承継
佐野家墓所長楽寺(臨済宗)



佐野 鉄治 :平成31年(2019)2月26日逝去 (4代目)
佐野 一枝 :平成26年(2014)5月1日逝去 

佐野 利策 :昭和56年10月13日逝去 88歳(3代目 利翁策進居士)
佐野 ノブ :昭和57年5月8日逝去 84歳(利室信淨大姉)

佐野 鉄藏 :昭和7年3月20日逝去 70歳(2代目 鐵岩自光上座)
佐野 なつ :昭和36年1月13日逝去 90歳(夏月妙寿尼上座)

佐野 利助 :明治9年4月13日逝去 (初代 廓峰紹然信士)
佐野 かね :明治34年6月6日逝去 67歳(覺臺玅智信女)

佐野 もと :文久2年4月8日逝去 (柏屋貞操信女)


このメッセージは、 2021年8月1日に、 保男さんが投稿
またお墓参りで会いましょう!
このメッセージは、 2021年7月31日に、佐野雅基さんが投稿
暑いですね。またお墓参りに行くね。
このメッセージは、 2021年7月31日に、佐野雅基さんが投稿
もうすぐお盆ですね。
帰ってくるのを待ってます。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2021年8月1日に、 保男さんが投稿
またお墓参りで会いましょう!
このメッセージは、 2021年7月31日に、佐野雅基さんが投稿
暑いですね。またお墓参りに行くね。
このメッセージは、 2021年7月31日に、佐野雅基さんが投稿
もうすぐお盆ですね。
帰ってくるのを待ってます。
大切な方の思いで

佐野石材の歩み

1854年(安政元年)   初代佐野利助が益津郡郡村にて創業
1917年(大正6年)   志太郡石工同業組合加盟。利策が三代目社長となる
1923年(大正12年)  西益津村忠魂碑を建立
1953年(昭和33年)  鉄治が四代目社長となる
1990年(平成2年)   有限会社佐野石材として法人登録。保男が五代目社長となる。建設業許可を受ける
2006年(平成18年)   「全国優良石材店の会」 入会
2007年(平成19年) お墓講座初開催(2009年より毎年開催)
2008年(平成20年) エコアクション21 認証登録
2009年(平成21年) 藤枝市岡出山に藤枝展示場オープン(経営革新計画承認事業)
2013年(平成25年) 雅基が六代目社長となる
想いで

お爺ちゃんのような石工

佐野和弘さんが2021年8月15日に投稿
自分がまだ小さく小学校にあがるかあがらない位の時いつも石屋に行くとおじいちゃんが出仕事に連れてってくれました。だから小さな頃からお寺や霊園は遊び場でした。
またおじいちゃんと言えばいつもオナラで場を盛り上げてくれた程おならに関しては達人☺️
今ではおじいちゃんのような石工の達人に近づけるよう日々頑張ってるよ

お盆 令和3年

佐野雅基さんが2021年8月15日に投稿
今年のお盆はコロナかの中でのお盆でした。ご先祖様が帰ってきても少し寂しいかもしれませんね。マスクをして帰ってくるのかな?

佐野鉄治(大正10年11月10日生~平成31年2月26日没)

佐野雅基さんが2021年7月26日に投稿
今宵、あなたは果てなき人生を歩き終え、旅立ちの前夜を迎えている
過ぎし日の思い出はあたたかく、
きっと何ひとつ悔いなきほどにほがらかな笑みを浮かべているのでしょう……
尋常小学校を出たのは十二歳のときだった
まだまだ遊びたい年頃であるし、
上の学校へ進みたい、という思いもあったのかもしれない
けれどあなたは佐野家の長男坊、
下には七人のまだ幼い弟さんや妹さんたちがいる
だから甘えたい気持ちは胸の奥にしまいこみ、
少年だったあなたはがむしゃらになって働くぼかりだった
当時はクレーンやリフトなどもない時代、
まだ華奢な体に重い石材を担ぎ、あなたは額に汗を滲ませる
そうして一生けんめい働いて、
もらったお給料のほとんどは弟さんや妹さんたちの学費に充てる
でもそれでよかった
あの頃からあなたは家族のために生きていた
そしてそれは一・枝さんと所帯を持ち、子供たちの父親となっても同じ
佐野石材の四代目社長となってからも、
あなたの真面目さ、職人としての心意気は少しも変わらなかった
モノを売るのではなく「こころ」を売るのだと、お客さんを大事にする
あなたの誠実で実直な働きぶりは、
お客さんや仲間からの信頼も厚かったのでしょう
だからこそ静岡護国神社の石垣造りなど大きな仕事を任されたり、
あるいは遠く他県での仕事も依頼されたのでしょう
そうして納得のいく仕事ができたなら、
お客さんに喜んでもらえたなら心すがすがしく微笑む
根っからの職人だった
いつだってあなたはお天道様に胸を張る、
まさに「昭和の造り人(つくりびと)」だった
仕事から離れれば、温厚で飾らない笑顔の「てっちゃん」
たくさんのお仲間と心を通わせ、笑顔を交わし合う
あなた自身は下戸だけどお酒の席は大好き、
お仲間たちとお喋りを弾ませワイワイ賑やかに盛り上がる
カラオケの十八番は「私のラバさん」、
気持ちよさそうに歌って踊り、そんなあなたに皆が心を和ませられる
耳を澄ませぼ聴こえてくる
あなたのあたたかな歌声は、今も懐かしくみんなの胸に届いてくる
ボランティアの交通指導員を長年にわたって務める
雨の日も風の日も、通学路に立って小学生たちを見守る
「おはよう!」とあなたに声をかけられれば、
小学生たちも元気いっぱいに「おじさん、おはよう!」と挨拶をする
どんな笑顔だったのでしょう
小学生たちを見守るあなたの眼差しは、どれほど優しかったのでしょう
そうしてあなたはその優しさで、生涯妻の一枝さんを大事にする
苦労も喜びも分かち合い、
幾歳月(いくとせ)を越えてともに歩んできたあなたと一・枝さん
二人は町内でも評判になるほどずっと仲良しだった
旅行もたくさんした
齢を重ね旅行ができなくなれば、二人で手を繋いでお散歩をした
そしてそんな仲睦まじい姿に、
皆があたたかい気持ちになれるのだった
一生けんめい働いて
、人を愛し、人に愛されたあなたの人生
そんなあなたの生き方を、
子供たち、お孫さんやひ孫さんたちはずっと見てきた
ならぼその生き方は「道しるべ」となる
九十九年の道を生き抜いたあなたの背中は、
これからもずっと家族の道を示してくれる「しるべ」となるのでしょう
そんなあなたを偲びたい
紡いだ思い出のひとつひとつを、
私たちは今宵そっと懐かしみたいのです
そう、この胸の奥、あなたの笑顔をしっかりと思い出しながら……