承継
軌跡

学生時代

ソルボンヌ大学の入学願書には、「マリア」ではなく「マリ」とフランス語で名前を書き、物理、化学、数学などを学ぶ日々が始まった。スラブ系の美しい顔立ち、明るい金髪、灰色の瞳を持つマリは、学内でもひときわ目立っていた。しかし、将来はポーランドに帰ると決めていた彼女は、時間がないことを悟り、姉夫婦のもとを去った。昼間は勉強、夜は家庭教師という毎日だった。生活費がないため、食事もろくにとれず、部屋には暖房がないため、勉強に打ち込みながら、寒くなると持っている服を全部着て寝るという日々を過ごしていた。ついに倒れ、医者であった義兄に看取られたが、苦労の結果、1893年7月、物理学の学士号を取得した。同年、貯金が底をついて断念したが、同窓生が奨学金を申請してくれたので、勉強を続けることができたという。

生い立ち

  • ヴワディスワフ・スクウォドフスキ(スクウォドフスキ)は、下級貴族階級の科学者で、ペテルブルク大学で数学と物理学を教えていたが、帝政ロシアによって研究・教育を制限された。父方の祖父ユセフ・スクウォドフスキ(ポーランド語版)も物理学と化学の教授であり、ルブリンでの若い頃のボレスワフ・プルシュも同様であった。母親のブロニスワフ・ボグスカも下級貴族階級の出身で、女子校(寄宿舎)の校長を務める教育者であった。
  • ワルシャワ大学で数学を学んでいたカジミエシュ・ヨラフスキは、マリアと恋に落ち、マリアは彼にワルシャワで勉強を続けるよう勧めた。結婚は認められなかったが、二人は連絡を取り合っていた。その頃、二人はザコパネで避暑を共にしていた。マリアはその頃、生活に変化を求めていたが、カジミエシュ・ジョラフスキは優柔不断で、何も決断できなかった。それで二人は仲違いし、マリアは一人でフランスに行くことにした。