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この追悼サイトは、 青木 まささまのために作成されました。

享年85歳 、誕生日 1936年11月4日、命日 2022年1月30日
※ 青木さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
このメッセージは、 2024年1月30日に、坂本清美さんが投稿
今日はおかぁの3回忌です。
年月の経つのは実に早いものです。
救急車で運ばれたと連絡が入って帝京病院に駆けつけた時の様子が昨日のことのように、今でも鮮烈に思い出されます。

カッちゃん、タケちゃん兄弟は今日はお墓参りに行きました。両親の命日、お盆、お彼岸には必ずお墓参りをする二人です。

石垣島に移住したタケちゃんはこのお墓参りのために東京に戻りました。おかぁとの暮らしにピリオドが打たれ、自分の人生を新たに歩み始めています。石垣島では介護の仕事に就き、職場で頼りにされているそうです。

カッちゃんは葬儀の仕事で忙しくしています。普段ガツガツ働かないカッちゃんがこんなに忙しくしていると天変地異が起きるかもしれません。

おかぁは今頃、極楽浄土で民謡を歌ったり三味線を弾いているのでしょうか?
あなたの自慢の息子二人は今日もしっかりと大地を踏みしめて生きています。
安心してくださいね!


このメッセージは、 2023年1月30日に、坂本清美さんが投稿
おかぁが旅立って今日でちょうど一年。
あっという間です。今でもついこの前のことのようです。

当日はみんな普通に過ごしていました。
大晦日に家族水入らずで過ごした時、おかぁの様子を見てかっちゃんもタケちゃんも少しずつ覚悟し始めていました。次の大晦日は一緒にいられるだろうか、でも次の花見はできるだろう、夏の暑い時期はなんとか乗り越えられるだろうと。

まさか、おとぅの墓参りをする筑波の桜の花が咲く前に、故郷の水戸の梅の花が咲く前に、何の前触れも無く急にいってしまうなんて。
1月30日はごく普通に過ごす一日としか思っていませんでした。全く疑うことなく過ごしていました。

最後にもう一度だけおしゃべりしたかった。
このメッセージは、 2022年5月20日に、伊藤美子さんが投稿
お母様のご冥福を心から お祈りいたします。

心うたれるご葬儀を拝見させていただきました。 お母様にお目にかかった事はありませんが 優しく 素敵な方と拝察しました。

寂しく辛いご葬儀でなく 暖かさが身に染み入り 素敵なご家族と 感動しました。

更に ご家族の絆が深まると 信じます。  お母様にお礼を申し上げます。 タンゴを通して貴重な友人 青木君と知り会えました。  素晴らしいご長男です❗  彼を 生んで下さり ありがとうございます❗ 
このメッセージは、 2022年2月16日に、原ピコさんが投稿
おばさんとの思い出は、もうかれこれ15年以上前になりますが、とても元気で足が悪くても自転車であちこち出掛けていた元気な頃でした、あの頃は恰幅も良く、シワが無いほど顔もまんまるだったのに、残念です…
沢山の猫の世話をしたり、人の為に面倒をみたり、心の綺麗なおばさんだったと思います、私も色々良くして貰い、あの頃はちゃんとしたお礼も出来ぬまま疎遠になっておりました。おばさんに真っ白い手編みのマフラーをプレゼントを頂いたり、誕生日にはお小遣いや、サプリメントのプレゼントを頂いた思い出があります、今でも白いマフラーを見ると、ふとおばさんを思い出します…その後会う機会も無くおじさんのお葬式ではげっそりと痩せていて心配でした…
今頃は沢山の猫達に守られて、おじさんと一緒に安らかに青木さんや、たけちゃんを見守っている事でしょう
良くして頂いて有り難う御座いました!
このメッセージは、 2022年2月7日に、郡司幸一さんが投稿
突然の知らせに驚きました。
想えば…物心ついた頃には、おばさんの存在は正和くん、毅くんと共にありました。
途中、道がそれた生き方をしても
真剣に向き合ってくれましたね、
おばさんと約束したことが ひとつ
それは、幸ちゃん どんなに道が曲がっても
「人様に後ろ指を刺される生き方」だけは
しない事、色々ありましたね、
最後にお会いしたのが サカエちゃんの前で
毅くんに押された車椅子の姿
大きな声で いくつひなっても、幸ちゃんって
想い出はありすぎて 選択はできないくらい
あります。 
僕も今は車椅子生活 極寒の地北海道で
第2の生活を送り 元気にやってますから
心配しないでくださいね

オイラにとってのおばさんは第2の母ちゃんかな、おばさんの作る 生姜焼きと味噌汁
また食べたいです。

こうすけより


このメッセージは、 2022年2月2日に、 ユリさんが投稿
ユリ アスセナと申しまして
アルゼンチンタンゴの歌手をしております。
正和さんとタンゴで知り合い、
正子ママへご紹介頂きました。
正子ママは民謡をお歌いになり
カラオケ教室もなさっていらして
その様子も見学させて頂いたり
民謡の会にも何回か伺わせて頂いたり
私のライブにもお越し頂いていました。
正和さんの基本には
正子ママの音楽に溢れた環境の中で
小さい頃から育まれてきた事があると
思っております。
また正子ママがタンゴをお好きで
正和さんもタンゴに興味を持ったとも
伺っております。
正和さんには 私のCD作成など音楽活動
をプロデュースして頂き、
欠かせない貴重な存在であります。
音楽の感性にもダンスにも才があり
いつも的確にアドバイスをして
下さっています。
このように正子ママの遺伝子を持った
正和さんを産んで、愛情深く育てて
下さった正子ママに言葉にならない程
心から感謝致しております。
また人生の先輩としても、
た〜くさんお喋りをさせて頂き
たかったと……
今更ながら残念でなりません。

透析3年間、お疲れさまでした。
これからは憂いなく、気持ち良く
正子ママの大好きな歌を
たくさん歌って下さいませ。

心よりご冥福をお祈り致します。
このメッセージは、 2022年2月1日に、坂本清美さんが投稿
正和君のお母さんとの思い出は小学生の時の事が一番印象深いです。PTA活動にとても積極的でした。学校行事があると必ずお母さんの姿がありました。普段も朝、学校に行くと教室の後ろの生徒の席にどっしりと座っていてPTA活動費を集金していた姿が、今でも昨日の事のように思い出されます。

卒業文集を作る時もいろいろとアドバイスをしてくれました。「字が綺麗だし、印刷のことなんでそんなに詳しいの?」と聞いたら「若い頃、印刷屋さんで働いていたのよ」と少し自慢げな笑顔で答えてくれました。

謝恩会の余興で民謡を披露することになり、正和君の尺八と何人かの有志の三味線でのレッスンが始まりました。厳しいお稽古でした。それまでお稽古の厳しさを一切知らなかった私にとって、ちょっとした試練でした。挫折しそうな時も厳しさの中に温かさと優しさで上手に私を導いてくれました。富士見台小学校で過去にも先にも、尺八と三味線の余興は無いと思います。肝っ玉母さん、本当にありがとう!

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メッセージ
このメッセージは、 2024年1月30日に、坂本清美さんが投稿
今日はおかぁの3回忌です。
年月の経つのは実に早いものです。
救急車で運ばれたと連絡が入って帝京病院に駆けつけた時の様子が昨日のことのように、今でも鮮烈に思い出されます。

カッちゃん、タケちゃん兄弟は今日はお墓参りに行きました。両親の命日、お盆、お彼岸には必ずお墓参りをする二人です。

石垣島に移住したタケちゃんはこのお墓参りのために東京に戻りました。おかぁとの暮らしにピリオドが打たれ、自分の人生を新たに歩み始めています。石垣島では介護の仕事に就き、職場で頼りにされているそうです。

カッちゃんは葬儀の仕事で忙しくしています。普段ガツガツ働かないカッちゃんがこんなに忙しくしていると天変地異が起きるかもしれません。

おかぁは今頃、極楽浄土で民謡を歌ったり三味線を弾いているのでしょうか?
あなたの自慢の息子二人は今日もしっかりと大地を踏みしめて生きています。
安心してくださいね!


このメッセージは、 2023年1月30日に、坂本清美さんが投稿
おかぁが旅立って今日でちょうど一年。
あっという間です。今でもついこの前のことのようです。

当日はみんな普通に過ごしていました。
大晦日に家族水入らずで過ごした時、おかぁの様子を見てかっちゃんもタケちゃんも少しずつ覚悟し始めていました。次の大晦日は一緒にいられるだろうか、でも次の花見はできるだろう、夏の暑い時期はなんとか乗り越えられるだろうと。

まさか、おとぅの墓参りをする筑波の桜の花が咲く前に、故郷の水戸の梅の花が咲く前に、何の前触れも無く急にいってしまうなんて。
1月30日はごく普通に過ごす一日としか思っていませんでした。全く疑うことなく過ごしていました。

最後にもう一度だけおしゃべりしたかった。
このメッセージは、 2022年5月20日に、伊藤美子さんが投稿
お母様のご冥福を心から お祈りいたします。

心うたれるご葬儀を拝見させていただきました。 お母様にお目にかかった事はありませんが 優しく 素敵な方と拝察しました。

寂しく辛いご葬儀でなく 暖かさが身に染み入り 素敵なご家族と 感動しました。

更に ご家族の絆が深まると 信じます。  お母様にお礼を申し上げます。 タンゴを通して貴重な友人 青木君と知り会えました。  素晴らしいご長男です❗  彼を 生んで下さり ありがとうございます❗ 
想いで

お誕生日

坂本清美さんが2022年11月5日に投稿
11月4日はおかぁの誕生日。
86歳になるはずでした。
毎年カッちゃんとタケちゃんはおかぁにプレゼントを贈っていました。
以前はコートやダウンジャケットなどの衣類。
最近のプレゼントは健康器具がメインでした。
そして最後のプレゼントとなったのは高周波足裏マッサージ機。足の筋肉を鍛えて室内のトイレに自分で歩いて行けるようにと兄弟で考えて贈っていました。
徐々に歩けるようになったおかぁの姿を見てみんなで喜んでいました。

今年は仏壇にケーキをお供えしました。 合掌

大晦日

坂本清美さんが2022年2月3日に投稿
ここ数年はお節料理は作らず、ネット注文しておかあとタケちゃん、かっちゃん、私の4人で食べるのが習慣になっていました。
2021年の大晦日は珍しくかっちゃんがおかあと一緒に寝て年越ししました。若い頃に一人暮らしを始めて以来、おかあと一緒に寝ることはなかったかっちゃんです。
翌日2022年の元旦はいつものように4人でお節料理を食べました。また次のお正月もその次のお正月も同じように4人で過ごせると当然のように全く疑うことなく思っていました。
まさかこれが最後になるとは...

叔母さんと呼ばせてもらって

ブンゾさんが2022年2月1日に投稿
もういい歳になってしまった甥っ子の僕にとっては、小さい子供の頃の思い出がやっぱり鮮明です。
いつも快活な笑い声を聞いていた気がします。叔父の優しい笑顔の脇にドンと存在感のある叔母の姿が…僕の記憶には刻まれてます。
何がどうと言うことはないのですが、話す内容や言葉に真ん中に筋が通ってる人だなーっと子供ながらに思っていた(恐れていた)気がします。
叔母は親戚の子だろうが全然の忖度なく叱り分別を教えていたんだろうなぁと今おじさんになった僕はしみじみ思います。
 最近は足腰が弱くなってしまって、ちょっと弱気になった叔母を心配もしていました。
同じ年代の母親をもつ立場からもそんな叔母を、見送ることになったのは寂しい限りです。
でも、きっと天国に行って叔父さんと笑いあってるんだろうなぁとも思ってます。
 内容の無い乱文となってしまいましたが、思い出と共に、改めてこの度のお悔やみ申し上げます。

いいつか