ForeverMissed
<家サイトを作りました!>
「家族史」「家系図」「写真」「人生史」「エピソード」などをデジタル化して未来につなげたいという思いで作成しました! *墓石:大理石QR:FMTG027741  配布:TG130146


藤澤家(新潟県小千谷市)

電気工事会社:「藤沢電機」を営む3代続く商家。昭和34年(1959)設立当時は一般家庭の「ランプから電気」の普及を目指し、東北電力(株)を定年した1代目と2代目が加わり電線引込工事を専門としました。
現在では3代目となり電設・設備・電力・情報通信各工事の施工・点検・メンテナンスサービスを一貫して行える総合電機会社として地域に微力ながら貢献したいと考えております。

  • 4代目が不在のため「家じまい」の危機にあります。今後は一層内容を充実し、後世に何らかの役立てるような情報を記載できればと決意しております。
  • 親戚・家の友人の方々は、いつかお会いできるために そして未来永劫につながるためこのサイトで一族の安否を確認いただけると幸いです。

一族の由来: 
長野県中野市から新潟県小千谷市に1代目の父が移住。長野の本家ではお寺を家業としていた。(2代目 孝談)
初代から代々の足跡: 
1代目の父は、蚕の養殖専門技師(公務員)として、新潟県に技術を広めるために来て、小千谷市で結婚した定住した。一代目の進は、東北電力の技師として働き、定年後に電気工事会社を設立。2代目の孝が、電気工事会社の後を継ぎ発展させる。
 暮らした土地や建物: 
1代目の進は、東北電力技師で転勤族。定年を迎える時期に小千谷市船岡町1丁目に木造2階建ての広い家を持つ。(裏には池須があった) その後、一代目が亡くなる前に、家を新築。 その後、小千谷市城内に、2代目が亡くなる前に家を新築。(1億円を現金で払ったとのこと) 
このメッセージは、 2021年6月17日に、藤澤哲雄さんが投稿
藤澤家の本家は、長野県中野市のお寺の住職だったそうです。 ひい叔父ちゃんは蚕の技師で長野から新潟県に移り住んだとのこと(孝談)

メッセージ投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2021年6月17日に、藤澤哲雄さんが投稿
藤澤家の本家は、長野県中野市のお寺の住職だったそうです。 ひい叔父ちゃんは蚕の技師で長野から新潟県に移り住んだとのこと(孝談)
大切な方の生涯

藤澤家系譜

<家系図>

  • 伝統的な家系図横系図式で記入します。⋆横家系図は右から左ですが、ここでは上では上から下となります。 

<人生史>

  • ここからは、家系図にある故人の人生史の概要

1.藤澤進 (初代)

生誕:1894年11月27日 新潟県川口市(現:長岡市)
死没:1989年4月27日(94歳没)新潟県小千谷市(自宅にて)
戒名:

東北電力で定年を迎え、藤沢電機を創立。昭和初期のロウソクの時代から家庭に電気を引くという作業を請け負い電気工として生涯を終える。
生い立ち新潟県北魚沼郡小千谷町(現在の小千谷市)の次男として生まれた。藤澤家は元禄時代より長野県で寺院を営んでいた。
幼少期1900年明治33年)に小千谷尋常高等小学校に入学し、1906年(明治39年)に卒業。小千谷にて東北電力の電気作業に従事する。
成人期:東北電力では、水力発電ダムの電気関連メンテなどを手掛けていたため、新潟県内での移動が多かった。第二次世界大戦で電気工事の作業兵として徴収され満州で過ごす。戦後帰国するが、多くの惨劇を見て戦時中のことは語らない人となる。

シニア時代:50歳で東北電力を定年すると、全国旅行に妻のハルと出かける。四国の四国八十八箇所など寺院をめぐる旅がおおく、節約のためいつも安いバスや電車を多用していた。孫を連れてよく旅行に行っていた「いいおじいちゃん」であった。有限会社藤沢電機を55歳で家計を助けるためにスタート


末期:くも膜下出血を発症し72歳で寝たきりとなる。自宅での介護生活を得て施設で77歳で死去

エピソード(趣味):日本酒が好きで、東北電力勤務時代は自宅に昼休みで帰ると食事とともに日本酒をコップで一杯飲み、仕事に出かけた。晩年は、食欲もなくご飯の代わりにお酒を飲むほどの日本酒をこよなく愛する新潟県人。


>> ハル (旧姓:渡辺)

誕生1894年1月20日
 日本新潟県北魚沼郡死没1982年6月5日(88歳没)
 日本新潟県小千谷市墓地照専寺(新潟県小千谷市)増上寺
お祖母ちゃんのサイト(リンク)

子供: 長男:(3歳で死去)、 次男:(2歳で死去)、3男:孝、4男:和夫(72歳没)、長女:光子、5男:秀夫


生い立ち:新潟県北魚沼郡小千谷町(現在の小千谷市)の渡辺家の次女として生まれた。渡辺家は水道工事業を営む商家であった。
幼少期:明治39年に小千谷尋常高等小学校に入学し、姉からナショナル・リーダーズを習う。この間日露戦争が始まる。1906年(明治39年)に新潟県立小千谷中学校に入学し、文学よりももっぱら絵画を好み、自然の「入神」の境地を味わい、卒業旅行は佐渡へ出た。小千谷中学卒業と共に図画教師にすすめられて画家を志望する。白滝幾之助・藤島武二らに相談の末、黒田清輝主宰の「白馬会」に入会するが、画学生の気風になじめず、父の急死により画家の道を断つ。
成人期:婚姻後の長男・次男の幼少期の死の悲しみを乗り越える。その後、堅い決意で5人の子供を東北電力の給金だけの貧乏生活ながら育て上げる。

シニア時代:50歳で夫が東北電力を定年すると、退職金だけでは生活が苦しく、夫と息子の孝を説得して、有限会社 藤沢電機をスタートさせる。 


末期:77歳でガンを発病し魚沼病院(現:小千谷病院)にて78歳で死去

エピソード(趣味):旅行と駅弁が好きで、電車は安い鈍行に乗り旅行に着物で出かけ、各地の駅弁を購入しては食べて容器や包装しを収集していた。現代のグルメ旅行家か?



直近の思い出

今まで墓標に追加できなかった祖母を追加!

藤澤哲雄さんが2021年7月12日に投稿
雪国だから、墓標がNGになり。。。。大理石のQRコードで、祖母の遺影や想いでの写真を墓前で見れるようになりました。7/3/20213より

家紋について

藤澤哲雄さんが2021年5月17日に投稿
日本十大家紋の一つで、茗荷紋は同じショウガ科の多年草である「茗荷の花」を図案化したものです。 ミョウガという音が神仏の加護を意味する冥加に通じており、縁起が良くご加護を享けられると進行されていました。 茗荷紋の誕生は、煩悩を解説させるとして民間進行の対象であった摩陀羅神のシンボルが茗荷であったためと言われています。使用者は徳川時代には志磨鳥羽氏、近江板垣氏、他に小沢氏、国領氏、堀氏、中根氏などがあります。

2019年のお盆帰省時

藤澤哲雄さんが2021年5月20日に投稿
藤澤家のお墓(2019年のお盆にお参りにいきました)