承継
この想いでサイトは、私たちの愛する人 早川徳次さんを記念して作成されました。

※この追悼サイトで故人への弔意・思い出を自由に投稿することができます。

本名:早川徳次(はやかわ とくじ)
墓地都立多磨霊園(マップ)〒183-0002 東京都府中市多磨町4丁目628
※ 銀座駅の日比谷線中二階メトロプロムナードの中央部に早川徳次の胸像がある

関連リンク
  1. シャープのホームページより:https://corporate.jp.sharp/info/history/voice/
  2. 詳細紹介:http://www.tokusen.sharp.co.jp/70th/tokusen.histor...
  3. 近代日本人の肖像より:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6398/
  4. WIKI:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%B7%9D%E5%BE%B3%E6%AC%A1_(%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%97)


  • 電機メーカー・シャープを創業し、日本有数の総合電機メーカーへと成長させた実業家。早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)を発明したことでも知られる。日本でいち早くラジオ、テレビの試作に成功して業績を伸ばし、その後も太陽電池、卓上計算機などに進出して会社を発展させた。
  • 「地下鉄の父」と慕われる。 日本初の地下鉄を生み出した。※東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創立者で、日本に地下鉄を紹介・導入したことから、「(日本の)地下鉄の父」と呼ばれる。
  • 福祉活動にも力を注ぎ、障がい児のめの保育所や福祉施設、障害者が多く働く工場を設立した。1954年(昭和29年)2月、共働きや身体障害者家庭の子供を預るために[6]、本社近くの阿倍野区西田辺町に「育徳園保育所」(社会福祉法人育徳園)を開設。1976年(昭和51年)4月に阿倍野区阪南町へ新築移転し、1983年(昭和58年)4月には、隣接地に徳次の遺産で「育徳コミュニティセンター」が建設されている。1962年(昭和37年)9月、徳次の寄付金をもとに、東住吉区南田辺に大阪市立早川福祉会館が設立された[8]。また、1969年(昭和44年)11月、徳次が建設資金(3000万円)を寄贈して、阿倍野区桃ケ池町に大阪市立阿倍野青年センター(現・桃ヶ池公園市民活動センター)が設立された。
早川徳次の名言


  • 人に真似される商品をつくれ
  • やはり「お客様にとって一番重要なものは何か」を真剣に考えることに尽きると思います。 お客様のクレームは何かしっかりと見極める。それを解決するために私たは時間とお金を惜しみなく使う。お客様が得をするために私たちが損をするしかないのです。
  • 組織に嫌われるのが嫌なようでは大したことは出来ません。
  • 商売をするときは、金を儲けようなどと考えずに、ひたすら商道の本意を勤めなさい
  • よく商人の本意を守って努力すれば財を求めなくても集まり、豊かになることは計り知れない。
  • 仕事を選ぶときに、ややこしく考えてしまうと理屈が先行しちゃう。 だから、できるだけシンプルに考えて選択していますね。 自分が本当に望んでいるのかどうかその気持ちに添っていくべきだと思っています。
     早川徳次墓  多磨霊園 東京都府中市多磨町4-6-28(15区1種4側)


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  •  ※このサイトは、早川徳次に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝                      
このメッセージは、 2023年3月9日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
1919年(大正8年)11月17日にはついに鉄道院から地下鉄道免許を「東京軽便地下鉄道」として取得し(この免許の条文に『東京市が地下鉄を買い取る時には、それを拒めない』という文言があった)、大正9年(1920年)8月29日に創立総会が紛糾する場面があったものの、東京地下鉄道株式会社を設立する。社長には工学博士の古市公威が就任し、取締役には根津も名を連ね、早川は常務取締役に就いた。大正14年(1925年)9月27日に浅草 - 上野の地下鉄工事を開始する。
このメッセージは、 2023年3月9日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
初めは公共交通として鉄道省や自治体に建設を働きかけたものの、早川の先見性は理解されなかった。東京の軟弱な地盤の地下に構造物を建設することについて、技術的・資金的に無理だと判断されたことや、事業として成り立つか不透明であったことが要因だった。やむを得ず私営での建設を決意し働きかけるも、同様に理解はほとんど得られなかったが、数少ない理解者に後藤新平や、大隈重信ら早稲田系の人脈、渋沢栄一がいる。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2023年3月9日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
1919年(大正8年)11月17日にはついに鉄道院から地下鉄道免許を「東京軽便地下鉄道」として取得し(この免許の条文に『東京市が地下鉄を買い取る時には、それを拒めない』という文言があった)、大正9年(1920年)8月29日に創立総会が紛糾する場面があったものの、東京地下鉄道株式会社を設立する。社長には工学博士の古市公威が就任し、取締役には根津も名を連ね、早川は常務取締役に就いた。大正14年(1925年)9月27日に浅草 - 上野の地下鉄工事を開始する。
このメッセージは、 2023年3月9日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
初めは公共交通として鉄道省や自治体に建設を働きかけたものの、早川の先見性は理解されなかった。東京の軟弱な地盤の地下に構造物を建設することについて、技術的・資金的に無理だと判断されたことや、事業として成り立つか不透明であったことが要因だった。やむを得ず私営での建設を決意し働きかけるも、同様に理解はほとんど得られなかったが、数少ない理解者に後藤新平や、大隈重信ら早稲田系の人脈、渋沢栄一がいる。
軌跡

生い立ち

早川徳次翁は明治 26 年(1893 年)11 月 3 日東京日本橋生れ。氏は生後間もなく母親が病に倒れたため、1 歳 11 ヶ月のときから養父母に育てられた。養家の義父は人は良いが酒飲みで経済的には貧困だった。2 年後に義母が急病で他界。その翌年に 19 歳の後添がきて、幼い氏(徳次)につらくあたった。やがてこの義母に子どもができ、イジメがひどくなっていった。養子縁組の契約に従って小学校には入学させてもらったが、夜遅くまでマッチ箱張りの内職を手伝い、睡眠不足でしかも空腹が満たされない日々であった。このままでは命も危ないと感じた隣人(目の不自由なおばあちゃん)のお世話で、金属加工の町工場へ住み込みの奉公に出ることになった。小学校は 2 年生で中退。満 8 歳の時である。爾来約 10年間に亘り奉公生活を体験した。

起業家として

翌年8月に土地柄も性に合ったことから大阪で事業を興そうと決意した。 独創的な商品をいち早く市場に投入し「他社が真似するような商品を作れ」と口にしたことが原点だ。
経営理念には「いたずらに規模のみを追わず・・・」と書かれており、「身の丈経営」が育まれた。そうした企業風土は独自に開発に成功した液晶技術で飛躍し「液晶のシャープ」として企業の規模が拡大したころから変わっていった。

幼少時から苦労を重ねたためか、事業の第一目的は社会への奉仕と言い切っている。1944年(昭和19年)、失明軍人が働く「早川電機分工場」を開設。終戦により分工場は解散したが、1946年(昭和21年)に復職希望者7名により再開。1950年(昭和25年)に失明者工場を法人化して「合資会社特選金属工場」(現・シャープ特選工業株式会社)を設立する。視覚障害者自らが独立採算制で事業を経営する特選金属工場は広く知られ、1952年(昭和27年)には社会事業家の賀川豊彦が世界的富豪で慈善活動家のロックフェラーを伴い工場を視察。1954年(昭和29年)には三笠宮崇仁親王も訪問している。

事業内容

バンドのバックル(”徳尾錠”と命名)を発明し、大量の注文がきた のが契機で独立した。独立に必要な資金は取引先の社長が氏を見込んで出資してくださった。独立して 3 年後に結婚(21 歳)。その翌年の大正 4 年にシャープペンシル(金属繰出鉛筆)を発明した。当時は和 服を着る人が多く、洋服向きのシャープペンシルは出足不調であった。 いろんなタイプのペンシルを作り、営業に努め、徐々に売上は伸張し工場も拡張、数年後には従業員も 200 人に達した。

国産第 1 号の鉱石ラジオの組み立てに成功。その 6 月に JOBK 仮放送所
が最初の電波を流し、見事試作のラジオが受信した。(従業員一同興奮状態だった由である。)早速量産・販売を開始し、ラジオ受信機事業は順調に拡大していった。
ラジオの次の事業として、テレビに注目していたが、昭和26年(1951年)にテレビ受像機の試作に 成功。翌27年渡米してRCAと技術提携し、昭和28年国産第1号白黒テレビを製造販売。いち早く量 産体制を築いた。(昭和29年育徳園保育所開設。理事長に就任。満60歳) 昭和30年以降も不景気や困難期はあったが、国産第1号の電子レンジ、世界初のIC電卓の開発・発 売など会社は概ね順調に推移していった。
報告

(地下鉄の父と呼ばれる)

イーライフ宇崎勝さんが2023年3月9日に投稿
シャープペンシルや液晶テレビ等の家電メーカーの創業者としては有名ですが、地下鉄にも造詣が深く日本で初めて導入するために、多大な尽力をされた事を知る人は少ないと思われます。 一人でも多くの人に知って戴きたいと思います。

障がい者福祉

㈱スマートシニアさんが2023年3月24日に投稿
幼少期に出会った、目の不自由なおばあさん
仕事ができる環境を与えてもらった、これが後の人生を拓いた
その恩を返したいという想いを生涯抱き続けた

この時の井上さんに引かれた温かかった手のぬくもりは、今なおこの私の手の中に残っている。私の生涯の門出は、盲目の井上さんによってひらかれたのであった。」=== 早川徳次著「私の考え方」より ===
シャープ創業者 早川徳次が幼少期の体験で得た「働けること」への喜びは「報恩感謝」の心となり、障がい者福祉への強い信念となった。

「何かを施す慈善より、障がい者自身で仕事をし、自助自立できる環境を作ることが福祉につながる」

その早川徳次の熱い想いに、不遇の戦盲者たちはひとすじの希望の光を見いだした。
そして死に物狂いで仕事に打ち込み、その誠意と情熱で自ら自立する道を切り拓いていった。早川徳次とこの失明者たちの熱意と努力は、障がい者のための事業と雇用を創造し、世の中に貢献した。