仁木は越路にとって重要な音楽的パートナーであり、そのダイナミックな編曲スタイルは、越路の歌声を引き立てる上で大きな役割を果たしました。また、仁木自身も作曲家として活躍し、多くのヒット曲を生み出しています。大きな古時計や愛の讃歌の編曲で越路吹雪さんと組んで有名でした。
平井堅の歌で有名になった
「大きな古時計」(原題「My Grandfather’s Clock」)は、なんと戦前の昭和15年(1940)にレコーディングされていた、、、、、という話を、きのうの当ブログで紹介した。当時の邦題は「お祖父さんの古時計」だった。
歌ミミー宮島、作詞門田ゆたか、編曲仁木多喜雄、演奏コロンビア・ジャズ・バンド。
この顔ぶれのなかで、私はとくに仁木多喜雄(1901~58)という名前に愛着を覚える。といっても、氏の名前を私が知ったのは戦前ではない。戦後の昭和26年(1951)のことで、越路吹雪(1924~80)と常にワンセットとなって脳みその片隅に植えつけられたのである。
当時、私は、宝塚歌劇団を飛び出し新たな活躍をし始めた越路吹雪の大ファンだったが、彼女の登場するところ、かならず指揮者か編曲者として仁木のクレジットがあったからだ。
歌にからむストリング・セッションの美しさにうっとりとなったのは、生のステージだったか、SPレコードだったか?
越路も仁木も、当時、日本コロムビア専属だったという事情もある。昔は、歌手、楽団だけではなく作詞家、作曲家もどこかのレコード会社と専属契約を結んでいたのですよ。
越路といえば「愛の賛歌」である。後年、彼女は、リサイタルごとに異なる編曲でこのシャンソンの名曲を歌ってみせたが、編曲者は夫君でもある内藤法美ひとりに限られていた。夫が編曲者を兼ねるとこういうことになりかねない。
越路がいちばん最初に「愛の賛歌」をレコーディングしたのは、昭和29年(1954)のことで、編曲は仁木多喜雄。オーケストラ、コーラスをフルに使いゴージャス感を演出している。
でありながら、歌を喰わないようにとバックの演奏はかなり抑え目である。これも仁木の配慮だろう。
この時代の越路・仁木コンビの歌をお聴きになりたい向きは、次のようなアルバムでどうぞ。
LP『思い出、、、、越路吹雪―1950~56―』
CD3枚組『越路吹雪コロンビアイヤーズ』
ともに日本コロムビアから。
後者のほうのライナーノーツに越路の座付き?作詞家の岩谷時子さんが、「越路吹雪のコロムビア時代と仁木先生」という一文を寄せている。以下、その一部を引用する。
越路さんは宝塚時代から、歌は編曲が何よりも大切だと、非常に編曲に拘る人だった。仁木先生のダイナミックな日本人ばなれした編曲に出会ってからは、先生に傾倒し、歌について教えていただくことが多く、ながい間、公私ともにお世話になった。
更に、、、、。
オーケストラをバックに同時録音するので仁木先生は、いつも立会って下さっていた。先生は当時、まだ四十歳ではなかったかと思うが、身体も大きく、私たちにはずいぶん年長の大人に見えた。
仁木は作曲もよくし、「めんこい仔馬」(作詞サトウ・ハチロー、歌二葉あき子、高橋祐子)という大ヒット曲も出している。東宝映画『馬』(監督山本嘉次郎、主演高峰秀子)の主題歌である。
昭和15年(1940)の作というから、「お祖父さんの古時計」を編曲したのと同じ年ということになる。
蛇足ながら、この映画でチーフ助監督を務めた黒澤明に主演女優の高峰秀子が熱を上げた話は、今も語り草になっている。歴史的エピソードだから、ご存知の方々も多いでしょうが。
上記 安倍 寧 氏 オフィシャルブログより転記