承継
この追悼サイトは、 城 卓矢(歌手、作曲家・ヒット曲「骨まで愛して」さまのために作成されました。

享年53歳 、誕生日 1935年11月28日、命日 1989年5月9日
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城 卓矢(じょう たくや, 1935年昭和10年〉11月28日 - 1989年平成元年〉5月9日)は、日本の歌手作曲家である。本名・作曲家名は菊地 正規(きくち まさき)、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫(きくち まさお)。ヨーデルを得意とし、鼻から抜ける独特のハスキー・ボイスとこぶし回しが特徴で魅力的な声の持ち主であった。『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した[1][2]

人物・来歴
ウェスタン歌手として
1935年昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げ室蘭市で育つ。

長じて上京し、横浜市中区曙町に住む[3]。ウィリー・ジェームズ(のちのウイリー沖山)とともにブルー・レンジャーズ(1956年結成)として活動していた瀬谷福太郎が、NHKのど自慢』に出場してハンク・ウィリアムズの『ロング・ゴーン・ロンサム・ブルースLong Gone Lonesome Blues を歌い、満点を獲得した菊地を発見、同バンドに加入させる[3]。同時に、ウイリー沖山にヨーデルを師事、同時期の沖山の弟子には山下敬二郎がいた[3]。同バンドでのヴォーカリストとしての活動と平行し、横須賀で流しのシンガーとしても活動する[3]

ウイリー沖山の独立後、同バンドは解散し[3]、菊地はカントリー&ウェスタンの歌手となり、1958年(昭和33年)、東京・有楽町の日本劇場で行なわれた第1回「日劇ウエスタンカーニバル」にウエスタン・キャラバンメンバーとして出演する。

テイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)と契約、1960年(昭和35年)に菊地正夫の名で、ザ・コースターズをバックに、シングル『ひとりぽっちで』でデビューする。B面の民謡ロック『スタコイ東京』が話題となり、『ダッキャダッキャ節』等の同様の楽曲を連打するが、さほど売れなかった。1962年(昭和37年)にリリースした、出生地樺太に思いを馳せる楽曲『ふるさとは宗谷の果てに』は、のちに西郷輝彦がカヴァーしてヒットした。1963年(昭和38年)、東芝レコード(のちの東芝EMI, 現在のユニバーサルミュージック)に移籍、『アホカイ節』等、民謡ロックを歌う。

再デビュー
1966年(昭和41年)1月、城卓矢と改名、心機一転して『骨まで愛して』をリリース、140万枚[4]を売り上げる大ヒットを飛ばして有名歌手の仲間入りを果たす。同曲を原作に川内が脚本を書き、日活渡哲也を主演に映画『骨まで愛して』を製作、城も本人役で出演し、同年7月9日に公開された[1][2][5]。引き続き同年リリースした『あなたの命』でも、同様に作詞の川内の脚本で映画化され、城も出演している[2]。同年12月31日に東京宝塚劇場で行われた第17回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。1967年(昭和42年)5月にはカントリー&ウェスタン調の『トンバで行こう』をリリース、同年から翌1968年(昭和43年)にかけて東映東京撮影所製作の梅宮辰夫主演ものの映画に出演、いずれも助演した[1][2]。楽曲には他にも森進一おふくろさん』とは同名異曲の『おふくろさん』や、『夜のブルース』などがある。

再デビューから5年後、1971年(昭和46年)3月に発売したシングル『男ごころの唄』を最後に引退した。東京都港区赤坂の溜池町にクラブを経営する[3]

カムバック
1978年(昭和53年)には、本名の菊地正規名で自ら作曲した『ひとりにさせて』を日本フォノグラム(現在のユニバーサルミュージック)からリリースし、城卓矢としてカムバックしている。同作のB面曲『故郷は遠く…』、および翌1979年(昭和54年)5月にリリースした『ムンチョッチョのズンチャッチャ』(B面『木浦の夜』)とともに4曲を作曲した[6]

1989年平成元年)5月9日横浜市立大学附属病院で、肝硬変および食道静脈瘤破裂により死去した。満53歳没。

映画
骨まで愛して監督斎藤武市脚本川内康範
原作 川内康範製作企画 仲川哲朗出演者渡哲也
松原智恵子
浅丘ルリ子
城卓矢
宍戸錠音楽小杉太一郎主題歌城卓矢「骨まで愛して」
作詩 川内和子(川内康範
作編曲 文れいじ(北原じゅん)撮影萩原憲治
照明 大西美津男編集近藤光雄製作会社日活配給日本の旗 日活公開日本の旗 1966年7月9日上映時間92製作国日本の旗 日本言語日本語テンプレートを表示骨まで愛して』(ほねまであいして)は、1966年(昭和41年)製作・公開された斎藤武市監督による日本映画である[1][2]。本作に本人役で出演している城卓矢の同名のヒット曲を原作に、同曲の作詩をした川内康範が脚本を執筆、渡哲也松原智恵子浅丘ルリ子らが主演した[1][2]

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このメッセージは、 2025年9月24日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
大ヒット曲「骨まで愛して」は、作詞家・川内康範が1966年2月4日に起きた全日空羽田沖墜落事故にて目撃し体験した出来事から制作しました。  おそらくは
墜落事故で無念の死を遂げた人たちの想いを込めた作品ではないかと思われます
いつまでも忘れないためにも、「骨まで愛して」は、いついつまでも唄い続けて欲しいと願っています。    合掌

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メッセージ
このメッセージは、 2025年9月24日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
大ヒット曲「骨まで愛して」は、作詞家・川内康範が1966年2月4日に起きた全日空羽田沖墜落事故にて目撃し体験した出来事から制作しました。  おそらくは
墜落事故で無念の死を遂げた人たちの想いを込めた作品ではないかと思われます
いつまでも忘れないためにも、「骨まで愛して」は、いついつまでも唄い続けて欲しいと願っています。    合掌