承継
軌跡

人生史

  • 兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ今で言うエリート
  • 戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。
  • 晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。
  • 長身で端正な顔立ち、英国流の洗練された身ごなし。 趣味は車と大工とゴルフ。そんな次郎を夫人・正子は「直情一徹の士(さむらい)」「乱世に生き甲斐を感じるような野人」 と評しています。「しょせん平和な世の中に通用する人間ではなかった」とも。