承継
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墓地兵庫県 三田市 心月院 〒669-1537 兵庫県三田市西山2丁目4−31
戒名:『戒名無用,葬式無用」(遺言)


関連リンク


  • 白洲 次郎 (しらす じろうは)、日本の実業家。元貿易庁長官。兵庫県武庫郡精道村出身。 連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任した。
  • 兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。
  • 晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。

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大切な方の思いで

人生史

  • 兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ今で言うエリート
  • 戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。
  • 晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。
  • 長身で端正な顔立ち、英国流の洗練された身ごなし。 趣味は車と大工とゴルフ。そんな次郎を夫人・正子は「直情一徹の士(さむらい)」「乱世に生き甲斐を感じるような野人」 と評しています。「しょせん平和な世の中に通用する人間ではなかった」とも。
想いで

軽井沢ゴルフ倶楽部

ファンファンさんが2023年5月24日に投稿
  • 晩年の次郎が心血を注いだのが、軽井沢ゴルフ倶楽部です。芝の手入れから、従業員の生活、会員の行儀にいたるまで、 ひとつもゆるがせにしませんでした。
  • 正子は「歴代総理大臣には随分迷惑をかけたに違いない」といいますが、会員でなければ、 総理大臣でも追い返す、SPをコースに入れるなどもってのほかという姿勢を崩しませんでした。
  • その生涯を貫いたのは「プリンシプル、つまり原則に忠実である」という信念です。「まことにプリンシプル、プリンシプル、 と毎日うるさいことであった」と正子は回想しています。
  • 八十になるまでポルシェ911を乗り回した根っからの「オイリー・ボーイ」。最後に残した言葉は、「右利きです。夜は左……」。 注射のため利き腕をたずねた看護婦に、そう答えたそうです。

車が趣味

ファンファンさんが2023年5月24日に投稿
  • ストラッフォード伯爵家の御曹子。車好き、英語でいう「オイリー・ボーイ」で、次郎の車熱に拍車がかかりました。
  • ベントレー、ブガッティを所有し、週末はレースに熱中。ロバートとベントレーで長い旅行にも出ました。一方、 寄宿舎では英国流の紳士道を徹底的にたたきこまれます。
  • 昭和三年、家業が倒産したため帰国。翌年、正子と結婚します。倒産の影響で、次郎の肩には十人以上の家族の生活が かかっていました。にもかかわらず、英字新聞の記者、英国商社、それから日本の貿易会社と、職業は安定しません。