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藤澤家系譜

<家系図>

  • 伝統的な家系図横系図式で記入します。⋆横家系図は右から左ですが、ここでは上では上から下となります。 
  • 詳細家系図はこちら(ログインバスワード要)

<人生史>

  • ここからは、家系図にある故人の人生史の概要

1.藤澤進 (初代)

生誕:1894年11月27日 新潟県川口市(現:長岡市)
死没:1989年4月27日(94歳没)新潟県小千谷市(自宅にて)
戒名:

東北電力で定年を迎え、藤沢電機を創立。昭和初期のロウソクの時代から家庭に電気を引くという作業を請け負い電気工として生涯を終える。
生い立ち新潟県北魚沼郡小千谷町(現在の小千谷市)の次男として生まれた。藤澤家は元禄時代より長野県で寺院を営んでいた。
幼少期1900年明治33年)に小千谷尋常高等小学校に入学し、1906年(明治39年)に卒業。小千谷にて東北電力の電気作業に従事する。
成人期:東北電力では、水力発電ダムの電気関連メンテなどを手掛けていたため、新潟県内での移動が多かった。第二次世界大戦で電気工事の作業兵として徴収され満州で過ごす。戦後帰国するが、多くの惨劇を見て戦時中のことは語らない人となる。

シニア時代:50歳で東北電力を定年すると、全国旅行に妻のハルと出かける。四国の四国八十八箇所など寺院をめぐる旅がおおく、節約のためいつも安いバスや電車を多用していた。孫を連れてよく旅行に行っていた「いいおじいちゃん」であった。有限会社藤沢電機を55歳で家計を助けるためにスタート


末期:くも膜下出血を発症し72歳で寝たきりとなる。自宅での介護生活を得て施設で77歳で死去

エピソード(趣味):日本酒が好きで、東北電力勤務時代は自宅に昼休みで帰ると食事とともに日本酒をコップで一杯飲み、仕事に出かけた。晩年は、食欲もなくご飯の代わりにお酒を飲むほどの日本酒をこよなく愛する新潟県人。


>> ハル (旧姓:渡辺)

誕生1894年1月20日
 日本新潟県北魚沼郡死没1982年6月5日(88歳没)
 日本新潟県小千谷市墓地照専寺(新潟県小千谷市)増上寺
お祖母ちゃんのサイト(リンク)

子供: 長男:(3歳で死去)、 次男:(2歳で死去)、3男:孝、4男:和夫(72歳没)、長女:光子、5男:秀夫


生い立ち:新潟県北魚沼郡小千谷町(現在の小千谷市)の渡辺家の次女として生まれた。渡辺家は水道工事業を営む商家であった。
幼少期:明治39年に小千谷尋常高等小学校に入学し、姉からナショナル・リーダーズを習う。この間日露戦争が始まる。1906年(明治39年)に新潟県立小千谷中学校に入学し、文学よりももっぱら絵画を好み、自然の「入神」の境地を味わい、卒業旅行は佐渡へ出た。小千谷中学卒業と共に図画教師にすすめられて画家を志望する。白滝幾之助・藤島武二らに相談の末、黒田清輝主宰の「白馬会」に入会するが、画学生の気風になじめず、父の急死により画家の道を断つ。
成人期:婚姻後の長男・次男の幼少期の死の悲しみを乗り越える。その後、堅い決意で5人の子供を東北電力の給金だけの貧乏生活ながら育て上げる。

シニア時代:50歳で夫が東北電力を定年すると、退職金だけでは生活が苦しく、夫と息子の孝を説得して、有限会社 藤沢電機をスタートさせる。 


末期:77歳でガンを発病し魚沼病院(現:小千谷病院)にて78歳で死去

エピソード(趣味):旅行と駅弁が好きで、電車は安い鈍行に乗り旅行に着物で出かけ、各地の駅弁を購入しては食べて容器や包装しを収集していた。現代のグルメ旅行家か?



藤澤孝(2代目)

父が東北電力を定年し、藤沢電気商会をスタートする際に、東京通信工業(現ソニー)を退職し小千谷市に帰郷。技術に強い電気工事屋として昭和40年に有限会社藤沢電機へ法人組織変更。その後、昭和54年株式会社藤沢電機へ法人格変更。2021年に引退するまで、社長・会長を歴任する。
  • 享 年 86歳
  • 誕 生 1934年12月18日 - 新潟県川口町 日本  (現 長岡市)
  • 逝 去 2021年8月4日 - 新潟県小千谷市 日本

詳細:追悼サイト有り (リンク)

生い立ち:新潟県南魚沼郡川口町(現在の長岡市)に3男として生まれるが、長男・次男が幼少時に死亡し長男として育てられる。
幼少期:小千谷小学校で昼食で5キロ離れた家まで走るため足が速くなり陸上競技を始める。小千谷中学校ー小千谷高校と陸上競技を続け、高校総体(インターハイ)で400メートル優勝する。
成人期:高校卒業後に東京に上京し、音楽が好きからジャズバンド入りサックス奏者として生計を立てる。音楽をやりながら東京通信工業(現ソニー)に入社し当時の新製品であったトランジスタラジオなどの修理部に所属。家業を継ぐため、昭和33年に小千谷市に帰郷し藤沢電気商会に入社。几帳面で何でもこだわる性格のため、電気工事では当時田舎では珍しい高電圧工事やモータ修理などが出来たため工場やダムなどの利益率の多い仕事で事業を拡大した。
シニア時代:趣味のジャズや陸上競技見学を楽しみながら、会長職になっての電気工事の仕事を80台まで続ける仕事と人生の両立をする。
エピソード(趣味):偏屈おやじと言われたが、その理由は小学校の時に先生が家庭訪問時に、「無実の盗みを」濡れ衣を着せられる。それ以来「社会制度や権威者・真実」に対しての在り方について疑問視し、どんな人にでも真実を模索した結果が「偏屈」となった。陸上競技観戦(特に大学駅伝とマラソン)とダム見学の趣味は30年以上続けたため、昭和初期からのマラソンファン・ダムマニアとして趣味も先進的であった。

>>靖子 (旧姓:渡部)

誕生:新潟県長岡市
詳細:追悼サイト 藤澤靖子

子供: 長男:哲雄、 次男:博忠 、3男:信昌

生い立ち:新潟県長岡市の渡部家の長女として生まれた。渡部家は長岡市で裕福な商家であった。しかし第二次世界大戦の空襲により家や父を失い幼少の時より苦労を重ね、見合いで孝と婚姻。以来自営業の電気工事会社を盛り立てる人であった。
幼少期:第二次世界大戦で長岡市空襲のため小千谷市に疎開、父が病気で7歳の時に亡くなる。小千谷小学校に入学するが、弟や妹を背負い新聞配達などで登校できないように苦学する。小千谷中学校を卒業すると、長岡の難波学園という洋裁店で働きながら洋裁を勉強する。
成人期:洋裁や編み物の指導などをして、結婚後に家業が大変だった時代をサポート。その後、自営業の電気工事店の営業・経理などをサポートし孝と二人三脚で会社を盛り立てる。趣味は、踊り・歌謡など仲のよい友人が多かった。
シニア時代:骨粗しょう症で腰痛に悩まされ活動に制限がかかるが、家業が3代目に受け継がれても会社経理などでサポートを続けて80歳まで現役を貫く。
エピソード(趣味):幼少時代の苦労と、長岡商人の血を引く粘り強さと頑張りでいつも人の気持ちを考えながら行動するため多くの人に信頼を得ていた。そのためか、婦人会役員や檀家長など多くの地域の活動に参加して活躍した。

3.藤澤博忠 (3代目)

誕生:新潟県小千谷市

設立当時は一般家庭の「ランプから電気」の普及を目指し、東北電力(株)とともに電線引込工事を専門とし、3代目が電設・設備・電力・情報通信各工事の施工・点検・メンテナンスサービスを一貫して出来る事業に拡大。

2015年(平成27年)に代表取締役就任
2021年 (令和3年)新潟県小千谷市城内で新社屋に移転