承継
思いで

幼少

新潟県川口町で生まれる。父は藤澤進、母は藤澤はる。川口町で幼少のころを過ごしたが、「俺は小千谷だ!」と小千谷にこだわりを持っていた。 自分のふるさと小千谷を誇りに思う人だった。

青年期

小千谷高校(地元名門?)を卒業後、上京し東京で仕事をしながら学ぶ。音楽活動にのめり込みバンドマンとして各地を転々としバーで演奏。トランペットでその当時はジャズをメインとして演奏したため、ジャズが生涯大好。

仕事 (サラリーマン)

東京通信工業(ソニーの前身)に、品質管理の仕事を得て就職。その当時では珍しく海外出張などを何回も経験。品質のトラブルがあるとヘリコプターで駆けつけたりサラリーマンとして活躍

仕事 (自営業)

1代目の故祖父 藤澤進 が東北電力(株) を定年して電気工事店を始めたが軌道に乗らず、手伝ってくれと懇願され帰郷した。 当時は、家庭の明かりが「ロウソク」→「電灯」に置き換わるときで、もっぱら家庭への電気の引き込みを行い商売を繁盛させた。技術が得意で真面目だったため、工場などの高電圧工事やダムのモーター修理の仕事をもらい、社員10名以上の株式会社に発展させる。

英語を一生懸命に勉強

孫が英語を話すので、一生懸命英語を高齢になり勉強しました。そのおかげで会話が少しできるようになりました。孫の力はすごい!

定年後

70代後半に、会長職になり会社を3代目に任せる。 それに合わせ出勤する時間も少なくなり、好きなダム巡り、駅伝やスポーツ観戦、スマホはどで時間を使う。特にYoutubeの「政治」「経済」は大好きでよく見ては、ニュースには出ていない詳細を自分なりに仮定を立て立証していた。⋆たまに経済論理を聞かせてくれていたが「読みすぎ深すぎ」、もし生まれた時代が60年遅ければ良い投資家になっていた。

最後の笑顔

若いときから間質性肺炎を患い咳をよくしていた。⋆藤澤家のDNAは呼吸器系が弱い
  • 亡くなる60日前くらいから、調子が悪くなり寝たきりになる。肺に穴が開き、皮下気腫(気胸、プレブ破壊など)から音がする状態となる。 ー加澤医師ー
  • 皮下気腫の圧迫から食事が出来なくなり急激に衰弱して、手術などは不可のため、亡くなる15日前に小千谷病院の看取り病棟に入院。
  • コロナ禍のため、入院すると介護や看取りが出来ないため入院時、まだ元気なのに「会うのは最後」と看護師よりいわれる。
  • 亡くなって帰ってきた父孝を一晩、家で休んでもらい、皆でお別れをして翌日火葬。父より「皆さんありがとうございました!」と人生の感謝を伝えてと伝言うける。