(出生から学生時代まで)
出生から学生時代まで
京都府京都市で、父・中坊忠治、母・富の次男として生まれる[3]。生家は裕福で、公平付きの女中がいた[3]。父親はかつて小学校の先生で、弁護士に転業したという経歴の持ち主だった[3]。母親もまた小学校の先生をしていた[3]。生まれつき弱虫で体も弱く目立たない存在だったと述懐している。
1942年 同志社中学へ入学。戦争中学徒動員で、三菱電機・伊丹製作所の工場へ働きに行く[3]。朝から晩まで工員として働いた[3]。戦後物資のない時代、両親と田舎に帰り農業をした[3]。
1948年 同志社大学(新制)入学。1949年 同志社外事専門学校編入を経て、1953年 京都大学法学部を卒業する。