承継
この追悼サイトは、私たちの尊敬する経営者 本田 宗一郎(ホンダ創業者)さんを偲んで作成されました。

※このサイトで本田 宗一郎さんへの弔意・思い出を自由に投稿することができます。
本名:本田宗一郎(ほんだ そういちろう )
墓地:富士霊園墓地(〒410-1308 静岡県駿東郡小山町大御神888ー2) 日本


本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、(1906年明治39年)11月17日 - 1991年平成3年)8月5日)は、日本実業家技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。位階正三位

生い立ち[編集]

【『本田宗一郎 夢語録』 章構成】
●第一章:夢・情熱
『いやいやながら作り出すものに、世界の水準を超えるよい製品ができるわけがない』
『進歩を運命づけられた人間の辞典には、不可能という言葉はありえない』
『人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになることができる人である』
『自分の得意な分野でつまづく人は、結局自分に裏切られているのである』
『資金の足りない分は、知恵と労力で補えばいい』
『本当に人間の能力を信じて任せれば、決して、烏合の衆には終わらない』
『言葉や文章には嘘があっても、製品には嘘がない』
『最後は人間だ。人間が変わらなければどうにもならない』
『企業に得意、不得意があってはならぬ』
『技術よりもまず第一に大事にしなければならないのは、人間の思想』
など...
●第二章:挑戦・反骨
『失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである』
『既成の概念にとらわれることほど、人の考えを誤らせ道をとざすものはない』
『細心の注意をやると大胆さがなくなり、大胆さばかりを追うと粗暴になる』
『こやしにならぬ過去なら捨てた方がいい。それを捨てれば未来が考えられる』
『本当の合理化は設備投資をすることじゃない。石頭をきりかえることなのだ』
『流行とは、実に得体の知れぬものである』
『日本人はとかく、自分に理解できないものを否定しがちだ』
『若い時代の失敗は、将来の収穫を約束する種である』
『上の人の言うことなら、何でも従うようでは困る』
『貧乏すると、人間の本当の喜びや悲しみがわかる』
など...
●第三章:創造・発想
『よいアイデアに国境はない。よい商品に国境はない』
『発明、創意工夫なんてものは、ぎりぎりの線までいかないと出てこない』
『アイデアは誰でもいつでも、平等に分けることができる』
『独創性は新しいモノをつくることであり、模倣性は流行を生むこと』
『私は、世間で言う『悪い子』に期待している』
『人間というものは、どこか抜けたところがないと面白くない』
『はっきりと自分のことを、さらけ出したほうがいい』
『アンケートに頼っていては、発展がない』
『未知の世界の探求というものは、私は人生最大の楽しみのひとつだと思う』
『自由になりたいがために、モノを考え働いている』
など...
●第四章:信頼・社会貢献
『一番大事なのは約束を守ること。世の中に奉仕すること自体が信用である』
『人間が逆境に立ったとき、最も必要なのは反省である』
『信頼とは一日一日のその人の履歴、人となりだ』
『成功する人はいつでも金よりも先に、信用を押し出している』
『会社のために働くな。自分の生活をエンジョイするために働きにこい』
『真似をして楽をしたものは、その後に苦しむことになる』
『権力を持った者がどんなに真理を否定しても、真理は真理として残る』
『自由というものは半分以上が、非合理なものである』
『『果報は練って待て』よく反省して待つことが、われわれの課題』
『会社のなかでも部下に優秀な人間があれば、おれは頼りにするよ』       etc.

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        本田宗一郎ものづくり伝承館   静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1112
※注:このサイトは、本田宗一郎に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝
このメッセージは、 2023年11月16日に、墓マイラー趣味クラブさんが投稿
「大学の先輩が、かつて本田宗一郎氏の部下として一緒に仕事をしていたことがあります。その先輩は後に起業し、大成功を収めました。彼が回想する中で特に印象的なのは、"社内には本田宗一郎氏の示した方向性に懐疑的な人が半数以上いた"ということです。もちろん、彼自身はその方向性を支持していましたが、どんな会社にもトップの意見に賛同する人、反対する人、そして結果を見てから判断する人が存在すると述べています。彼は、「賛同者が最初に20%いれば十分」と言っていたことを忘れないと語っています。」 なんだかその言葉が印象に残りました。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2023年11月16日に、墓マイラー趣味クラブさんが投稿
「大学の先輩が、かつて本田宗一郎氏の部下として一緒に仕事をしていたことがあります。その先輩は後に起業し、大成功を収めました。彼が回想する中で特に印象的なのは、"社内には本田宗一郎氏の示した方向性に懐疑的な人が半数以上いた"ということです。もちろん、彼自身はその方向性を支持していましたが、どんな会社にもトップの意見に賛同する人、反対する人、そして結果を見てから判断する人が存在すると述べています。彼は、「賛同者が最初に20%いれば十分」と言っていたことを忘れないと語っています。」 なんだかその言葉が印象に残りました。
軌跡

人生史ーダイジェスト版(ChatGPT3.5)

本田宗一郎は、1906年11月17日に日本の岐阜県に生まれました。彼は若い頃から機械に興味を持ち、高校を中退して自動車整備工場で働き始めました。その後、自動車整備技術の向上のために教育を受け、技術者としてのキャリアをスタートさせました。
第二次世界大戦中、本田は航空機のエンジン修理に従事し、その経験が後にHondaのエンジン開発に役立つことになります。
戦後、本田は自転車用のエンジンを開発し、1950年代にはオートバイを生産するようになりました。その後、自動車産業に進出し、1963年には最初のHonda自動車が生産されました。
本田は技術的な革新に取り組むことで知られており、彼の設計によるエンジンは燃費や性能において他のメーカーに比べて優れていました。
また、本田は「夢を追い続けることができる人生であることが大切だ」という信念を持っていました。彼は自動車産業だけでなく、航空機やロボットなど、多岐にわたる分野で革新的な製品を開発することに取り組みました。
本田は1991年に逝去しましたが、彼の人生と業績は、今でも多くの人々に尊敬と感銘を与えています。
報告

オヤジさん

㈱スマートシニアさんが2023年3月25日に投稿
世界のホンダとなってからも、本田宗一郎は全社員から「社長」とは呼ばれなかった。また、社長室というものも持たなかったという。ホンダの社員は皆、本田宗一郎のことを親しみや尊敬を込めて「オヤジさん」と呼んでいたそうだ。
カネについては.... 感謝と信頼はお金では買えません。お金で買えるものは、たかだか知れています。信頼や感謝はお金では買えません。この人のためならという人がたくさんいたからホンダは世界的企業になった。私は大切なことは「感謝の心」と「おもいやり」だと思います。「感謝の心」と「おもいやり」なんてあたりまえのことだと思うかもしれません。
「実を言うと、社長をやっていた時は金儲けが財産だと思っていたけど、結局、友達こそ本当の財産だなあ。」... 本田宗一郎

迷惑をかけない

㈱スマートシニアさんが2023年3月25日に投稿
大学の先輩が、HONDAで本田宗一郎さんと一緒に働いていたので良く話を聞きました。

「人に迷惑をかけることだけはするな」。これが親からの最大の贈り物と言っています。そんな人でしたから、生前に俺が死んでも葬式はするなと。近隣の人たちに迷惑がかかるから、葬式はしなくていい。その代わり、世界中の新聞に「ありがとうございました」と出してほしいと言っていたそうです。

訃報も故人の意志で、葬式・お通夜・弔電・献花一切なしという対応が書かれていました。
「自動車を作っている者が大袈裟な葬式を出して交通渋滞を
起こすような愚は避けたい。もうすぐお迎えが来るが、何もするな。」
生前、こう言っていた宗一郎さんの言葉を忠実に守った
「通夜」はむしろ清々しいほどだったらしいです。

【皆様のおかげで 幸せな人生でした どうもありがとう 本田 宗一郎】

世界で成功した日本のベンチャー企業

㈱スマートシニアさんが2023年3月25日に投稿
終始最良のパートナーとして共に経営にあたった藤澤武夫さんが常務取締役として入社。創業時に2人が目指したのは、「世界一のオートバイメーカー」になることでした。
ホンダに営業に行くと、誰が部下で、上司なのかわからないくらい、皆が自由に発言していました。社内の役員との距離も近く、ボトムアップの志向が強いのか、とにかくみんなが意見を言ってきてくれたのを覚えています。

今日では、自動車だけでなく、オートバイ、発電機、芝刈り機、航空機、ロボットなど多岐にわたる製品を開発・販売しています。