承継
この想いでサイトは、 西垣家 ファミリーヒストリーとして作成されました。

中田家西垣家両家墓:滝の川墓地 486.487  墓所マップ


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【賑やかな笑い声と、働き者の背中 ~西垣政雄・信子の歩み~】

西垣家は、いつも人の輪と賑やかな音に包まれた家庭でした。 国鉄マンとして働き、お酒と人と話すことが大好きだった父・政雄。そんな父を支え、保険の仕事や内職で家計を助けながら、晩年は趣味を謳歌した母・信子。

夫婦で、そして時には母も交えて麻雀卓を囲み、ジャラジャラという音が響く居間は、私たち娘(美恵子・智恵子)にとって「少しうるさいけれど、温かい」原風景です。 父が国鉄に勤めていた縁で、家族旅行にもよく出かけました。父の退職前には夫婦水入らずの旅へ、また娘たちが住む関西へも足を運んでくれました。

父が平成7年に旅立ってから27年後、母も令和4年にその生涯を閉じ、二人は再び一緒になりました。 人が好きで、家族が好きだった二人。その愛情は、今も私たちの心の中に温かく息づいています。

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軌跡

父・政雄

西垣 政雄(にしがき まさお) 大正14年(1925)11月19日生 ~ 平成7年(1995)1月31日没

【人とお酒を愛した、優しき国鉄マン】

■ 人柄とエピソード とにかく「人」と「お酒」が大好きな社交家でした。仕事帰りに行きつけの店や同僚の家で遅くまで語り合うのが日課。パチンコも大好きで、景品のチョコレートやおつまみの焼き鳥を、よく娘たちにお土産に持って帰ってきてくれました。母には叱られることもありましたが、子供たちには常に優しい、自慢の父でした。 実は生涯、自分の誕生日を「1月19日」だと思い込んで過ごしていましたが、没後に戸籍を確認した母により「11月19日」が真実だと判明した、という大らかなエピソードも残されています。

■ 仕事と家庭 国鉄職員として55歳まで勤め上げました。じっとしているのが苦手だったのか、退職後も駐車場の受付や水道集金、夜の仕事など、精力的に働き続けました。 家庭では意外と料理上手で、父が作ってくれた「親子丼」の美味しさは、今でも娘たちの忘れられない「父の味」です。

西垣 信子(にしがき のぶこ) 旧姓:清水 昭和2年(1927)10月4日生 ~ 令和4年(2022)2月21日没
【芯が強く働き者、晩年は彩り豊かに】
■ 仕事と家庭 4人姉妹の末っ子として育ちました。結婚後は、国鉄職員の妻たちが集まる内職(編み物や洗い場など)で家計を支え、娘たちが小学3年生の頃からは安田生命で13年間、外交員として自転車で走り回りました。「疲れた」と言いながら帰宅する背中は、家族を守るための強さの証でした。 娘たちには厳しく、よく口喧嘩もしましたが、一歩外に出れば「控えめで良いお母さん」と評判の人格者。私たちには見せない気遣いで、西垣家を支えてくれていました。

■ 晩年の横顔 49歳頃に退職してからは、本来の自由な心が花開きました。絵画、大正琴、カラオケでの演歌発表など、多趣味に活動。父を見送ってからの27年間も、強くたくましく生きました。 晩年、私たち娘に向かって「あなた、しっかりしなさい」と活を入れてくれた母。最後の最後まで、子供たちのことを案じ、励ましてくれる「強いお母さん」でした。

多趣味に活動した母

絵画 大正琴 カラオケなど多趣味に活動した。
報告

中田家西垣家の両家墓完成しました。

山崎山崎石材:管理者さんが2026年1月26日に投稿
2024年8月にご相談をいただき、約1年の打ち合わせ期間を経て、2025年8月7日にお墓が完成しました。

今回ご依頼いただいたのは、ご先祖をともに敬い、これからの世代へと想いをつないでいく「両家墓」。
ご家族との対話を重ねながら、ご両家それぞれの歩みや、家族で過ごした日々の思い出を一つひとつ丁寧に紡ぎ、お墓のデザインに反映しました。

お墓は、単なる石の構造物ではなく、
**両家の歴史と記憶が交わり、これからも語り継がれていく“家族の物語の場”**として完成しています。

この想いでサイトには、ご両家の歩んできた時間や、家族のぬくもり、そして未来へ託す想いが刻まれています。
お墓参りのひとときが、懐かしい記憶を呼び起こし、家族の絆をあらためて感じる時間となることを願っています。