承継
本名:志村 康徳(しむら やすのり)
戒名:瑞心院喜山健徳居士
墓地梅岩寺(マップ)〒189-0003 東京都東村山市久米川町5丁目24−6
※共同墓地に「志村家之墓」

生まれ育った東京都東村山市の西武・東村山駅東口に建てられた銅像は、志村さんやザ・ドリフターズの聖地として全国からファンが足を運んでいます。ファンで偉人の軌跡を残すため追悼サイトを作成>  デジタル献花、灯火、メッセージは下記で!

<弔辞>

志村……。ひどすぎるぞ、お前。一番若いお前が、俺たち差し置いて天国に行っちゃうなんてなぁ。まだ、俺たちと一緒にやらなきゃならないことがたくさんあっただろうに。それを勝手に一人で先に逝っちゃうなんて、お前は馬鹿だよ。
天国の長さんも、まさかお前が最初に来るなんて、思ってなかっただろうな。びっくりしたと思うよ。長さんの次は、高木ブーだと思ってたもんな。でも、久しぶりに二人っきりでいろんな話が出来るから、長さんも喜ぶんじゃねえかな。
まあ、いずれそう遠くないうちに、俺たちもそっちに行くと思うから、それまで長さんと酒でも酌み交わしながら、ドリフの新しいネタでも考えといてくれよ。5人がそっちに『全員集合』したら、そっちのお客さんを『大爆笑』させようぜ。約束だぞ。
じゃ、それまでゆっくりと休んでくれ。大好きな志村よ。


令和2年4月1日 ザ・ドリフターズ、加藤茶

※ 詳細情報は人生史、アルバム、想いでのタブ
このメッセージは、 2023年2月21日に、㈱スマートシニアさんが投稿
ご冥福をお祈りいたします

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メッセージ
このメッセージは、 2023年2月21日に、㈱スマートシニアさんが投稿
ご冥福をお祈りいたします
大切な方の思いで

生い立ち

小学校教諭だった父・憲けん司じ(1918年〈大正7年〉- 1973年〈昭和48年〉)と母・和かず子こ(1919年〈大正8年〉- 2015年〈平成27年〉)の三男として東京都北多摩郡東村山町(現:東京都東村山市)に生まれる。2人の兄(長男・知とも之ゆきと次男・美み佐さ男お)は大学を卒業して公務員になったが、自身は大学へ行かず、異なる人生を歩むこととなった。なお、芸名の「けん」は父の名前から取ったものである

小学校時代

変なことばかりやっており、そのきっかけは小学校1年の運動会でウンコをもらしたことで、そのイメージを消そうとおもしろいことをやり始めたという。小学4年の頃は友人宅で落語のレコードを聴き、それを真似て学級会で酔っ払いのコントを初披露している[注 3]。 人を笑わせることがとにかく好きだった

学生時代

厳しい家庭で育った志村は、笑うことを許されなかった。そんな彼が日常から解放されたのは、当時はまだ珍しかったテレビのお笑い番組だった。この時、志村はお笑いの道に進むことを決意する。ビートルズのファンだった彼は、彼らの反骨精神(長髪や服装など)に憧れ、大きな影響を受けたという。
想いで

東村山市

陸前高田陸前高田さんが2023年2月22日に投稿
1976年7月、当時の東村山市熊木礼二市長から「東村山市の知名度向上」を理由に感謝状が贈られた。その際、東村山駅東口交番前に感謝状記念と志村の激励を込めてケヤキ3本が植樹されました。2015年、東村山市は市制施行50周年を記念して、木の前に看板を設置しました。志村けんの木」と題された看板は、志村の直筆で、サインも入っています。

恋愛

陸前高田陸前高田さんが2023年2月22日に投稿
志村の恋愛もキャリアに負けず劣らずドラマチックだが、結婚したことはない。しかし、結婚願望は強く、著書にもそのことを書いている。結婚前に同棲していた女性との間に子供ができたが、周囲の反対で別れたと告白している(子供は相談した結果、諦めた)。また、3年間の同棲の後、内縁関係を主張して財産の半分を奪った女性がいたが(別れる際の慰謝料については法的な決まりはない)、直後の記者会見で志村は「女性とは結婚を考えた」と発言した。また、これまで多くの女性と交際してきたが、特定の女性と長く付き合うことが苦手で、まだ結婚に至っていないことも認めた。