承継
この追悼サイトは、私たちの尊敬する人 稲盛 和夫(京セラ創業者)さんを記念して作成されました。

※このサイトは参加型で、故人への弔意・思い出を自由に投稿することができます。

本名:稲盛 和夫(いなもり かずお)
戒名:ー
墓地京都府八幡市円福寺(京都)、日本
日本実業家京セラ第二電電(現・KDDI創業者公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。日本航空名誉会長。一時経営破綻した日本航空の再建にリーダーシップを発揮するなど、日本経済に大きく貢献した。妻の朝子は、禹長春の四女である。


詳しく知るためのリンクとその説明を以下に示します。

  1. 稲盛和夫 - ウィキペディア: 稲盛和夫の背景やキャリア、彼が創設した京セラとKDDIについての詳細な情報が記載されています。
  2. 京セラ公式ウェブサイトへのリンク:稲盛哲学: 稲盛和夫さんが創業者である京セラの公式ウェブサイト内のページ。稲盛氏の哲学が企業経営にどのように反映されているかが紹介されています。
  3. 稲盛財団: 稲盛財団が運営する文化施設で、彼の思想や貢献について詳しく説明しています。


稲盛和夫の名言
 〇 仕事にも人生にも法則がある。その法則にのっとった人間は成功し、外れた人間は
     失敗する
 〇 人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力
 〇 動機善なりや、私心はなかりしか
 〇 運の悪い人というのは、自分を棚に上げて人の批判ばかりしています。 そういう
    人は知らず知らずに運を悪くしています。
 〇 「もうこれでいい」と思った瞬間から、会社の没落が始まる。
 〇 リーダーは常に謙虚でなければならない。 謙虚なリーダーだけが、協調性のある
    集団を築き、その集団を調和のとれた永続する成功に導くことができる。
 〇 人生というドラマにおいては、自分を主役にして脚本を書いた人と、目的意識もなく
    惰性で生きた人では、大変な違いができるのです。
 〇 時代がどう変わろうとも、人間の本質は変わらないのです。 誰しも人間は人生で善
    きことを追求し、後世に何か価値あるものを残すことによって「永続性」を達成し
    たいのです。
 〇 実際にはできないことを、できるようなふりをしてはいけません。 まずできないこ
    とを認めて、そこからスタートするのです。
 〇 もっとも偉大な能力とは、自分自身に打ち克つ能力なのです。
 〇 世の中に失敗というものはない。 チャレンジしているうちは失敗はない。 あきら
    めた時が失敗である。 
 〇 自分自身を信じ、強烈な願望を抱いて目標を追い続けなければならないのです。そう
    すれば夢を実現させることができると、私は信じています。
        etc.

経営の神様 稲盛和夫#1
   盛和塾最後の世界大会では、稲盛和夫塾長の最終講和が代読された
        (神奈川県横浜市・パシフィコ横浜にて)

  • ※注:このサイトは、稲盛和夫に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝
このメッセージは、 2023年8月24日に、墓マイラー趣味クラブさんが投稿
亡くなった父の書籍に、稲盛さんの本がありました。その本から人物像を知り、素晴らしい方だということを今更ながら認識しました。ご冥福をお祈りいたします

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2023年8月24日に、墓マイラー趣味クラブさんが投稿
亡くなった父の書籍に、稲盛さんの本がありました。その本から人物像を知り、素晴らしい方だということを今更ながら認識しました。ご冥福をお祈りいたします
大切な方の思いで

人物・来歴

キャリア

  • 起業家・企業家として[編集]1959年(昭和34年)業績が下降を辿り退職が相次いでいた、松風工業社員8人を引き連れ京都セラミツク(現・京セラ)を京都市中京区西ノ京原町で創業する。
  • 1971年(昭和46年)創業12年で大阪証券取引所に株式上場。
  • 1972年(昭和47年)「大規模集積回路用セラミック多層パッケージの開発」により、第18回大河内記念生産特賞を受賞。
  • 1972年(昭和47年)東京証券取引所市場に株式上場をはたす。
  • 1973年(昭和48年)京都セラミックが音頭をとり、日米合併企業となるジャパンソーラーエナジー(JSEC)を設立。
  • 1974年(昭和49年)「電子回路用セラミック積層技術の開発」により、第16回科学技術庁長官賞を受賞。
  • 1984年(昭和59年)稲盛が音頭を取りによる通信事業自由化が決定すると、京セラが資金を投入し民間初となるDDIを設立。(後にケイディディ日本移動通信と合併し、現在のKDDIとなる
  • 1988年(昭和63年)日本セラミックス協会会長に就任。
  • 1998年(平成10年)複写機メーカーの三田工業が 経営に行き詰まり会社更生法の適用を申請した際、三田工業からの要請により、京セラは三田工業の支援を表明した。2000年の更生計画認可を受けて同社を「京セラミタ株式会社」に商号変更し、京セラの子会社とした。そして、9年間の予定の更生計画を2年間で達成した。
  • 2009年(平成21年)ワールド・アントレプレナーシップ・フォーラムで世界起業家賞を受賞。
  • 2010年(平成22年)2月 日本航空会長に無報酬で就任する。「JALフィロソフィ」の策定など積極的な社員の意識改革に取り組み、全従業員の3分の1にあたる1万6千人のリストラを断行して、着任の翌期には営業利益1800億円の高収益企業に生まれ変わらせることに成功。赤字続きだった日本航空を3年足らずで再上場させた。

(経営手法)

その独特な経営管理手法は「アメーバ経営」と呼ばれる。
全国に支部を持つ盛和塾とPHP研究所や致知出版社などの出版社から出版した多数の経営指南書、自己啓発書を通じて多数の企業家の育成に力を注いだ。
想いで

人格を表すエピソード

墓マイラー趣味クラブさんが2023年8月24日に投稿
  • 稲盛和夫氏の人柄を示すエピソードとしてよく知られているのは、JAL(日本航空)の再建における彼の取り組みです。日本航空は、2009年に多額の負債を抱えて破産保護を申請するなど、経営陣悪化の中でした。稲盛氏は当時77歳でありながら、JAL再建のために無給で会長兼CEOに就任しました。
  • 稲盛氏が何より大切にしていたのは、「経営の神髄は人間性にある」という考えであり、JALの従業員たちに対しても、愛情と思いやりを持って接していたと言われています。彼は全従業員に「集団無意識を変えることが大切」と語り、経営哲学を徹底的に浸透させます。
  • 再建期間中、稲盛氏は無給だけでなく、出張費も一切請求せず、持ち前の倹約家ぶりを発揮して、自らの行動で従業員たちに改革の意義を示してきました。また、JAL再建後も収益の一部を社員に還元する制度を導入し、再建成功の喜びを全員で分かち合う姿勢を見せました。



哲学

墓マイラー趣味クラブさんが2023年8月24日に投稿
稲盛和夫氏の哲学は、経営活動の根幹にも深く影響を与えています。彼の哲学は以下のような複数の要素から成り立っています。
1. 人間性の尊重
稲盛氏は、経営の神髄は人間性にあると考えています。「人間を尊重し、人間性を重んじることが、最終的には企業の発展と成功につながる」というのが彼の信念です。対人関係やビジネスにおいても、相手を尊重し、関わるすべての人に感謝の気持ちを忘れず、誠心誠意で対応することが大切とされています。
2. 創業精神の継承
稲盛氏は、「理想に燃える情熱」や「絶え間ない挑戦」を経営の基本的価値観として掲げています。創業時から変わらない原点を大切にし、常に現状に満足せずに変革と挑戦を続けることが組織の成長につながると信じています。
3. 客観的自己評価
彼は、「成功の秘訣は、自分自身を正確に評価すること」と言います。経営セオリーは、「顧客第一主義」や「人を大切にする」といった一般的な考えとは違い、「自分自身を客観的に見つめる能力」を大切にしています。このことにより、自己改革への道を切り開くと共に、企業が競争力を維持し続けられると主張しています。

社会貢献を真剣に行った人

墓マイラー趣味クラブさんが2023年8月24日に投稿
  • 1984年に財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を創設し、ノーベル財団に特別賞を授与した。
  • 母校の鹿児島大学に個人資産を寄付して、大学キャンパス内に新しいホール「稲盛会館」を寄贈したほか稲盛アカデミーへの援助を行う。
  • また、地域社会はもとより国際社会において21世紀の更なる学術・文化の発展に貢献していくことを目的として、京都大学や九州大学の学術・文化の趣旨に賛同して「稲盛財団記念館」を寄贈した。
  • その他、多方面へ多額の寄付を行っている。
企業は利益を追求するだけでなく、自分たちの存在意義を見つめ直し、広く社会に貢献することが重要だと考えています。「営利のみを追求する経営ではなく、社会や従業員に役立つ経営を目指すべき」というのが、社会貢献の原点にありました。