父・政雄
西垣 政雄(にしがき まさお) 大正14年(1925)11月19日生 ~ 平成7年(1995)1月31日没
【人とお酒を愛した、優しき国鉄マン】
■ 人柄とエピソード とにかく「人」と「お酒」が大好きな社交家でした。仕事帰りに行きつけの店や同僚の家で遅くまで語り合うのが日課。パチンコも大好きで、景品のチョコレートやおつまみの焼き鳥を、よく娘たちにお土産に持って帰ってきてくれました。母には叱られることもありましたが、子供たちには常に優しい、自慢の父でした。 実は生涯、自分の誕生日を「1月19日」だと思い込んで過ごしていましたが、没後に戸籍を確認した母により「11月19日」が真実だと判明した、という大らかなエピソードも残されています。
■ 仕事と家庭 国鉄職員として55歳まで勤め上げました。じっとしているのが苦手だったのか、退職後も駐車場の受付や水道集金、夜の仕事など、精力的に働き続けました。 家庭では意外と料理上手で、父が作ってくれた「親子丼」の美味しさは、今でも娘たちの忘れられない「父の味」です。
西垣 信子(にしがき のぶこ) 旧姓:清水 昭和2年(1927)10月4日生 ~ 令和4年(2022)2月21日没
【芯が強く働き者、晩年は彩り豊かに】
■ 仕事と家庭 4人姉妹の末っ子として育ちました。結婚後は、国鉄職員の妻たちが集まる内職(編み物や洗い場など)で家計を支え、娘たちが小学3年生の頃からは安田生命で13年間、外交員として自転車で走り回りました。「疲れた」と言いながら帰宅する背中は、家族を守るための強さの証でした。 娘たちには厳しく、よく口喧嘩もしましたが、一歩外に出れば「控えめで良いお母さん」と評判の人格者。私たちには見せない気遣いで、西垣家を支えてくれていました。
■ 晩年の横顔 49歳頃に退職してからは、本来の自由な心が花開きました。絵画、大正琴、カラオケでの演歌発表など、多趣味に活動。父を見送ってからの27年間も、強くたくましく生きました。 晩年、私たち娘に向かって「あなた、しっかりしなさい」と活を入れてくれた母。最後の最後まで、子供たちのことを案じ、励ましてくれる「強いお母さん」でした。