承継
この追悼サイトは、私たちの愛する家族 南園 義一を記念して作成いたしました。

享年91歳 誕生日 1929年12月1日 命日 2021年3月12日
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⭐︎モンロー防府交流記のサイトもご覧ください!
https://monroe-hofu.jimdofree.com/
☆「思い出」に、Mr.Bagnall の追悼文(日本語、英語)をUPしました。
☆「人生史」に、簡単なプロフィールを掲載しました。
☆「思い出」に、2020年医師会報に載せさせていただいた、新春随想pdfを掲載しました。(3/16)
☆「思い出」のフォトアルバムもリンクからご覧ください。こちらにも写真投稿をしていただけます。
https://photos.app.goo.gl/WdQwbETW5VoQudSV7







このメッセージは、 2024年3月12日に、原田英代さんが投稿
南園先生ご逝去の知らせに驚き、想い出を綴りたいと思いながらも、当時コンサートの日程がひしめき合っていたため、メッセージをお送りしなかった失礼をどうぞお許しください。
防府ロータリーの推薦でロータリー奨学生として留学させていただいたときから、大変お世話になってまいりました。帰国していた折に体調が芳しくなかった時、防府胃腸病院に入院させていただき、南園先生の監視下で体調を整えることのみに専念できましたのも、温かいお心遣いおかげでした。
2001年から2005年まで、秋吉台芸術村でモスクワ音楽院の教授達と共に、毎年2週間に亘るピアノのマスターコースを開催できましたのも、南園先生から多額の寄付金を頂戴し、運転資金にすることができたおかげでした。あのマスターコースで学んだ受講生達から、多くのピアニストが育っています。
南園先生が遺して下さった多くの精神的遺産を、音楽を通じて世界に発信すべく、私も今後ますます精進する覚悟です!
このメッセージは、 2024年3月12日に、SuuraJunkoさんが投稿
南園先生は医師としてだけでなく、ロータリークラブの会長として国際的に活躍され、モンロー市との交流にも尽力された本当に素晴らしい方でした。主治医としても、いつも優しく接してくださって、お会いできなくて、とても寂しいです。私の拙い水彩画を褒めてくださって、今でもその言葉に励まされています。本当にありがとうございました。
このメッセージは、 2024年3月12日に、脇正典さんが投稿
早いもので、もう3年になりますね。この間ウクライナ侵略・パレスチナ紛争、さらに1月1日には能登半島地震と南園先生没後世界は大きく危険な方に変化しています。目下は「もしトラ」を心配しています。どうぞ先生世界をお守りください。
このメッセージは、 2024年2月14日に、奈緒子桑原さんが投稿
報告
コロナで中止になっていた、防府モンロー高校生交換留学事業が、
中学3年生まで対象を広げて再開されることになりました。
藤井会長が体調が悪いという事で、桜井さんが代理で、実行委員長となって実施予定です。久しぶりにモンローの方たちに会えるかと思うと楽しみです。
このメッセージは、 2022年12月1日に、脇正典さんが投稿
11月21・22日に神戸でのロータリー研究会へ行きました。南園先生の時に広島でゾーン研究会を行ったことを思い出しました。RI理事の大変さと先生の偉大さを改めて再認識しました。脇正典
このメッセージは、 2022年3月13日に、寿浦淳子さんが投稿
数日前、ちょうど弟と南園のお義父さんについて、話をしたところでした。
90歳まで医師として勤められ、いつも穏やかで、笑みを絶やさず、偉ぶったとこは微塵もなく、深い智識と教養で様々な社会貢献にも尽力され、心から尊敬できる立派な方だったなぁと......
長年主治医でもあった南園先生、私のつたない絵を心から褒めて下さった南園先生、きっと今でも見守っていて下さると信じて、しっかり生きて行こうと思います。
本当にありがとうございました。
このメッセージは、 2022年3月12日に、柿本忠俊さんが投稿
先生!先生が亡くなられてもう1年が経つのですね。先生には胃腸科所属の際に本当にお世話になりました。ちょうど自分が外来診療の際に先生はお隣の部屋でなさっておられましたが、いつも先生の穏やかな声で接しておられました。何十年来の付き合いという方も多数おられ、まるで親友同士のような笑顔や笑い声が絶えない外来でした。孫のような年齢の自分にも気さくにお声をかけてくださり、何度か1対1でお食事をご一緒させていただきましたが、飲まれても最後までピシっと姿勢を崩されず、胃腸科の歴史から医師としての姿勢、先生が長崎先生や戸田先生と目指されてきた地域に密着した診療のなんたるかをいつもお話しされておられました。胃腸科を離れご自宅で過ごされておられた折、何度かご自宅にお招きいただきましたが、その時にもかかりつけの患者様が外から「先生元気しとる?」とお声をかけておられたり、「これ一緒に食べる?」と果物などを持ってこられたりされている姿を見て、先生方が50年間かけて築いてきたものがどういうものであったかを改めて学びました。本当にありがとうございました。まだまだ先生の足元にも及ばないひよっこですが、先生に教えていただいた医師としての志を旨に日々一歩ずつ進んでいければ思います。
ご冥福をお祈りいたします。

                                柿本
このメッセージは、 2021年4月24日に、ChataniKayokoさんが投稿
母から訃報を聞き、残念に思っています。お悔やみ申し上げます。

国際結婚の私たち夫婦をいつも暖かく迎えてくださり、叔父さんは私たち夫婦にとって一番近い親族だったように思います。おじさんの多彩な人生経験のお話はいつも興味深く、楽しく聞かせていただきました。私が小さい頃、交換留学生のお話に興味を示した私に、「そりゃ、英語ができないと無理だわ」と一言ピシャリ。それはずーっと忘れられない経験でした。長い時間をかけてようやく英語がそこそこになり、国際経験についてお話しできるようになったとき、なんだかおじさんに少し近づけたような気がしたのを覚えています。もう一度お話ししたかったなー。
心よりご冥福をお祈りいたします。
佳代子、ラルフ
このメッセージは、 2021年3月19日に、白石民彦さんが投稿
7年前、私が帰省して家業(呉服店)を継承する際、真っ先に家内と共にお伺いしたのが先生でした。奥様と共に和やかに応対していただき私の父(民造)とのロータリーでの思い出話を聞かせて頂きました。そして、「お父様には大変お世話になった」と何度も話され恐縮しておりました。また、お伺いする度に何気なく商売の状況をお尋ねいただき、その都度励ましていただきました。
茶道同好会でご一緒し防府ロータリークラブ創立60周年に際しては、来賓の皆様に亭主としてお茶のおもてなしをすべく特訓をされたのが昨日のように思い出されます。
家内と温かくなったら無理を言ってお顔を拝見させていただこうと話をしていた矢先のことでした。残念でなりません。
どうぞ安らかにお眠りください。本当にありがとうございました。
このメッセージは、 2021年3月18日に、祐司佐伯さんが投稿
南園先生、初めてご一緒したのが、ロータリーゾーン研究会でした。広島で開催するために、川妻パストガバナー、広島東南クラブの錦織パスト会長、そして、防府クラブの皆さんと頑張りましたね。
その後、ロータリーの色んな場面で「佐伯さんサイキさん…」といつも優しくお声をかけていただきました。
今年、私が広島南クラブの会長、脇さんがガバナーと縁を感じました。脇さんから先生が施設に入られてることをお聞きして少し淋しい思いをしておりました。
本当にお疲れ様でした。RI2710の為に本当に尽くされたと思います。安らかにお眠りください。

合唱
このメッセージは、 2021年3月18日に、寿浦淳子さんが投稿
いつも穏やかで、お優しい、尊敬する南園先生、長年胃の悪い私を診て下さって、ありがとうございました。
父亡き後は、義理の関係でも、私にとって理想の父のような存在でした
一緒に山響の演奏会に行ったことを懐かしく思い出します。
施設に入られてから、コロナのせいで、お会いできず、残念でした。お花見にも行かれないだろうと思い、桜の絵を描いて送りましたが、楽しんで頂けたでしょうか。それから、折に触れ紫陽花やコスモス、紅葉などで、少しでも季節を感じて下さったなら、こんなに嬉しいことはありません。
最期に奈都美ちゃんと一緒にお目にかかれなかったことだけは残念でした
棺に桜並木の絵を入れさせて頂いたので、今頃ゆっくり眺めて下さっていたら幸いです
このメッセージは、 2021年3月16日に、脇正典さんが投稿
南園元RI理事のご功績は枚挙に遑ありません。私とは防府RCで南園会長の時の幹事、RI 理事の時に私が会長でした。その後、先生の強い要請で、私が2710地区のガバナーを引き受けるようになりました。防府で行います地区大会を心待ちにされていただけに見てもらうことができなかったことは、残念でたまりません。
長期戦略委員会やRLI制度を提案導入されたことはロータリーに画期をもたらせ大きな礎となったことと思います。
先生のご功績に感謝し、送る言葉といたします。ありがとうございました。
国際ロータリー第2710地区ガバナー 脇 正典
このメッセージは、 2021年3月16日に、一成山本さんが投稿
南園先生
「山本君、もっとロータリーの勉強をしたまえ」
 先生にお会いする度に叱咤激励を受けてきました。
 私の父を看取っていただいた時には、優しい励ましの言葉をかけてくださ    いました。本当に本当にありがとうございました。
 医師会やロータリークラブでのご活躍もまた、私たちの心にいつまでも残ることでしょう。本当に長い間ありがとうございました。
 どうか安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます
 
 
 
 
このメッセージは、 2021年3月16日に、田中信治さんが投稿
南園先生。ロータリーでは大変お世話になり、ありがとうございました。
先生のおかげでロータリーでの居場所を作っていただきました。地区大会。ガバナー杯野球大会。南園野球大会(山口県内)。また近年ではお茶会等。
先生とは2廻りの同じ干支です。豆まきも一緒にさせていただきました。
心に残る数々の思い出をありがとうございました。
このメッセージは、 2021年3月16日に、藤原純子さんが投稿
突然の訃報にとても驚いています。
4年前に胃腸病院を訪れた際に初めてお会いし、ご挨拶させていただきました。
「がんばって」と優しいお声をかけていただき、とても身の引き締まる思いでした。
先生の御遺志を少しでも引き継いでいけるよう頑張っていきたいと思います。
ご指導いただきありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2021年3月15日に、茅壁希さんが投稿
大好きなおじいちゃん。
優しくてカッコ良い、自慢のおじいちゃんです。
告別式では追悼の演奏をしたけど、聞いてくれたかな?

小さい頃、よく一緒に庭の草取りをしながら、
焼きそば屋さんごっこしてたよね。
私はおじいちゃん子だったから、
その瞬間が楽しくて仕方なかったです。

大学生になってもいっぱい話をしたね。
おじいちゃんが私に言ってくれた、
「旅をしたら博物館に行きなさい。歴史を学べるから」
という言葉が忘れられません。
あれから私はその言葉を実践してるよ。
これからもずっと続けます。

おじいちゃんの孫であることは私の誇りです。
ずっとずっと大好きです。
このメッセージは、 2021年3月15日に、竹尾幸子さんが投稿
突然の悲報に驚いております。
防府消化器病センターに奉げられた人生でした。本当に感謝してもしきれません。まだまだ足元にも及びませんが、私も微力ながら続けられる限り引き継いでいきたいと思います。ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2021年3月15日に、神徳眞也さんが投稿
南園先生 大変長くご指導いただき、ありがとうございました。
先生に最初にお会いしたのは、35歳で三田尻病院に戻ってきた私を、防府医師会の理事に推薦していただいた時です。「どうだね、神徳君、医師会でみんなの為にやってみないかい?」と優しい笑顔でお誘いいただきました。以来、30年間にわたり、常に優しく親身になりご指導いただき、心から感謝申しげます。ありがとうございました。
これからは、奥様とお二人、ゆっくりとした日々の中でお過ごしください。
このメッセージは、 2021年3月14日に、BagnallDavidさんが投稿
Any one who knows me knows that I have many, many Japanese friends.

Yoshikazu Minamisono ranks up there as one of the best of those friends. He was a true gentle gentleman! A man with great vision and a man with the kindest of hearts. 

His support of Rotary International was beyond reproach! He was proud to be a Rotarian and lived his life following all of RI principles and the organization’s 4-Way Test.

I met Dr. Minamisono in the early 1990s when he made his first of several visits to Monroe. I knew the first time I met him that he was a very special person.

At the time I was President of the Monroe County Chamber of Commerce and had been asked to carry the Monroe torch to cultivate the Monroe-Hofu relationship. 

Yoshi and I had many, many meetings that also included his wonderful wife, Setsuko; Ichiro Kuwahara of the Hofu City Staff, and Nobu Shimazaki of Delta Kogyo/Delta USA who lived in Monroe at the time and was my translator. 

Through those series of meetings in both Japan and Monroe — some of which lasted into the early morning hours — we were able to scratch out plans for what became in April, 1993 the Monroe-Hofu Sister City Program. 

That strong 28-year relationship between city governments and citizens of both cities — along with the Monroe-Hofu Student Exchange Program that also was planned during those same meetings I had with Dr. Minamisono — still goes on today.  And the bond continues to grow stronger each year, becoming one of the most outstanding Sister City relationship around. 

I am so proud to have been one of the Founding Fathers of the Monroe-Hofu relationships. And I am more proud to have been able to have Dr. Minamisono’s friendship and work side-by-side with him to make all of it happen. 

Rest In Peace, Yoshi! I will never forget you and Setsuko. My deepest sympathy for his family and the friends he made around the world. 
このメッセージは、 2021年3月15日に、藤井勇夫さんが投稿
南園先生
先生の突然の訃報に接し、ただただ驚いております。
先生は、初代防府・モンロー国際交流市民の会・会長として、1992年、アメリカ、ミシガン州モンロー市との友好交流のさきがけとなる高校生の夏季相互留学プログラムを創設されました。それが早くも、翌年、両市の姉妹締結に繋がることとなりました。
そこに至るまで、モンロー市のMr. Bagnallなどと共に、語り尽くせぬほどの数々のご苦労があったことでしょう。先生のそのようなご苦労が、現在の両市の友好交流の礎となり、発展を続けております。
先生と奥様が2010年に刊行された モンロー交流記 にはそのあたりの両市の友好交流の足跡が克明に記されております。
両市の友好交流事業の創設と若者たちの人材育成へと先生をそこまで突き動かしたものは何だったのでしょうか。
先生たちの草創期の意欲的なご努力やご苦労を知らない私は、折に触れて今も モンロー交流記 を読み返しています。それは現在の国際交流市民の会・会長をさせていただいてい私にとっては、常に原点に帰るためのバイブルです。
防府・モンロー両市の友好交流は、30年を迎えようとしています。今後もますます発展継続するよう、どうぞこれからもお見守りくださいますようお願い申し上げます。
このメッセージは、 2021年3月14日に、岩城克枝さんが投稿
桑原様、この度は本当にお寂しくなりましたね。桑原様のお父様お母様に初めてお会いしたのは高村正彦さんが外務大臣の時、国際交流に尽力した人たちの交流会にお招きいただいた時です。南園先生も私たちも夫婦での参加でした。夫はロータリーで先生と懇意にしてもらってましたので写真を撮りあったり一緒に食事したりと楽しく有意義な時を過ごさせて戴きました。その後東京から帰ってもお互いが撮り合った写真を手紙と一緒に送ったりしました。それが御縁でお母様が声をかけてくださり、ソロプチミストに入会させて戴いたのです。夫が亡くなる時はお父様が最後までしっかりと寄り添って下さいました。私にとって南園様ご夫妻は憧れであり、目標でした。お父様に、お母様に感謝を込めてメッセージをお送り致します。お2人の素晴らしい人生はいつまでも私たちの心に残ります。ありがとうございました。        岩城

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このメッセージは、 2024年3月12日に、原田英代さんが投稿
南園先生ご逝去の知らせに驚き、想い出を綴りたいと思いながらも、当時コンサートの日程がひしめき合っていたため、メッセージをお送りしなかった失礼をどうぞお許しください。
防府ロータリーの推薦でロータリー奨学生として留学させていただいたときから、大変お世話になってまいりました。帰国していた折に体調が芳しくなかった時、防府胃腸病院に入院させていただき、南園先生の監視下で体調を整えることのみに専念できましたのも、温かいお心遣いおかげでした。
2001年から2005年まで、秋吉台芸術村でモスクワ音楽院の教授達と共に、毎年2週間に亘るピアノのマスターコースを開催できましたのも、南園先生から多額の寄付金を頂戴し、運転資金にすることができたおかげでした。あのマスターコースで学んだ受講生達から、多くのピアニストが育っています。
南園先生が遺して下さった多くの精神的遺産を、音楽を通じて世界に発信すべく、私も今後ますます精進する覚悟です!
このメッセージは、 2024年3月12日に、SuuraJunkoさんが投稿
南園先生は医師としてだけでなく、ロータリークラブの会長として国際的に活躍され、モンロー市との交流にも尽力された本当に素晴らしい方でした。主治医としても、いつも優しく接してくださって、お会いできなくて、とても寂しいです。私の拙い水彩画を褒めてくださって、今でもその言葉に励まされています。本当にありがとうございました。
このメッセージは、 2024年3月12日に、脇正典さんが投稿
早いもので、もう3年になりますね。この間ウクライナ侵略・パレスチナ紛争、さらに1月1日には能登半島地震と南園先生没後世界は大きく危険な方に変化しています。目下は「もしトラ」を心配しています。どうぞ先生世界をお守りください。
大切な方の思いで

南園義一プロフィール

1929年12月 1日 鹿児島生まれ
1955年3月     千葉大学医学部卒業
1966年12月    防府胃腸病院共同開設
1994年-96年   防府医師会会長
1999年       防府消化器病センター前理事長、顧問

1978年5月     防府ロータリークラブ入会
1991ー92年    第35代防府ロータリークラブ会長
1997ー98年    国際ロータリー第2710地区ガバナー
2004ー06年    国際ロータリー理事

1992ー2003年  防府・モンロー国際交流市民の会会長
1993年~  ?   防府市国際交流団体連絡協議会会長
1999年ー2006年 山口県国際交流協会理事
想いで

Mr.Bagnallの追悼の辞(日本語、英語)

奈緒子桑原さんが2021年3月18日に投稿
バグナルさんからいただいた追悼文を、翻訳していただきました。
ぜひご一読ください。

新春随想2020

奈緒子桑原さんが2021年3月16日に投稿
2020年1月の医師会会報に掲載。
アメリカ留学時の思い出がつづられています。

思い出のアルバム

奈緒子桑原さんが2021年3月13日に投稿
下記リンクから、思い出の写真がごらんいただけます。
皆様の思い出の写真も追加することができます。
https://photos.app.goo.gl/WdQwbETW5VoQudSV7