承継
東京都立神経病院 脳神経外科の磯尾と申します。このたび、当院支援のもと、谷口真先生の追悼サイトを開設させて頂きました。

 谷口真先生は脳神経外科医として長年沢山の患者様の治療にあたってこられました。首都圏のみならず日本全国から患者様が集まって来て下さり、他の施設では治療が難しいケースでも果敢に患者様と一緒に闘う、そんな強くてあたたかく、そしてユーモアも忘れない先生でした。
 2020年9月半ば、谷口先生は体調を崩され、10月11日に逝去されました。私たち病院スタッフも急なことでただ呆然としています。
  世間は折しも新型コロナウイルス感染症のニュースで喧しく、お別れ会の計画もすぐには進められません。谷口先生への思いを持って行く場が分からずに、心が迷子になってしまった方が沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
 本サイトは谷口先生へのメッセージ、谷口先生を慕う人たちと分かち合いたい思い出話や気持ちを持ち寄る場としてご利用頂けますと幸いです。短くても、言葉にするとありきたりになってしまっても構いません。ぜひ投稿をお寄せ下さい。写真も投稿できますので、思い出の品や写真があればぜひ投稿して下さい。谷口先生がきっと喜んで下さいます。よろしくお願いします。
このメッセージは、 2023年5月31日に、磯尾綾子さんが投稿
 神経病院脳神経外科の磯尾です。
 5月6日に行われました谷口真先生を偲ぶ会にはたくさんの方々にお越し頂き、ありがとうございました。また、いらっしゃれなかったもののご支援下さった方、思いを寄せて下さった方、全ての方に感謝申し上げます。

 当日は15時受付開始でしたが、私たちスタッフは少し早めに到着して準備を始めました。会場に着いてびっくり、扉を開けるとホテルの一番広いホールが皆様からの供花で埋め尽くされており、目も眩むような豪華さでした。改めて谷口先生の人望の高さを感じました。
 来て下さった方がエレベーターを降りると谷口先生の等身大のぼりがお出迎え。受付開始からセレモニーが始まるまでの間、患者様の鈴木亜子様がピアノの生演奏をして下さいました。鈴木様は「谷口先生のおかげで私は演奏が続けられているのだから」とおっしゃって自ら生演奏を申し出て下さいました。この場をお借りして御礼申し上げます。
 祭壇の上にはお花に埋もれるように谷口先生の遺影が飾られました。黒目がちの瞳で、はにかんだように微笑む谷口先生。患者様、御家族、脳外科だけでなくさまざまな科のあらゆる年代の医師、看護師さん・・・200人以上もの人が先生を慕って集まったのを見て照れていらっしゃるようにも見えました。
 セレモニーが始まる前に、来た方からゆっくりと献花して頂きました。多くの方が谷口先生に心の中で語りかけて下さったことと思います。そして谷口先生もじっと聴いて下さっていたことでしょう。
 定刻に神経病院脳神経外科部長の高井敬介先生から開会の辞を頂き、セレモニーが始まりました。最初に全員で黙祷を捧げました。そして谷口先生の御略歴を紹介後、お二人から弔辞を頂きました。一人は患者様ご家族の川崎様、もう一人は谷口先生の教え子である岩室宏一先生でした。どちらも心に沁みるいいお話を頂き、患者様ご家族様だけでなく、いつもは冷静な病院スタッフの目にも涙が浮かんでいました。その後、スタッフによる献花をさせて頂きました。既に皆様が献花して下さったパステル調の色とりどりのカーネーションがふんわりとテーブルの上に並んでいて、虹のようで印象的でした。最後に谷口先生の奥様から頂いたご挨拶を司会者が代読させて頂きました。一部を抜粋して掲載させて頂きます。

「谷口真は、世間の人はどう感じていたかわかりませんが、出世や権力や、名誉には、無頓着な人でした。お願いされると断われず、冗談や、調子に乗ると、話が止まらない人でした。
 でも、常に、患者さん第一、病院第一で、本当に、不器用なくらい真面目な、優しい人でした。たぶん、医者という職業以外は、出来ない人だったでしょう。・・・」

 少し無理をして来て下さっている方が何人もいらっしゃったことを考慮して、セレモニーはあまり長くならないようにさせて頂きましたが、心に残る、とても良い会だったと思います。

 なお、偲ぶ会の予算をやり繰りして、この追悼サイトを永年契約に切り替えさせて頂きました。谷口先生に会いたくなったら、安心していつでも訪ねることができるように。

 改めまして、皆様に感謝申し上げます。
 これからも、ぽつりぽつりとでも良いので、思い出したときにメッセージを頂けると嬉しいです。
このメッセージは、 2023年3月25日に、相沢美和子さんが投稿
谷口ドクター!
呼べば振り返りそう
未だに信じられません
これからの身体の不安と谷口ドクターがいない喪失感
誰もわかってもらえない
そんな中こちらのサイトを知りました
18年くらい前、原因不明で病院を転々として、とうとう動けなくなり、谷口ドクターと寺尾先生に診てもらうことになりました
もうダメだと思っていた命を谷口ドクターに救って頂きました
でも身体自体は元気なのでまた腫瘍ができてしまい計三回手術してもらいました!
辛くても三ヶ月に一回、半年に一回谷口ドクターに会えるのを楽しみしていただけに本当に残念です
助けて頂いた命なので、不自由な身体ですが一生懸命生きていきたいと思っています
ただただ悲しくて病院のたびに思い出すし、テレビで同じ名前の先生が出ると思い出すし、まだまだ谷口ロスは続きそうです

でもこのサイトをみて同じ気持ちの方がたくさんいることを知り、少し落ち着きました
サイト関係者の方々本当にありがとうございます

そして谷口先生
本当にありがとうございました!
(手が不自由のため代筆 娘)
このメッセージは、 2023年3月8日に、磯尾綾子さんが投稿
「谷口真先生を偲ぶ会」のご案内

謹啓 早春の候、皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて 当院脳神経外科前部⻑の谷口真先生を偲ぶ会を下記の通り執り行うことに致しましたので、ご参会賜りますようご案内申し上げます。
 谷口真先生は令和2年 10 月 11 日に逝去されましたが、新型コロナウイルス感染症の流行により、お別れの会などの開催をこれまで控えさせて頂いておりました。医療関係者だけではなく、多くの患者様やご友人の皆様にお集まり頂き、生前の谷口先生の業績やお人柄を振り返るひとときにしたいと存じます。当日は平服でご参加下さる様お願い申し上げます。 謹白

令和5年 3 月
           
             有志代表 東京都立神経病院 脳神経外科 高井敬介

              記
日時 令和5年 5月 6 日(土曜日)
 午後4時より セレモニー  (受付開始 午後3時)
 終了予定 午後 5 時頃

(セレモニー終了後、会場は医療関係者の懇親会に移行させて頂きますのでご了承下さい。)

場所 ホテルエミシア東京立川 4階 カルログランデ
(クロークは 1 階フロント横にございます)
東京都立川市曙町2丁目14番16号
https://www.hotel-emisia.com/tokyotachikawa/

会費 2,000 円
(事前振込をお願いします。献花、ご家族への記念品代を含みます。)

 御香典は固く辞退させて頂きます。
 御供花については一基 16,500 円、一対 33,000 円(税込)で事前に承りますので下記フォームにてお知らせ下さい。

  なお、現在運営している追悼サイトは神経病院の支援を受けてスタートしましたが、病院からの支援は終了しました。会費から余剰金が発生した場合、追悼サイトの維持費に使用させて頂きますことをご了承頂けますようお願い申し上げます。

 お手数ですが下記 URL にアクセスして頂き、出欠および御供花のご希望につきまして 3 月 31 日(金曜日)までにお知らせ下さいますようお願い申し上げます。会費、供花代金の振 込についてのご案内はフォームに記載してあります。 https://forms.gle/WsngohjqnRophjv46
 

出欠の回答はお一人様一回のみでお願いします。

変更、問い合わせ先:[email protected]
このメッセージは、 2022年12月16日に、鈴木勝章さんが投稿
私は20年以上前、まだ谷口先生が東大の医局にいらっしゃった時にお会いしました。業務の関係で朝、お伺いすると「今朝は手術で朝までかかったよ」とおにぎりを頬張りながら、米粒を頬っぺたにつけながら、笑顔でいつも応対して頂きました。お医者様なのにいろいろな事すべてに精通されており、疲れていてもよくよくご指導して頂きました。15年ぐらい前には娘が都立神経病院にお世話になり谷口先生のおかげで今は立派に看護師となっております。
今でも信じられない気持ちで一杯です。何で谷口先生が・・悲しい。
心からご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2022年6月29日に、福間絢子さんが投稿
谷口先生

医学部を目指していた高校生の時(20年前)に都立神経病院脳神経内科に初診しました。胸郭出口症候群と言う事で、ブロック注射のために脳神経外科を紹介され、お会いしたのが、谷口先生でした。センター試験や国立2次試験前に入院調整をし、ブロック注射をして頂き、大学生になりました。ただ、私の場合、幼少期から様々な症状があり胸郭出口症候群だけでは説明がつかず、他院からは未知の病である可能性を指摘されていました。そのため、ブロック注射は中止し脳神経内科に転科して以来、谷口先生にはお会いしておりませんが、大学受験で緊張する私をユーモアあるたくさんのお言葉で励まして頂きました。ありがとうございました。

谷口先生、あの後世界でも10例前後しか報告がない全身性の希少難治性疾患だと判明しました。3年前に脳浮腫から四肢不全麻痺となり筋緊張亢進等ありますが、現在は司法試験受験生です。脳神経内科には受診継続中です。そして同じ病で兄が26歳で旅立ちました。人生には苦しい事がたくさんありますが、頑張っております。谷口先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
このメッセージは、 2021年12月10日に、土田扶門さんが投稿
脊髄神経鞘腫の摘出で2015年11月と2019年1月の2回の手術でお世話になりました(部位的に2回にわける必要があったそうです)。

「治療の品質保証のためには向こう5年くらいは診させてほしいんだよね~」とおっしゃっていて、2020年1月の術後1年の検診時に、「いまのところ問題ないから、2年後に来てね。」と言われ、「先生も元気でいてくださいね!」と話して帰ったのが最後になってしまいました。。別に虫の知らせでもなんでもなく、
社交辞令的に言っただけだったのですが。

時期が来たので、予約をとるために、多摩総合医療センターに電話したところ訃報を知らされ。。昨年の秋に亡くなっていたなんて。。絶句。本当に衝撃です。
もう一度お会いしたかった。

谷口先生との出会いは、近所の整形外科の先生からのご紹介でした。数年前からの左半身の痺れがひどくなってきたときに、MRIで病気が判明し、「神経鞘腫で脊髄が圧迫されてますね。神経科じゃないと診れないから誰かその道の先生お知り合いにいますか?」「いえ。。」「学会で会ったことしかないけど、都立神経病院の谷口先生に紹介状書きますね」ということで、診察を受けることができました。

「すぐ手術しましょう」ってことになって、術後、ウソのように痺れが消えました。背骨ひとつ外して脊髄切開の10時間以上の大変な手術。本当に感謝しかありません。

診察時、とにかくよくしゃべる方でしたが、言葉のはしばしにインテリジェンスを感じる、そういう方でもありました。僕は神経病院の入院中は3階の売店がある面会フロアが好きで、よくそこで佇んでいたのですが、谷口先生は通りかかるたびにきさくに声をかけてくれたりして、大切な思い出になっています。

僕は本当にラッキーだったと思っています。神経鞘腫になってしまったのはアンラッキーですが、谷口先生のようなすばらしい名医に巡り合えて、病気も快癒したのですから。

ほかにも大変な患者さんを診ていらして、命を燃やして燃やし尽くしてしまわれたのであろうと思います。しかしながら、谷口先生に救われた方は僕も含めてたくさんいらっしゃるはずで、短くとも偉大な人生であったと感じます。心からご冥福をお祈りいたします。

このメッセージは、 2021年11月22日に、増田拡与さんが投稿
14年前のある日、左手が痺れ突然つまづきやすくなり体に違和感を感じました。10歳の頃に地元大阪の病院で頸椎の腫瘍摘出手術をしていたので、20年の時が経ちどこか悪くなったのかとネット検索をしたのが始まりでした。
昭和大学横浜市北部病院に当時勤務されていた小林信介先生の携帯電話番号がネットに掲載されていて電話をしてみると小林先生に直接繋がり診ていただけることに。2007年11月下旬そこでの検査で腫瘍がみつかり再発であれば難しい手術になるからと谷口先生をご紹介いただきました。
小林先生が谷口先生の携帯に電話をして予約をとってくださり府中病院へ診察に。大阪から来た私にゆっくり診察時間がとれるよう、その日最後の枠でした。20年前にはわかっていなかった血管腫の話をわかりやすく丁寧に説明いただき、自分も大阪出身だとか、ネットに携帯番号を載せる小林先生は不用心だとかブツブツと呟きながら対応いただきました。一目惚れに近い感覚でその場で入院日を決め何度も大阪で手術をするよう勧められましたが、決意がゆらぐことなく谷口先生に手術をお願いしました。初診が12月初め、12月中旬に入院し翌月の1月に手術を。
術後2週間ほど調子が悪く寝たきりの状態でしたが毎日様子を見にきてくださり休みの日には自転車できたと私服で現れ(無言で足元に数十秒立たれたので変質者と間違えました!)たり、元気になってからも、私が持っていたすべらない話のDVDを先生に貸し、トランスフォーマーのDVDを先生に借りたりと、愉快な入院生活をおくりました。部長回診などで磯尾先生たちに指導されている姿は素人ながらも谷口先生の凄さが伝わり病室の入院仲間とため息(惚れ惚れ)の連続でした。
谷口先生に手術をしていただくにあたり1986年の手術記録を大阪の病院より取り寄せましたがレントゲン写真は残っておらず当時の手書きの記録からは詳しいことは分からず困っていた私に先生が、「自分(谷口先生)がいなくなってしまった時にまた分からなくなったら困るだろ?」と、とても詳しく手術内容を記載した記録を作成してくれました。
その日がこんなにも早くくるなんて…。

神経病院のHPを久しぶりに検索し谷口先生の訃報を知りました。
何年か会っていなかったのでまだ信じられない、信じたくない気持ちです。
初めて会ったあの日、直感で凄い先生だと思いましたがこの追悼サイトや日本医科大学の先生の追悼記事を読み本当に凄いお医者様に診ていただけたのだと実感しております。

私は谷口先生に名前で呼ばれたことがありません。
今日も診察室の扉を開けると、またあのニコニコ顔で言われそうです。
「よっ!来たかー。大阪のねーちゃん!」と。
一目惚れをしているのに切ない・・・。
このメッセージは、 2021年9月15日に、長井久美子さんが投稿
仙骨くも膜嚢胞でお世話になりました。
地元の病院で紹介状を書いてもらい、先生を頼って受診しました。
とてもほんわかにユーモアを交えて説明して頂き、即答で手術をお願いしました。
手術当日、手術室に入るや否や「今日は父ちゃんどうしてる?」と言われたことが 脳裏から離れません。 きっと手術で不安に思っている私を思ってのお言葉だったのでしょうね!
退院後 1ヶ月後の診察では谷口先生が体調を崩されたということで 磯尾先生の診察になり、2ヶ月後の診察で訃報を知らされました。
ついに退院後一度もお会いすることが叶いませんでした。
2ヶ月間という短い期間でしたが、有難うございました。
ご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2021年7月22日に、櫻田和詔さんが投稿
私は、後縦靭帯骨化症・広範脊柱管狭窄症の指定難病を受けていて、今回更新手続きのため受診予約を入れたところ、谷口先生の訃報を知らされ、一瞬声が出なくなりました。信じられませんでした。
今頃になって知ったのは、昨年の難病更新手続きが、コロナ禍の中申請無しで前年の継続扱いとなった為、病気の方も、一部生活に不自由はあるものの特に進行もなく、コロナ禍の中通院を自粛していて気が付いたら1年以上ご無沙汰になっていました。申し訳ありませんでした。

谷口先生~ 櫻田です。 先生とは、約11年間のお付き合いになり、内3回の手術(脊髄2回、腰髄1回)をして頂き、大変お世話になりまして有難うございました。その都度体調の改善が見られ日常生活はそれ程不自由は感じておりませんでしたが、その後、新たに指先等に痺れが時々発生する表情があり、検査結果、抹消神経による影響との事で、「何時でも手術してやるぞ。」と言われ、様子見の状況でした。先生、手術して欲しいのですが何時してもらえますか?・・・無理ですよね。 残念です。
  62歳! 早すぎです。 

私と、谷口先生との出会いは、2009年2月10日外来初受診。 それまでは、頸椎専門の民間医療施設(当時、マスコミTV等で紹介人気のドクター施設)に通院しており、2008年の暮、道端で転倒し顔面強打で手の痺れ痛み、手足の動作にぎこちなさがあり、担当医に、相談手術を依頼したら、「当医院では、櫻田さんの場合、手術時のリスクが大きいため施設の整った病院を紹介するから」と言うことで、都立神経病院の谷口先生を紹介されたのでした。

その後、神経病院に入院検査(その時の、担当医は磯尾先生でしたね。お世話になりました)そして、谷口先生から、「後縦靭帯骨化症だな。この程度なら大丈夫。問題ないヨ。」頸椎C2~5部の狭窄について、事細かな、わかり易く理解しやすい説明があり、この先生なら安心してお任せ出来るねと女房も納得。難病申請手続き。認可後、手術となりました。(手術時間約9時間と女房に聞かされた。入院約50日)術後の経過も良かったのですが、2015年度の難病申請時にMRI検査をしたら、頸椎C1部の狭窄が認められ、先生と相談の結果、ほっといても良くないので2回目の手術実施(手術時間約6時間)無事終了。その後、腰部の痛さがあり手術。首と腰の痛さの因果関係について、悩んだり先生を困らせた(?)ことも・・・と、まあ~ 先生との思い出が走馬灯のように浮かんでき・・・ 涙が浮かんできます。手術入院関連の話はこの辺にします。

通院時、2階No.3診察室での「お早うございます」「オー、君か。元気そうだネ。」から始まる診察。にやけた様なそうでない様な優しい顔が印象にあります。そういう時に気になるのが、あのお腹でした。あのお腹にしているのは、もしかしたら自分ら患者者なかろうかと。”手術に入ると、食事は勿論、飲食もせずオペ室から出ることなく何時間も治療に専念”するとの事。結果、不規則な食事、睡眠等が原因しているのでは・・・であれば大変申し訳ありませんです。いくら患者の為とはいえ頑張る先生に、味方の神様はいなかったのでしょうか?

今後も、神経病院とのお付き合いが続きますが、現在の私が元気でいるのは、良い病院と、良い先生に巡り合えたものと感謝に堪えません。

谷口先生、長長時間の治療対応本当に有難うございました。
あの、ほっこり顔(失礼)が見れないのが寂しく悲しいです。
「オー・・・」から始まる会話・・・ もう出来ないんですネ。
色々とお世話になりまして有難うございました。感謝感謝です。
抹消神経の手術は、後任の先生に頼みます。ご安心を。
今は、天国で酒でも飲みながらゆっくり休んで下さい。

やっと、谷口先生にお別れの挨拶が出来ました。
この場を提供して頂きました磯尾先生、有難うございました。
このメッセージは、 2021年5月30日に、山崎純平さんが投稿
私が初めて、谷口先生に会ったのは19年前の時です
私は中学1年生でした。
地元の病院では、治療法がなく、都立神経病院の神経内科、横地先生を頼って行き、そこで脳神経外科の谷口先生に手術をして頂くのに、横地先生と谷口先生に状態を診てもらいました。

私はまだ、子供だったので、手術の怖さ、足の不随意運動で横地先生を蹴ってしまったのです。
まぁ、事故なんですけどね〜(笑)

それから、半年待ちのはずが3週間後くらいにDBS手術を受けました。

先生のおかげで、今では、歩いて仕事も出来るようになりました。

フルリクの車椅子で不随意運動で寝たきりだった私をここまでして頂いて、感謝をいくら伝えても足りません。
その後も、胸の電池交換で入院するたびに、エレベーターの中で「純平大分良くなったな〜」

部長回診で先生は他の若い先生に必ずと言って良いほど、「純平は初めて来た時に横地先生を蹴ったんだよ〜」と言っていました。
最初はまた、自分の事故で蹴っちゃった話を笑話してるなってあまり良い気持ちはしませんでした、でも、5年後、9年後、14年後、去年の夏、入院する為に先生はその話をしていました。

そこで私の個人的な考えですが、先生にとっても良い思い出なんじゃないかと、私、自身も入院するたびに多くは話さなかったですが、先生から一言、ぼそっと声を掛けてくれました。
そうやって、私の事を良く知らない先生にも、昔の私の出来事を嬉しそうに話していて、私は谷口先生の1患者なのに19年、経っても、忘れずに変わらずに、先生の記憶の中に居られた事を嬉しく思っています!

何十年経ってもこうして、気にかけて頂けて、私も父親のように思っていました。
今度の入院でその存在が居ないと思うと、とても悲しいです!
去年入院した時も、谷口先生はエレベーターホールで私に「純平のが、元気だな〜 疲れたよ!」みたいに珍しく弱音を吐いていたので、あれっとは思ったので「先生もお体、気をつけて下さいね」と伝えると「純平に心配される日来るとはな」と言ってエレベーターの中に消えて行きました。
私、個人の解釈ですが、その時の先生の表情は嬉しそうでもあり、悲しそうでもあるように見えました。
今回、このような悲しい知らせを知り、もっと話をしておけば良かったなと、思いすこし後悔しています。

去年入院の後、程なくして、旅立ったのはショックです。

ですが、先生の心の中にギリギリまで、居られたことは私の誇りです。

この19年間、ありがとうございました!
これからも、私は谷口先生をもう一人の父親だと思っています!

心から、ご冥福をお祈りします。

最後にこのような、場所を提供して頂きました、磯尾先生、ありがとうございます。
このメッセージは、 2021年4月30日に、hoyuさんが投稿
昨年末、友人から谷口先生の訃報を聞いた時、走馬灯のように先生との思い出が浮かび、もっともっと伝えたかった感謝の想いや今後の不安で感情が溢れ、外でしたが涙が止めることが出来きませんでした。こういった場を頂け本当に感謝しております。

谷口先生には、当時生後4ヶ月だった娘の二分脊椎の手術で大変お世話になりました。当時、生後間もない我が子に手術をしなくてはいけないといった現実に、妊婦中の自分せいと責め、毎日手術の不安と恐怖でいっぱいでした。しかし谷口先生の、この病気に対する知識の豊富さや励ましのおかげで、私と家族の心を支えて下さいました。本当に激務の中でも、お時間を作って頂き、納得いくまで説明して下さり、神経病院から小児医療総合の診察室まで、大きなお身体で坂道を往復し毎度汗だくになっていた先生が心配になるほどでした。手術の必要性など無知な私達に分かりやすく教えてくれ、最後は心からこの先生なら任せられる!先生に出会えて良かった!と感じていました。

また、先生は親戚のおじさんのような親しみやすさとユーモアがあり「あの子はクセの強い子だなぁ」と手術中の面白いエピソードを術後に話てくれたり、経過観察の検診時は「俺が抱っこしても泣かないんだよな~^^」と少し照れた感じで娘を抱いてくれた優しい笑顔が忘れられません。

あの当時を思い返すと必死でしたが、ちゃんと感謝の気持ちを先生に伝えれてたのかな..と今でも心残りです。今娘も2歳半を過ぎ、元気に走り回っている姿を見ると、それが当たり前とは決して思えず、今があることに谷口先生始め、支えて下さった皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございました!!

まだ経過観察中なので、正直先生が居ないことが不安で、3歳の検診ではまた成長した娘を見てほしかったです。先生から「もう大丈夫」というお言葉を聞きたかったです。

純粋で強く優しい先生の存在を一生忘れません。沢山の人を救うため、自分の身を削って働いておられた谷口先生は、本当にすごいお人で尊敬しています。娘ももっと大きくなって手術の傷の事が分かるようになったら、谷口先生のことを話したいと思っています。

天国でゆっくり休んでくださいね。ご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2021年4月6日に、 エリコさんが投稿
谷口先生  今は少しはごゆっくりされてるといいのですけれど。。

自分の手術に付き添った家族が、術後の先生のご説明のときに、術後ほやほやな 頭から湯気がでてるお姿で 大丈夫だよ って言ってくださったのが、後からきいて、先生らしいなぁと。

病院の同室の谷口先生から手術を受けられた方とも
いまではとても仲良くさせて頂いていて、先生の訃報を聞いた時には二人で涙しました。
自分に先生を紹介してくださった方もとても良い方
で、今でも交友があります。

先生は病気を治すだけでなくて、人と人を繋げてくださったのですね。
今ではその方々に支えられている自分です。

私達 先生の患者達は強いですよ!
病気に負けません!!

だから心配なさらずに、しばしの間 ごゆっくりされて下さい。

本当にありがとうございました。
先生 永遠に大好きです❤️

このメッセージは、 2021年4月1日に、高城一雅さんが投稿
三度の手術のおかげで 痛みから 開放され 感謝しております
退院し 半年後の 診察にて 訃報を聞き
感謝の 気持ち 伝えられなく
残念で なりません
ご冥福お祈りします
このメッセージは、 2021年3月27日に、大田和子さんが投稿
昨年10月に診察室に入っていくと、磯尾先生がおられたので、"谷口先生は急な出張で診察が出来なくなられたのかな?” と思いながら席に着きました。しかし、知らされたのは出張ではなく、谷口先生の永遠の旅立ちでした。本当にびっくりしました。

先生との出会いは、約9年前になります。脊柱管狭窄症で手術をしていただいて,それ以来のお付き合いでした。後縦靭帯骨化症という病気も抱えているので、その後も診て頂いておりました。いつも、ざっくばらんに話しかけてくださり、私も言いたいことを言って先生と過ごした時間が懐かしく思い浮かびます。 

先生、何故そんなに早く逝ってしまわれたのですか。本当にもうあの優しいお顔が見られないなんて残念でたまりません。医療の激務から解放された今、どうかゆったりと天国でお過ごしください。そして、先生を慕っている者たちを、見守っていてください。

心より、ご冥福をお祈りいたしております。
このメッセージは、 2021年3月18日に、佐々木かおりさんが投稿
はじめまして。
谷口先生のご逝去を知り、ただただ、驚いております。
2019年の春、主人が谷口先生にDREZ手術をしていただきました。
バイク事故から30年、苦しんだあの「痛みの地獄生活」から解放されました。
今では。痛みのことはすっかり忘れてしまいましたが、
先生のことは、生涯忘れることはございません。
もし、神様がいるとしたら・・・私達の神は谷口先生です。
本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2021年3月13日に、学速水さんが投稿
大変お世話になりました。
必ず完全復活してステージに戻ります。
天国から
僕の歌を聞いて下さい。
本当にありがとうございました。
ゆっくり休んで下さい。
このメッセージは、 2021年3月1日に、坂本浩美さんが投稿
谷口先生に助けていただいた息子は二十歳の誕生日をむかえることが出来ました。11年間診察をしていただき感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
不思議ですよね。人生限りがあるのにずっとずっと谷口先生に息子を診て貰えるような感覚に陥っていました。

先生の訃報を聞いた時は頭の中か真っ白になり、今までの出来事が走馬灯のように浮かんできました。
改めて昨年9月12日の診察日に息子がパニックを起こして病院に向かうことが出来ずに母親の私一人が検査結果を聞きに行った事が悔やまれてなりません。


「横綱~また大きくなったなぁ。お母さん追い越したな」
「横綱~ますます大きくなっているぞ」
(我が家の息子は高度肥満です)3番診察室から先生の声が今でも聞こえてくるようです。

手術の度に心配性な家族のメンタルも整えて下さいましたよね。
先生と話しているうちに家族も落ち着きを取り戻し親子共々谷口先生にはお世話になりました。

ありがとうございます。先生のご冥福を祈っております。
このメッセージは、 2021年2月15日に、市木仁さんが投稿
谷口先生
大変お世話になりました。
先生の示唆に富んだお話から多くの事を考え、学びました。
ありがとうございました。
このメッセージは、 2021年2月8日に、松井ともこさんが投稿
先月、谷口先生の診察の予約を入れていただこうとしたところ、先生の訃報を知りました。
本当に驚き、残念で、しばらく呆然としてしまいました。
一般的とはいえない様々な症状があり、他の病院では、分からない診れない等と言われたりしましたが、谷口先生は親身に向き合ってくださいました。先生に診ていただけること、先生がいてくださることが、拠り所でした。
最後にお会いした時、「でもなんか元気そうで良かったよ、またな」と、言ってくださった気さくな笑顔が思い出されます。
こちらの皆様の投稿を見て、先生の温かいお人柄を改めて感じられました。
先生、本当に無念だったことと思います。
天国ではゆっくり休まれてください。
本当にありがとうございました。
このメッセージは、 2021年2月7日に、尾崎隆さんが投稿
谷口先生の訃報を知った時は驚きました。まさかと思いました。術後の経過は最高に良いと、ご報告出来なくて残念でたまりません。名医谷口先生のご冥福をお祈り申し上げます。谷口先生の手術を受けまして、腕神経叢引き抜き損傷で31年間の激痛人生から解放されました。有難うございました。感謝 感謝 感謝しています。何処の病院でも、治療法は無いと匙を投げられていました。絶望の境地の時に、ホームページで希望の光 谷口先生のことを知り、藁にも縋る思いで先生にお願い致しました。長時間にわたり非常に困難な聖域の手術をしてくださいました。御自身の命を削って、苦しむ患者を助けようと執刀を続けてこられた先生のお姿に、深い敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。神様谷口先生 感謝しています。                   
このメッセージは、 2021年2月6日に、今関輝弥さんが投稿
突然の訃報に驚き、とても悲しい気持ちです。谷口先生には、2年ほど前から診ていただいていました。 腰痛や足の痺れ、頭痛などに悩まされ、もう治らないのではないかと諦めかけていた時、「他にも症例はあるし、治るから大丈夫だよ」と励ましてくださいました。 こちらが疑問に思ったことにも丁寧に答えてくださいました。初めはぶっきらぼうにも見えて少し緊張していましたが、今までお世話になったどの先生よりも親身になって診察してくださいました。 3ヶ月ほど神経病院に入院した際も、手術後に高熱がなかなか下がらず本当に辛かった時、先生が問診に来てくださったときには気持ちが軽くなりました。
先生に診ていただいたおかげで、今は健康に過ごすことができています。本当にありがとうございました。先生に治療していただいたことは一生忘れません。
このメッセージは、 2021年1月23日に、河邊和子さんが投稿
昨年12月に先生の診察の予約の電話をしましたところ先生の訃報を聞きびっくりし信じられませんでした。
この14日に後任の磯尾先生より詳しくお聞きし、今は悲しみと残念な気持ちが沸いてきております。

谷口先生とは2006年に日本赤十字社病院の先生の紹介で出会い、以後14年間
右脳海綿血管腫の経過観察の診察を受けてきました。

その間2013年に多摩総合医療センターにおいて乳がんで左乳房全摘手術、2016年に同病院で低侵襲心房細動手術を受けました。
その折りも温かい言葉をかけてくださり見守ってくださいました。

他にもいくつか病気を持つ私に「病気のデパートやな」と笑顔で言われ、私も
「そうなんです。でもまだ生かされて感謝です。」と笑って返すことが出来、
温厚な先生に何回か気持ちが救われました。

先生にまだまだ診察していただき、もし手術となった時には先生にしていただき
たかったです。

先生と出会う前年の2005年に私も大腸の横行結腸がんの手術をしました。
先生はご自分のことを後回しにされたのではと残念に思われてなりません。
まだまだこれからやりたいことたくさんおありだったことでしょうに、無念のことと思います。

お礼を言えずじまいでした。
ほんとにありがとうございました。
このメッセージは、 2021年1月15日に、川崎伸ニさんが投稿
谷口先生へ

二分脊椎症の子供を持つ親です。
娘は2000年に生まれて産院を退院と同時にその足で、実家で鯛を用意して初孫の出産祝いをするために今か今かと待ちわびる妻のご両親の期待に背き、都立神経病院の谷口先生のもとへかけつけました。谷口先生は、お尻にある小熊の尾のようなピンポン球のようなものを指で触りながら「なんだ?これは?」と。これが谷口先生との最初の出合いであり、谷口先生から発せられた最初の言葉だったと記憶しております。娘が成長するにつれ、新たな症状が発症するたびに手術をしていただき大事に至らず、娘は今、成人式を迎えられるまでに成長しました。排尿障害と足の指の変形はありますが、それ以外は問題なく、本人は自分の辛い経験を活かし一人でも多くの人の役にたちたいとのことで理学療法士を目指して頑張っております。

二分脊椎症、空洞症という難病を発症し、最初に診察をしていただいたのが谷口先生でした。並々ならぬ苦労の末、ようやく谷口先生にたどり着き神と慕う全国の方々からすればお叱りを受けるかもしれませんが、娘の症例は希少であり、また今ほどインターネットも発達しておらず、やっと携帯電話が一般的になってきた時代だったこともあり、私達夫婦には娘の病気を調べる術もなく、神経病院の実績、谷口先生の実績、技量もまったくわからず、手術結果に疑問を持ったり、時には不信感を抱いたりした時もありました。しかし、インターネットが普及し、私達家族も「調べる」ことができ、また先生との長いお付き合いの中からも、いつも谷口先生は最善を尽くして治療にあたってこられたことがわかり、大いに感謝すると同時に、主治医を心から信頼出来ていない部分が多少なりともあったことも反省しております。また、娘は谷口先生から病室で親身に接してもらい、将来のことでは「俺の所で働くか?」などと気にしていただき、患者と主治医という中にも愛情溢れる関係を築くべく素晴らしい対応をしていただいていたことも感謝しかありません。娘には、成人したのだから、これからは親ではなく、自分自身で谷口先生と向き合って何でも相談しなければねと話していた矢先の外来で谷口先生の逝去を磯尾先生からお聞きし目の前が真っ暗になりました。あんな素晴らしい先生があの若さで亡くなるとは・・・。

私達は素人なのでよくわかりませんが、脳神経外科医としての技量、経験、知識は計り知れないものではなかったのかと思われ、多摩総合医療センターというより日本の脳神経外科の至宝の損失ではなかったのかとも思われます。娘の今後は谷口先生の遺志を継がれた優秀かつ立派な先生方がいらっしゃるので不安は全くありません。が、ただただ残念で悲しいです。人並みに成人になったのもこれまでの谷口先生の治療のおかげであることの御礼を言うこともできずにお別れとなってしまい、心残りです。ここからでは届きませんがこの場をお借りして御礼申しあげます。

谷口先生!
長い間、娘の治療を懸命にしていただいたおかげで無事に成人式を迎えることができました。本当にありがとうございました。また、娘も微力ながら谷口先生の背中を見てきて、その遺志を感じた一人として医療に従事していきます。谷口先生もまだまだやらなければならないこと、やりたかったことが山ほどあり、さぞかし無念だったろうとその心中お察しします。しかし、これまで多くの人々を助けてこられ、大変な激務であったと思われます。どうぞごゆっくりお休み下さい。お世話になった私達家族全員で谷口先生のご冥福をお祈りします。
このメッセージは、 2021年1月13日に、川崎妃菜さんが投稿
谷口先生へ
1月4日、いつものように外来受診をした時に磯尾先生からお話がありました。突然のことで理解出来なくて、その日の外来はあまり記憶がないです。
谷口先生は自分が産まれた時から20年間ずっとお世話になっていました。先天性二分脊椎症で新生児が神経病院に入院したのは自分が初めてだったと聞きました。小さい頃の手術のことは殆ど覚えていませんが、谷口先生との1番古い記憶は小学校3年生の時に行った手術です。多分、これが私の中では記憶にある初めての手術でした。谷口先生も、私も、私の両親もこの手術が最後だと思ってたと思います。だから谷口先生も特に制限もないから沢山勉強して体動かせって仰って下さいました。自分も、脳神経外科は今後経過観察ぐらいだろうなーっと思ってました。
高校2年生の冬に、太腿に火傷したことに気付かなかったことに異変を感じ、受診したところ、脊髄空洞症を発症していたことがわかり、高校3年生の夏に、手術をしました。谷口先生外来で忙しいはずなのに時間を見つけては病室に来て様子を見てくれました。他の先生の大丈夫より、谷口先生の大丈夫は心強くていつも気持ち的に支えられていました。
しかし、その半年後、空洞症が再発していて、高校3年生の冬に再手術を行いました。1回目の手術の何がいけなかったのか、どうしたら再発せずに済むのか、脳外科の先生達総出で考えて下さいました。術後、2週間の絶対安静、朝と夜の髄液量検査を行ってました。辛かった部分が大半でしたが、谷口先生が「ぴなぴな〜」って言いながら病室入ってガーゼ替えて少し話聞いてくれてたあの時間が私にとっては少し元気が貰える時間でした。
高校の卒業式も間に合うか間に合わないかの瀬戸際でしたが、なんとか卒業式の数日前に退院することができました。
卒業式の日、担任の先生に呼ばれて行ったら、私宛に荷物が届いてました。谷口先生から私への卒業祝いの品物でした。それは私の一生の宝物です。
私は今、理学療法士になるための専門学校に通ってます。将来の話をした時に、「俺の元で働くか」って言ってくれたこと、すごく嬉しかったです。何より言葉は少ないけど、私の夢を凄く応援していただいてたことも感じてました。手術室に入る度に「この子はこんなちっちゃい時からの付き合いだからな〜」って手術室の先生方看護師さんに言っている姿はいつまでも覚えています。「子供ができたら俺のところに来な、赤ちゃんしっかり見届ける」って言われたこと本当に嬉しかったです。本当は谷口先生に理学療法士になったこと、しっかり働いていること、そして本来なら結婚して子供ができて、、、って長く長くお付き合いしたかったです。まさかこんなに早く別れがくるとは思いませんでした。
谷口先生に会いたいです。また診て欲しいです。また大丈夫って言って欲しいです。
今後は磯尾先生とこの病気とともにお世話になりました。また手術になるかもしれない、そんな時は谷口先生、私の近くで見守ってて下さい。立派な理学療法士になれるよう、近くで応援してて下さい。また、何かに負けそうな時、大丈夫って近くで言って下さい。
心よりご冥福をお祈りします。
このメッセージは、 2021年1月3日に、澤田いずみさんが投稿
未だ言葉が見つからないです。
一昨年に、谷口先生の外来でお会いした時に、いつものジョークで笑っていたのに…去年10月MRIに撮りに来てと
おっしゃっていたのに。
ご無理をされたのですね。
天国でお好きなワインでも飲みながら、ゆっくりとおやすみ下さい。
このメッセージは、 2021年1月2日に、佃弘子さんが投稿
大好きな谷口先生
初めてお会いしたのは、今から35年位前。
次女が1歳半。モヤモヤ病で手術していただきました。
先生にとって、初めてのモヤモヤ病の患者だとおっしゃっていましたね。
血管吻合していただいても脱力マヒが多くて、その頃モヤモヤ病の第一人者と言われていた大阪脳神経外科病院の唐沢先生に学会で、次女のことを話をされたと。
私たち家族には、唐沢先生のところに行って神経病院で再手術してもらえないか相談してきてはとおっしゃいましたね。
唐沢先生のところに行くと、「あの若造が」と言われ、「再手術は必要ない。順調だ。先生にお任せなさい」と言われて帰京したのを昨日のことのように覚えています。
それから1年くらいで、谷口先生は、ドイツ、エルランゲンに留学されましたが、クリスマスには、クリスマスカードともにプレゼントを贈ってきていただきました。
私たちも夫の転勤で海外に住み、帰国してからは、関西に住んでおりますが、1年に1回、先生にお会いするのが楽しみでした。
一昨年、長女が40歳を前にモヤモヤ病と診断され、先生にお手紙を差し上げましたところ、早速お返事をいただき、相談に乗っていただいておりました。そして、昨年、先生が亡くなられたのも存じ上げず、お手紙を送らせていただいておりました。
長女は、先生から、モヤモヤ病は姉妹間発症が多いこと、また、40代は気を付けるようにと言われており、割合、冷静に受け止められたといいます。
昨年、コロナでなければ外来に行くつもりにしておりましたのに...。

ご冥福をお祈りいたします。
                             合掌
このメッセージは、 2020年12月31日に、稲葉克彦さんが投稿
谷口先生に初めてお会いしたのはちょうど6年前の12/25でした。2014年のGW頃から歩行に支障をきたし、右足を引きずるようになり、職場の人からも歩きの変化に気付かれるようになりました。年末近くには真っ直ぐに歩くことが困難になり、三井記念病院から紹介を受けて多摩総合医療センターへ。2015年1月の神経病院の検査入院で「脊髄空洞症」という診断を受け、聞いたこともない病名に衝撃を受けました。3月の手術後、4月に地元のリハビリ病院へ転院。杖付きながら軽快に歩けるまでに回復しました。しかし、リハビリ病院を退院後再び歩行が段々悪化。2本杖でも苦しい歩きになり、術後1年の検査で病状が悪化していることが判明。4月に再手術しましたが車椅子になり、5月に地元の同じリハビリ病院に転院し、懸命なリハビリを行うも車椅子からの脱却は叶わず同年9月末で会社の休職期間が満了。不本意ながら55歳でサラリーマン生活に別れを告げました。ほぼ同時に回復期のリハビリ病院入院期間150日も満了。自宅での車椅子生活・リハビリ病院通院がスタートします。その後は半年に一度の診察、MRI&診察で谷口先生とのお付き合いが続きました。先生はどんな患者ともフランクに話す感じの方で、私の趣味が鉄道で、先生と話が合い、神経病院入院中、病棟にいらっしゃった時には京王より西武の方が良い台車を使っているとか、意見が一致することもあり、西武の代表的なFS372台車の良いところを自分なりに説明して呆れられることもありました。退院の時にはたまたまそのときに世に出たばかりの拙著にサインを入れて差し上げたり、退院後の半年に一回の通院では、リハビリの相談や、歩行アシスト「HAL」を千葉リハビリテーションセンター体験入院を通じて、ある程度の歩行距離が延ばすことが出来たという話をしたり、札幌の病院で患者の幹細胞の培養した薬剤を注入し、脊髄損傷や脳神経系の疾患に効果が見られる等の話題をお話しし、車椅子からの脱却や闘病に対する気持ちをぶつけては先生とお話をすることが私にとって大事な時間でもありました。2019年10月には妻と二人で八丈島へ飛行機で行くことも出来、次第に行動範囲を拡げていることや、診察の時に普段の生活上の悩みやリハビリの様子を説明し、その間の画像を収録したDVD-Rを、後でご覧頂ければと先生にお渡しすることもありました。診察の時の先生はいつもお疲れのご様子で、眠そうにされているときもありました。それは、神経病院での多くの患者に対する過酷なお仕事が容易に想像できることでした。2020年6月のMRI&診察の時は、画像を見て脊髄空洞症の病状が良化していることを説明され、明るい気持ちになりました。そして、12/3の診察で、先生が旅立ってしまったとの説明を受け、言葉と共にしばらくの間、心の支えを失いました。谷口先生!激務のあまり、ご自身へのケアが後回しになってしまったのでしょうか?鉄道の話も最新医療の話もすることは出来ないのが残念ですが、私は諦めずに地道に闘病を続けます。どうか安らかに!
このメッセージは、 2020年12月16日に、ターロフシスト患者さんが投稿
親愛なる谷口真様

天国でいかがお過ごしでしょうか?

病気による痛みから解放され、趣味を楽しんだり、世界中の様々な診療現場を自由に飛び回って自己研鑽に努められているのではないかと思います。

今でも谷口先生の急逝が信じられず、先生を思い出さない日はないです。

私と谷口先生の出会いは四年前に発症から10ヶ月時点で受診した七か所目の大学病院の教授から「谷口先生なら珍しい症例の私に最善の治療を提供してくれるから」という理由で紹介状をいただいたことです。

大学病院から紹介状を書かれるなんて、「自分はどれだけ珍しい病気かもしれないんだ」と大きな不安を抱えた中での受診でした。

谷口先生にお会いするまで脊髄外科のビッグネームの病院を複数受診してきましたが全ての病院でMRIなどの画像所見で異常はないという診断でした。

「痛みは精神的なものからきているかも」と言うドクターすらいて、本当に肉体的にも精神的にも疲弊した中での受診でした。

そのため、「谷口先生にも同じようなこと言われて傷つけられるのかなぁ」と戦々恐々としていました。

8カ所目となる谷口先生を受診する際、「この先生でダメだったらもうドクターショッピングはやめよう」と決めていました。

正直、谷口先生でダメなら厄払いや除霊に行こうかとすら考えていました。

いざ谷口先生を受診するとこれまでの病院ではMRI画像で問題ないと言われていた画像を見るなり、「明らかにおかしいところがあるから検査入院して調べよう」とご提案いただき、素人の私にでもわかるように丁寧かつ論理的に説明してくださいました。

「この先生は今までの先生と違う」というあの時の喜びや安堵感は今も鮮明に覚えています。

谷口先生に出会うまで脊髄外科のビッグネームの病院から異常なしと診断されてきた私は、「本当は痛くないものを自分が痛いと思い込んでいるだけなのかもしれない」と自分自信を疑うまでに追い詰められていました。

谷口先生が私の病気に向き合い、体の症状が病気の可能性があることを論理的に説明してくださった初めての医師でした。

その後、検査入院を経て、「完治はしないけど楽になると思うから手術しよう」とご提案いただき手術しました。

手術してすぐに劇的に改善する病気ではなかったので、術後も「大病を患ったと思って辛抱しなさい」といつも支えてくださいました。

谷口先生の診察を重ねる中で、「この先生がついているんだから自分は大丈夫」と絶大な信頼感が生まれ、地道なリハビリも毎日しっかり続けることができ、今は日常生活に支障がないレベルまで回復することができました。

私は無宗教ですが、強いて言うなら谷口教の信者です。

谷口先生は神経病院のホームページに「あらゆる神経疾患の治療に外科医として参加します」と書かれているように、その言葉に嘘偽りなく、私のような珍しい病気にも真正面から向き合ってくださいました。

そのことがどれだけ心強かったか計り知れません。

磯尾先生が書かれている通り、谷口先生は患者と共に闘ってくださるあたたかく、強くてユーモアも忘れない人柄も素晴らしい方でした。

時には私のことを思って厳しことを仰ることもありましたが、その先には先生の温かさを感じていました。

谷口先生の人柄に魅力され包まれていたのだと思っています。

私が記した治療記録のブログを読んで谷口先生の元には「自分も仙骨くも膜嚢胞ではないか」という患者が集まってしまい、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

私の病気は治療方針についてコンセンサスが取られていない珍しい病気だったため、術後の追跡調査まで論文にまとめてくださり、本邦の仙骨くも膜嚢胞に対する治療に確かな爪痕を残し、多大なる貢献をしてくださいました。

同じ病気で苦しんだ者として、本当に感謝しています。

話しは変わりますが、谷口先生の訃報をお聞きした時は仕事中だったのですが、仕事を続けられる状態でなくなり、トイレに駆け込むと自然に涙がこぼれました。

心にぽっかり穴が空き、毎日神経病院のホームページに谷口先生が掲載されているか確認する毎日です。

それぐらい谷口先生の存在は大きなものでしたし、人間としても尊敬していました。

私の中で「何かあったら谷口先生のところに行けばなんとかなる」という心の拠り所ができ、このことがどれだけ心強かったか言葉にすることはできません。

病気を発症したことについては「なんで自分だけこんなに苦しまなきゃいけないんだ」とよく思っていましたが、それ以上に「谷口先生という素晴らしい真の神経医師に巡り会えたことがラッキーだった」と思っています。

まだ40代の若造の私ですが、人間は死後に真価が問われると思っています。

神経病院で友達になり今も交流がある方はみんな「ぽっかり心に穴が空いた状態」と言っています。

私自身も多摩総の第3診察室に行けば谷口先生にお会いできるのではないかと思っています。

私も含め谷口先生の患者の心の中で谷口先生は生き続けています。

みんなの心の中で生き続ける限り、本当の意味での死ではないのだと思っています。

谷口先生に巡り会うことができ、今の私があります。

一生この恩は忘れることはありません。

私の中で谷口先生はずっと生き続けると思います。

欲を言えば、たまには夢に出てきて欲しいです。

谷口先生に巡り会えたこと、治療してくれたこと、支えたいただいたこと、全てに感謝しています。

私はあなたのことをブラックジャックだと思っています。

そして一生忘れません。

天国から後輩ドクターや患者たちを見守ってくれていると思っています。

私もあなたのことを想いながら精一杯生きていきます。

本当にありがとうございました。

ゆっくりとお休みしてください。

令和2年の8月から新たな神経症状が出て9月3日に谷口先生の診察を受けたのが最後の診察でした。

新たな病気を発症したのは悲しいですが、そのお陰で最後に谷口先生にお会いすることができました。

最後にお会いするための発症だったのではないかと思っています。

発症したショックよりも最後まで谷口先生にお会いできたことの方が嬉しかったです。

くしくも私と谷口先生の最後の会話は、私が診察の最後に「谷口先生も昨年病気でお仕事をお休みされていた時期があったみたいなので体には気をつけてくださいね」と言ったら、谷口先生が苦笑いしながら「お前は俺のことなんでも知ってるんだな」と仰った会話でした。

あれから1ヶ月後に訃報を聞くなんて夢にも思っていませんでした。

きっと谷口先生はかなり我慢して最後の最後まで診察にあたっていただいたのだと思っています。

本当に感謝しています。
ありがとうございました。

私も頑張って生きていきます。

どうか神経病院から第二、第三の谷口先生が生まれるよう見守ってあげてください。

40過ぎのおじさんがこんなことして恥ずかしいのですが、術後の回復が思わしくない時期や仕事と育児の両立で苦しい時、寝る前や仕事中のトイレで神経病院のホームページの谷口先生の顔を見て、「谷口先生に巡り会う前のつらさに比べたら今は大したことない」と力をもらっていました。

完全に谷口依存症ですね。

まだまた谷口先生の急逝を受け止めるには時間がかかりそうです。

無理に受け止める必要はないのだと思っています。

いつも心の中にいらっしゃるからです。

これからも宜しくお願いいたします。

先生のユーモアある言葉も大好きでした。

谷口真は永遠です。

私には2歳の息子がいますが谷口先生の「真」という字を感謝と尊敬の意味をこめていただきました。

よくわからない文章になってしまいましたが、本当にありがとうございました。

あなたに出会えたこと

プライスレス‼️
このメッセージは、 2020年12月8日に、鈴木亜子さんが投稿
大好きな谷口先生へ
どこの病院でも勝算の無い手術はしないと断られて涙に暮れていた3年前、
先生は初診時に手術を決断してくださいました。神様はいるんだな!とおすがりしてから三度の手術。手術中は飲食もせずオペ室から出ることは無いと伺って、ご自分の命を削って患者を救っておられるのだと感謝の気持ちでいっぱいでした。とても偉い脳外科医なのにとてもフレンドリーで私が3階に居て、
お見掛けすると必ず手を挙げて気さくにお話をしてくださいましたね。
感染症で運ばれた時も早朝に私服で「大丈夫か~?」と病室に来てくださったことは忘れられない出来事です。
今は3階に居ても先生にお会いできず・・・寂しいです。
「あんたの手はオペしたのに症状はある・・・わかんねんだよな~??」
それが会話した最後の言葉でした。
先生?その続きは?戻ってきて。。。
急に居なくならないでよ。。。心まで壊れちゃうよ~
心にぽっかり穴があいた私に磯尾先生が思っていることを書いて・・・と追悼サイトを教えてくださいました。
今まで休めなかった分、いっぱい休んでください。
好きなワインを飲みながら残されたスタッフや患者を見ていてくださいね。
守ってくださいね。
心から感謝しています。また3階で会いましょう❣
深謝
鈴木 亜子
このメッセージは、 2020年12月6日に、小山恵里子さんが投稿
息子は患者、私はその母として20年以上、谷口先生にお世話になりました。
娘も少しだけ、診ていただきました。
3か月に1度の再診で谷口先生にお会いするのを、毎度、楽しみにしていました。
突然の訃報、悲しくて悲しくて堪りません。
どうか安らかにお眠りください。

息子は、乳児期に病が発覚したので、私は妊娠前や妊娠中、私の何が悪かったのかと、重い自責の念により暗い気持ちでした。
谷口先生はそんな私に「母ちゃんも誰も悪くない。言葉は悪いけど運。事故みたいな。だから、治すよ。」と。
私は重い自責の念から解放され「治すよ。」に励まされ、支えられました。

息子の最初の闘病中、私は、息子の妹にあたる娘を妊娠中でした。
入院中の息子に毎日、付き添う疲労のせいか、私も胎児(娘)も悪い状態で、産科に入院を強く言われていました。
そんな時に谷口先生が「2人(私と娘)とも元気じゃないと、治って帰って(息子が)どうするのよ?ずっと(病棟に)居なくてもこの子(息子)は平気!今のうちに少し休んで!」と。
そのお言葉に甘え、朝はのんびり来て、夕方は早めに帰っていました。
2歳時に最初の手術。
谷口先生が手術してくださって、息子を治してくださいました。
娘が生まれるのも、楽しみにしてくださった谷口先生は「大きなお腹、今にも爆発しそうだ!」とニコニコして仰いました。

野球を始めたがった息子を、私の不安に構いもせず、制止どころか、息子の背中を押して「野球やるの?頭にデッドボール?キレイに縫ったから開かないよ!当たったら(野球ボールが頭に)来ればいいじゃん!」と仰った谷口先生。
お陰様で、息子は小学1年から高校3年まで、2度め、3度めの手術を乗り越えながら、大好きな野球を満喫できました。
谷口先生は、変声期で声が低くなり、体毛が生えた息子に「あー、オッサンになっちゃったなぁ。」と懐かしそうにはにかんで仰いました。
谷口先生に命を救っていただいたからこそ、2歳だった息子は無事に成人し、オッサンになって、今(20代前半)も元気です。
谷口先生は命の恩人です。
お礼をしてもしても足りません。
谷口先生には、ほかにもたくさん、お声かけいただきました。
エピソードも、書ききれないほどです。
谷口先生のご冥福をお祈りします。
このメッセージは、 2020年12月6日に、前田芳信さんが投稿
セカンド、サードオピニオンの末の紹介で谷口先生にたどり着きました。「丸投げされちゃったなあ。」と仰りながら詳しく説明いただく中で、その経験、知識そしてお人柄に接し、この先生に託そうと思いました。それから数年の間、2度の手術、診察を繰り返し、回復の兆しが見えてきた矢先の訃報でした。
これまでのご尽力に大変感謝しております。
そして多くの方々にご努力を尽くされたことに、尊敬と敬意を表します。
本当にありがとうございました。
このメッセージは、 2020年12月4日に、浅野和枝さんが投稿
医療センターが、府中病院であった頃から約15年、通院、入院でお世話になっております。  その間 高橋先生 谷口先生 と素晴らしい先生に巡り会いました。 過日 谷口先生の訃報を お聞きした折には、耳を疑いました。 神経病院に入院中の3月の事、偶然友達と二人 エレベータ内で 先生にお会いし 、先生 「オ-、二人か?」と お声を掛けて下さいました。 私達、先生が ご病気を克復され、お元気に復帰なさっていらっしゃると 安堵いたしました。
素敵な笑顔と ユーモアのセンス有りで、当時2週毎の通院で…。小さなノートを渡され「何でも良いから 書いて来て」との指示。次回 お読みになり、先生 机の右の引き出しの中から、何と 可愛いシールが沢山。 「今日は これだな!」とニヤリ。その上に 赤ペンで、はなまる迄サービス。帰り際「気をつけて 帰りナ…」毎回 優しいお言葉。 先生 本当にありがとうございました。
亡後 ネットで 先生の要職を 拝見し、あまりの激務に びっくりいたしました。 ワイシャツ姿で「今日は 学会が有るので、忙しい!」と、おっしゃっておられたお姿が、目に浮かびます!
まだまだ健康で、多くの命を 救って頂きたかったのに 残念でなりません。 ご冥福を お祈りいたします。
このメッセージは、 2020年12月3日に、前田さとみさんが投稿
7年前、他院でどうしようもなくなった父の主治医になっていただいてから、毎回明朗なお人柄と診察に、励まされてきました。いつも、噛み砕いた説明で、納得するまでお付き合いくださるような、やさしい先生でした。
長い間、ありがとうございました。

心より、哀悼の思いを捧げます。
このメッセージは、 2020年11月5日に、荒井菜美さんが投稿
タンニン、会いたいです。
まだ信じられないからこのメッセージ書いている自分に納得してません泣。
タンニンと出会ったのは、20年前。
高橋先生とペアで、私を治療してくださいましたね。タンニンに、出会っていなかったらこの病気から私は逃げていたかもしれない。
50回近い手術を先生にしてもらいました。治る、勝てる手術だからやろう。と、、いって励ましてくれましたね。先生が居てくれただけでどんなに安心して居られたか。いまは、ただどうして行けばいいのか分からないんです。ふざけた話しながら話途中で左手上げて歩いて行く後ろ姿目に焼き付いてはなれません…

話しきれないほどの思い出がありますが、今日はこのへんで。。この場を教えて下さった磯尾先生に感謝してます。ありがとうございます。
このメッセージは、 2020年10月30日に、磯尾綾子さんが投稿
(患者様から頂いた弔電より)
腰痛を抱え、紹介された先生の診察を受けて以来そのお人柄に惹かれ、十月二十二日の診察日にお会いするのを楽しみにしていました。ご遺族の皆様どうぞご自愛くださいませ。
このメッセージは、 2020年10月30日に、磯尾綾子さんが投稿
(患者様から頂いた弔電より)
長い間、親身に治療してくださり本当にありがとうございました。感謝しております。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2023年5月31日に、磯尾綾子さんが投稿
 神経病院脳神経外科の磯尾です。
 5月6日に行われました谷口真先生を偲ぶ会にはたくさんの方々にお越し頂き、ありがとうございました。また、いらっしゃれなかったもののご支援下さった方、思いを寄せて下さった方、全ての方に感謝申し上げます。

 当日は15時受付開始でしたが、私たちスタッフは少し早めに到着して準備を始めました。会場に着いてびっくり、扉を開けるとホテルの一番広いホールが皆様からの供花で埋め尽くされており、目も眩むような豪華さでした。改めて谷口先生の人望の高さを感じました。
 来て下さった方がエレベーターを降りると谷口先生の等身大のぼりがお出迎え。受付開始からセレモニーが始まるまでの間、患者様の鈴木亜子様がピアノの生演奏をして下さいました。鈴木様は「谷口先生のおかげで私は演奏が続けられているのだから」とおっしゃって自ら生演奏を申し出て下さいました。この場をお借りして御礼申し上げます。
 祭壇の上にはお花に埋もれるように谷口先生の遺影が飾られました。黒目がちの瞳で、はにかんだように微笑む谷口先生。患者様、御家族、脳外科だけでなくさまざまな科のあらゆる年代の医師、看護師さん・・・200人以上もの人が先生を慕って集まったのを見て照れていらっしゃるようにも見えました。
 セレモニーが始まる前に、来た方からゆっくりと献花して頂きました。多くの方が谷口先生に心の中で語りかけて下さったことと思います。そして谷口先生もじっと聴いて下さっていたことでしょう。
 定刻に神経病院脳神経外科部長の高井敬介先生から開会の辞を頂き、セレモニーが始まりました。最初に全員で黙祷を捧げました。そして谷口先生の御略歴を紹介後、お二人から弔辞を頂きました。一人は患者様ご家族の川崎様、もう一人は谷口先生の教え子である岩室宏一先生でした。どちらも心に沁みるいいお話を頂き、患者様ご家族様だけでなく、いつもは冷静な病院スタッフの目にも涙が浮かんでいました。その後、スタッフによる献花をさせて頂きました。既に皆様が献花して下さったパステル調の色とりどりのカーネーションがふんわりとテーブルの上に並んでいて、虹のようで印象的でした。最後に谷口先生の奥様から頂いたご挨拶を司会者が代読させて頂きました。一部を抜粋して掲載させて頂きます。

「谷口真は、世間の人はどう感じていたかわかりませんが、出世や権力や、名誉には、無頓着な人でした。お願いされると断われず、冗談や、調子に乗ると、話が止まらない人でした。
 でも、常に、患者さん第一、病院第一で、本当に、不器用なくらい真面目な、優しい人でした。たぶん、医者という職業以外は、出来ない人だったでしょう。・・・」

 少し無理をして来て下さっている方が何人もいらっしゃったことを考慮して、セレモニーはあまり長くならないようにさせて頂きましたが、心に残る、とても良い会だったと思います。

 なお、偲ぶ会の予算をやり繰りして、この追悼サイトを永年契約に切り替えさせて頂きました。谷口先生に会いたくなったら、安心していつでも訪ねることができるように。

 改めまして、皆様に感謝申し上げます。
 これからも、ぽつりぽつりとでも良いので、思い出したときにメッセージを頂けると嬉しいです。
このメッセージは、 2023年3月25日に、相沢美和子さんが投稿
谷口ドクター!
呼べば振り返りそう
未だに信じられません
これからの身体の不安と谷口ドクターがいない喪失感
誰もわかってもらえない
そんな中こちらのサイトを知りました
18年くらい前、原因不明で病院を転々として、とうとう動けなくなり、谷口ドクターと寺尾先生に診てもらうことになりました
もうダメだと思っていた命を谷口ドクターに救って頂きました
でも身体自体は元気なのでまた腫瘍ができてしまい計三回手術してもらいました!
辛くても三ヶ月に一回、半年に一回谷口ドクターに会えるのを楽しみしていただけに本当に残念です
助けて頂いた命なので、不自由な身体ですが一生懸命生きていきたいと思っています
ただただ悲しくて病院のたびに思い出すし、テレビで同じ名前の先生が出ると思い出すし、まだまだ谷口ロスは続きそうです

でもこのサイトをみて同じ気持ちの方がたくさんいることを知り、少し落ち着きました
サイト関係者の方々本当にありがとうございます

そして谷口先生
本当にありがとうございました!
(手が不自由のため代筆 娘)
このメッセージは、 2023年3月8日に、磯尾綾子さんが投稿
「谷口真先生を偲ぶ会」のご案内

謹啓 早春の候、皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて 当院脳神経外科前部⻑の谷口真先生を偲ぶ会を下記の通り執り行うことに致しましたので、ご参会賜りますようご案内申し上げます。
 谷口真先生は令和2年 10 月 11 日に逝去されましたが、新型コロナウイルス感染症の流行により、お別れの会などの開催をこれまで控えさせて頂いておりました。医療関係者だけではなく、多くの患者様やご友人の皆様にお集まり頂き、生前の谷口先生の業績やお人柄を振り返るひとときにしたいと存じます。当日は平服でご参加下さる様お願い申し上げます。 謹白

令和5年 3 月
           
             有志代表 東京都立神経病院 脳神経外科 高井敬介

              記
日時 令和5年 5月 6 日(土曜日)
 午後4時より セレモニー  (受付開始 午後3時)
 終了予定 午後 5 時頃

(セレモニー終了後、会場は医療関係者の懇親会に移行させて頂きますのでご了承下さい。)

場所 ホテルエミシア東京立川 4階 カルログランデ
(クロークは 1 階フロント横にございます)
東京都立川市曙町2丁目14番16号
https://www.hotel-emisia.com/tokyotachikawa/

会費 2,000 円
(事前振込をお願いします。献花、ご家族への記念品代を含みます。)

 御香典は固く辞退させて頂きます。
 御供花については一基 16,500 円、一対 33,000 円(税込)で事前に承りますので下記フォームにてお知らせ下さい。

  なお、現在運営している追悼サイトは神経病院の支援を受けてスタートしましたが、病院からの支援は終了しました。会費から余剰金が発生した場合、追悼サイトの維持費に使用させて頂きますことをご了承頂けますようお願い申し上げます。

 お手数ですが下記 URL にアクセスして頂き、出欠および御供花のご希望につきまして 3 月 31 日(金曜日)までにお知らせ下さいますようお願い申し上げます。会費、供花代金の振 込についてのご案内はフォームに記載してあります。 https://forms.gle/WsngohjqnRophjv46
 

出欠の回答はお一人様一回のみでお願いします。

変更、問い合わせ先:[email protected]
大切な方の思いで
1958年4月15日生まれ
1983年 東京大学医学部卒業
1985年11月〜1988年3月 東京都立神経病院
その後ドイツ留学、東大病院などを経て
1997年10月  東京都立病院脳神経外科医長に就任
2006年7月 同 部長に昇任
2020年10月11日 逝去
想いで

1998年以来の下垂体腫瘍手術患者

稲葉延武さんが2023年6月30日に投稿
谷口先生,2020年6月にほぼ2年周期でMRIと問診をして頂き,色々と冗談混じりで「頑張らなければ!」の力を頂きそれ以来元気に生かさせて頂いており、先日(6月初め)予約の電話の際に既にご逝去されたと知らされ大変驚いておりました。担当を引き継いて頂いた磯尾先生に問診の際に詳細をお聞きして又気が抜けた思いでした。拙いメッセージですが少しでも小生の感謝を残したいと書かせて頂きました。RIP

背骨に見つかった良性の「神経鞘腫」 放置して大丈夫?

磯尾綾子さんが2020年11月12日に投稿
(朝日新聞2020年8月19日の記事より)

【答える人】谷口真さん 東京都立神経病院脳神経外科部長(府中市)

50代女性。昨年5月にMRI検査で背骨の腰あたりに良性の腫瘍(しゅよう)「神経鞘腫(しょうしゅ)」が見つかり、半年おきに2回検査を受けて大きさに変化なし。病院から以後検査は必要なく、脚のしびれなど自覚症状があれば受診するよう言われました。放置して大丈夫でしょうか。(岐阜市・Y)

Q どんな病気ですか。

 A 神経を取り巻いて保護するシュワン細胞からできた髄鞘(ずいしょう)が腫瘍(しゅよう)化したものです。中年の女性によく見られます。ほとんどが良性で、一般的にゆっくりと大きくなります。転移しないので影響は腫瘍の周囲にとどまります。

 Q どこにできますか。

 A 末梢(まっしょう)神経のどこでも発生する可能性があります。ただ筋肉など柔らかい組織のそばではよほど大きくならないと症状は出ません。骨に囲まれた空間にできると大きくなるにつれて周囲の神経を圧迫し痛みなどの症状が出ます。

 Q 取り除けますか。

 A ほとんどは手術で取り除けます。腰椎(ようつい)に腫瘍がある場合は全身麻酔をしてうつぶせで手術します。骨の一部をいったん取りはずし神経から腫瘍を切り離します。丁寧に作業すれば比較的容易です。後遺症もほとんど心配ないです。

 Q 質問者は手術したほうがいいでしょうか。

 A 腫瘍の大きさに変化がなく症状もなければ必ずしも手術は必要ありません。腰椎にある腫瘍の場合、周囲にある馬尾神経は圧迫に比較的強いので、症状が出てからでも手術して回復します。

 Q このまま放置していいでしょうか。

 A 質問者は画像検査による推定診断です。確実な診断には腫瘍の一部を採取する必要がありますが取り除くのとほぼ同じ手術が必要です。症状が出ないこともあるのでそのままにしておくのも一つの選択肢です。ただ良性の腫瘍とはいえ時間とともに大きくなる傾向があり、もう少し長い期間の追跡が望ましいでしょう。私の場合、疑われる時や手術の後も1、3、5年後の追跡検査をしています。