承継
この追悼サイトは、 森村 誠一(ミステリー小説・作家)さまのために作成されました。

享年90歳 、誕生日 1933年1月2日、命日 2023年7月24日
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森村 誠一(もりむら せいいち、1933年昭和8年〉[1]1月2日[2] - 2023年令和5年〉7月24日)は、日本小説家作家。元ホテルマンであり[3]、ホテルを舞台にしたミステリー作品を多く発表している[4]江戸川乱歩賞日本推理作家協会賞など数々の推理小説の賞を受賞した[3]

しかし大学卒業時は就職不況時代であったため、希望したマスコミ業界には就職できなかった[6]。英語が得意だったことと[6]妻が新大阪ホテル(現リーガロイヤルホテル)の重役の姪だったこともあり、同ホテルに就職[4]。1年後に東京の系列ホテルに転勤するが[6]、妻のコネという庇護から逃れるため、その頃オープンしたホテルニューオータニに自力で飛び込み、転職した[6][4]。ホテル勤務は9年におよぶ[1]

幼い頃から本の虫で、初めて作家になりたいと思ったのは12歳の時だったが[6]、その思いを強くしたのは千代田区の都市センターホテル勤務時代[7][4][8]。目の前に文藝春秋の社屋が完成し、梶山季之阿川弘之黒岩重吾笹沢左保ら当時の流行作家がホテルを定宿にして執筆していた[8]。フロントマンとして度々接していると[6]、そのうち親しくなった梶山が森村に原稿を預け、各社の編集者に渡すよう頼んでくるようになる[7][9]。そしてその原稿を盗み読みし、続きを自分なりに書いてみると[8]、次第に3本に1本は「俺の方が面白い」と思えて自信を持つようになる[7][8]。後年梶山にそのことを伝えると「お前は、俺のモグリの弟子だな」と言われたという[9][10]

1969年、「ミステリーを書いてみたら?」と言われて執筆したホテルを舞台にした本格ミステリー『高層の死角』が第15回江戸川乱歩賞を受賞する[6]。翌1970年に刊行した『新幹線殺人事件』が60万部のヒットとなり、推理作家としての道が開ける[6]1973年、『腐蝕の構』で第26回日本推理作家協会賞を受賞。

推理小説のシリーズキャラクターとして、棟居弘一良棟居刑事シリーズ)、牛尾正直着駅シリーズ)を生み出している。作品は大半が文庫化され、一躍、ベストセラー作家になった。なお、『人間の証明』は映画化を前提に、角川から依頼されて執筆したもの[6]。その際、角川から「あなたにとって作家の証明となる作品を」と言われたことや、“しょうめい”という音の響きを森村が気に入ったことが題名の由来である[13]

21世紀に入り、写真を用いての俳句に関心を持ち、旅行時や散歩時もカメラを持ち歩いている。写真俳句についての著作は『森村誠一の写真俳句のすすめ』(スパイス刊)がある。このことは2006年3月1日付けの朝日新聞「aspara NAXT-AGE」コーナーに掲載された。また、「アスパラ写真俳句塾」審査員も務める。

2023年7月24日午前4時37分、肺炎のため東京都内の病院で死去した[14]。90歳没。

    250px-Morimura_Museum_%28Nagoya%29_130623.JPG  森村誠一文芸の館が一般公開! | FMクマガヤ 87.6MHz                         名古屋のやまと絵の美術館
   森村誠一記念館  愛知県名古屋市東区東桜1-10-18 052-971-0456

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 1.人間の証明         2.高層の死角        3.魔性ホテル
 4.幻の墓          5.人間の溶解        6.忠臣蔵 全5冊
 7.棟居刑事の 一千万人の完全犯罪       8.青春の証明
 9.終着駅          10.ねこの証明       11.星の陣
12.野性の証明        12.新幹線殺人事件     12.捜査線上のアリア
13.高層の死角        14.死媒蝶         15.虚無の道標
16.棟居刑事の断罪      17.超高層ホテル殺人事件   18.悪道
19.悪魔の飽食        20.恐怖の骨格       etc.

           森村誠一さんと歩んだ60年】妻が語る国民的ベストセラー作家の ...

※注:このサイトは、森村誠一に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

このメッセージは、 2023年10月6日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
9年におよぶホテル勤務で得た経歴を活かした、人間ミステリーの数えきれない程のヒット作品を遺した森村誠一さんは、時代を超えて愛読されることでしょう。         合掌

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このメッセージは、 2023年10月6日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
9年におよぶホテル勤務で得た経歴を活かした、人間ミステリーの数えきれない程のヒット作品を遺した森村誠一さんは、時代を超えて愛読されることでしょう。         合掌
大切な方の思いで

(生い立ち)

埼玉県熊谷市出身[1]。12歳にして、日本で最後[5]の空襲となった熊谷空襲を体験[6]。のちの「反戦平和」の原体験となる。

埼玉県立熊谷商業高等学校卒業[1]後、伯父の紹介で都内の自動車部品会社に勤めるが、商品を輸送中に神田駿河台の坂を車が登れず困っていたところを明治大学生に助けられ、大学生になるのもよいと考え、青山学院大学文学部英米文学科に進学[6]。在学中はハイキング部に所属し、山歩きに熱中した[6]。1年留年したが、1958年に25歳で卒業[6]