(ドイツ留学時代)
波多野の推薦で、岩波茂雄から出資を受けた三木は、6月24日高校時代から親しんできた新カント派哲学の大御所リッケルトのいるハイデルベルクに留学を果たした。当時のドイツはヴァイマル共和政で、第一次大戦後の混乱が続いており、ヴェルサイユ体制下での戦後秩序の回復を目指していた時期であった。ドイツは、敗戦国として1320億金マルクの賠償金の支払いを命じられ経済が逼迫していた。そこにフランスによるルール占領が拍車をかけ、急激なインフレが進行していた。このインフレのため日本から送られてくる留学資金が潤沢になり、三木のみならず多くの日本人がドイツに滞在していて知り合いとなる。歴史の羽仁五郎、カント研究の天野貞祐、後にハイデッガーについて学ぶ九鬼周造、哲学家から政治家になる北昤吉、キリスト教史学の石原謙、作家の阿部次郎、経済学の大内兵衛、久留間鮫造、藤田敬三、糸井靖之、黒正巌、哲学・宗教学の小尾範治、鈴木宗忠、大峡秀栄などがいた[19]。