であるという意識はない。兄の亮さんは、正和さんのことを「真面目すぎて、テレビでプライベートを見せない」と言い、兄弟で会っても仕事の話はほとんどしないという。

俳優としてのキャリア

松竹の映画出身の田村は、"実は映画で失敗しているんです "と。これに対して、伊藤彰彦はこうコメントした。"不利な映画界に早くから見切りをつけ、テレビに軸足を移したことは、田村にとって幸運だった"
10年以上にわたって放送されたテレビドラマ「古畑任三郎」シリーズで古畑任三郎を演じる。その後、『古畑任三郎』第2シーズンの小津南平役、『さよなら、小津先生』でテレビアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した。
想いで

ごく自然体の人でした

墓マイラー趣味クラブさんが2023年2月25日に投稿
アルマーニの服を好んで着て、休みの日も運動がてら自転車に乗っていた。毎日30〜60分の散歩をし、外出はほとんどせず、家で音楽を聴いたり、酒を飲んだりしていた。また、かなりの車好きで、自らサーキットのF1レースを観戦しに行った。緑(自然)が大好きで、毎日の散歩コースは自宅近くの緑地公園であった。軽井沢の別荘にもよく来ていた。