承継
軌跡

偉大なる中村久子さん

これほどハンディキャップを背負いながら人生を全うし、亡くなって50年以上経っても、私たちに「強く使命を持って生きる」と後押ししてくださっています。

2歳の時に、両手両足を失い、さらに失明しかかる、さらに10歳の時に父親は死去。
再婚した義理の父から虐待を受け、間もなく中村久子さんは身売りされ「だるま娘」の名で見世物小屋で働くようになる。
しかも若くして母親も幼い弟も死去。
それから、結婚はしたものの旦那もさらには三女も死去。

そんな激動の不遇な生活を支えてくれたのは祖母ゆきと母あやの厳しくも愛情のある子育てが彼女を強くしてくれました。
生涯を通じて国による障害者の制度による保障を受けることは無かった中村久子さん。

ヘレン・ケラーと出会った時、中村久子さん、口と肘の無い腕を使って作った日本人形をケラーに贈りました。ケラーは久子を、「私より不幸な人、私より偉大な人」と賞賛しました。

その後、「歎異抄」を知り執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を始め、全国の身障者および健常者に大きな生きる力と光を与えました。

現在、中村久子さんのお孫さん達は存命です。

私たちは何不自由無い生活に甘えてはいけません!

そして、彼女の生き方を忘れず、社会に邁進していこうじゃありませんか?