承継
軌跡

(生い立ち)

1827年(文政10年)、ドイツ人医師であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと、長崎の商家俵屋の娘、瀧(1807年 - 1869年)の間に生まれる。

※丸山遊女(源氏名「其扇(そのおうぎ、そのぎ)」)と言われるが実際に遊女をしていたわけではなくシーボルトに見初められ、出島に出入りをするために「名付遊女」(遊女屋に手数料を支払って名義だけの籍を置くこと)として遊女のふりをしていただけ

シーボルトと結婚し、イネを出産した。イネの出生地は長崎市銅座町で、シーボルト国外追放まで出島で居を持ち、当時の出島の家族団欒の様子が川原慶賀の絵画に残っている。ところが、父シーボルトは1828年(文政11年)間宮林蔵に送った書簡が幕府に届けられたことにより、同様にシーボルトとの書簡のやり取りをする幕府要人などの取り調べが始まり、結果国禁となる日本地図、葵の紋の入った衣服等、国外持ち出しが発覚し(シーボルト事件)、イネが2歳のときに国外追放となった。