承継
軌跡

(生い立ち)

島根県益田市に生まれ、幼少時に津和野に一時住んだ後は上京し東京で育つ。口演童話家として活躍し、児童文学の普及に貢献した天野雉彦は叔父(母の弟)。

3歳の頃、母に捨てられ、同居していた祖母に育てられる。幼少の頃から話術が達者で当時演じられていた落語をほとんど覚えていたという。学生時代に、近所に住む人妻と恋愛関係になるが、彼女は後に新劇界の伝説の女優「伊沢蘭奢」になった。

東京では赤坂小学校に通い[1]、のちに芸妓で有名になる萬龍(赤坂小に一時通う)とは同級生にあたる。その後、赤坂近隣にある東京府立第一中学校(現 都立日比谷高校)を卒業したが、第一高等学校(現 東京大学教養学部)の入学試験に二度失敗。憧れの落語家になるため三遊亭圓子の元に入門を決意する。しかし父親に反対され、1913年(大正2年)に活動写真(無声映画)の弁士となる。日活第二福宝館で清水霊山に師事し「福原霊川」となのる。