承継
この想いでサイトは、 石橋 信夫(大和ハウス創業者)さまを承継するために作成されました。

享年81歳 、誕生日 1921年9月9日、命日 2003年2月21日

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本名:石橋 信夫(いしばし のぶお)
戒名:-
墓地:-

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略歴[編集]
  • 1921年、奈良県吉野郡川上村に生まれる。
  • 1939年、奈良県立吉野林業学校 (後の奈良県立吉野林業高等学校) 卒業後、満州営林庁敦化営林署勤務。
  • 1942年、前橋陸軍予備士官学校卒業。
  • 1948年、満州営林庁敦化営林署復員。
  • 1949年、吉野中央木材取締役就任。
  • 1955年、大和ハウス工業を設立。常務取締役就任。
  • 1963年、大和ハウス工業代表取締役社長就任。
  • 1971年、社団法人経済団体連合会理事就任。
  • 1978年、社団法人プレハブ建築協会会長就任。
  • 1979年、藍綬褒章受章。
  • 1980年、大和ハウス工業株式会社代表取締役会長就任。
  • 1992年、大和ハウス工業株式会社代表取締役相談役就任。
  • 2003年、81歳で逝去。従三位勲一等瑞宝章受章。
    • その他には住宅建設業団体協議会会長、社団法人住宅生産団体連合会会長も務めた。
逸話[編集]1959年猪名川で鮎釣りをしていた際、日暮れが迫っているのに子供が帰宅しないのを見かけた。早く帰宅するように声を掛けると、子供達は帰っても勉強部屋も子供部屋も無いと答えた。石橋は戦後の人口増に見合った住宅が普及していないと考え、社員に技術の研究と開発を命じた。そのときに開発されたのが「ミゼットハウス」である[1][2]

石橋信夫の名言
愛することなしには、夢の実現などの事の成就はあり得ないでしょう。

どれだけチャレンジしている夢を、仕事を、自分の能力を愛することができるか、
どれだけ深く愛することができるかです。

愛することにも限界はありません。どこまでも深く愛することができます。

深く愛していくことの追求をやめてしまえば、人同士の関係もそうですが、
マンネリ化してしまったり、素晴らしい刺激を受けることもなくなってしまいます


常に愛の追求をしているからこそ新鮮でいられるものですね。

夢へのチャレンジ、仕事や能力の成長、進化を実現していくことに関しても
全く同じことが言えます。


満足して追求をやめてしまえば、早晩飽きたり、やる気も失せてしまうものです。

本来果てしない欲があるのが、人間も含め自然界の存在です。

どこかの地点に安住してしまって満足することは決してありません。

脳は常に新鮮な刺激を欲するものです。
そういうメカニズムになっています。


どうぞやるべきこと、夢などをどこまでも深く愛し抜いてください。

愛し、愛し抜いて実現していかない夢はないでしょう。

仕事をやる以上、仕事に惚れなくてはならない。仕事が恋人であるなら成功せぬはずがない

人間はやろうと思ったらなんでもできる。 できないのは努力が足りないからだ 奇蹟が
 存在するのではない。 努力と意思が奇蹟を生むのである


未知の時代の勝利者になるには、まず既成概念を捨てることだ。 そして新しい眼で3年先、
 5年先、15年先を読むことだ。 「サン・ゴ・ジュウゴ」の先を読むことができれば
  さらなる将来の展望を開ける

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            奈良県奈良市左京6-6-2

石橋信夫記念館 展示物のご紹介

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