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この追悼サイトは、 マルセル・ ジュノー(スイスの医師、広島の恩人)さまのために作成されました。

享年57歳 、誕生日 1904年5月14日、命日 1961年6月16日
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マルセル・ジュノーMarcel Junod1904年5月14日 - 1961年6月16日)は、スイス医師

ジュネーヴ大学麻酔科学を専攻。赤十字国際委員会の派遣員を第二次エチオピア戦争スペイン内戦第二次世界大戦の期間に渡って務めた人物である。第二次世界大戦後、赤十字国際委員会副委員長も務めた。

経歴[編集]特記事項[編集]彼はスペイン内戦の際にはフランコ政権側から、第二次世界大戦時にはドイツ側から危険分子とみなされており、ゲシュタポの拘束を受けたこともある。広島の惨状を知った際にはいち早くGHQに交渉して医療物資を提供させるなど交渉人としても卓越した人物であった。

参考文献・資料[編集]
武器なき勇者、マルセル・ジュノー博士2018年8月9日
1945年8月、世界で初めて核兵器が広島と長崎に投下され、多くの人々が犠牲となりました。原爆投下の影響を確かめるべく外国人医師として初めて広島入りしたのは、「ヒロシマの恩人」として今も慕われるマルセル・ジュノー博士でした。

広島を救った15トンの医薬品
マルセル・ジュノー博士©ICRC

マルセル・ジュノー博士©ICRC

昭和20年(1945年)8月9日、広島に続き、長崎にも原爆が投下されたその日、ジュノー博士は、赤十字国際委員会(ICRC)の駐日主席代表として来日しました。来日した博士の当初の目的は、連合軍捕虜などの処遇を調査し、やがて訪れる終戦時に捕虜たちの帰還を行うことでした。

しかし、自らが広島へ派遣したICRC職員の報告により原爆被害の惨状を知ると直ちに連合軍司令部(GHQ)へ救援を要請、戦争が終わるや調達した15トンの医薬品を持って9月8日に自らも広島入りし、被害調査に当たるとともに治療に携わりました。

被爆後の広島では医薬品不足の状態が続いたため、ジュノー博士から提供された医薬品は大変貴重なものでした。これらの医薬品の中には、当時入手困難だった「ブドウ糖注射液」なども含まれています。

ジュノー博士の尽力により救われた被災者は、数万人とも言われています。
広島image28.jpg
マルセル・ジュノー博士記念碑 広島市中区中島町1(平和大通り緑地帯、平和大橋西詰)
 ※注:このサイトは、マルセル・ジュノーに関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝 
このメッセージは、 2023年7月16日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
原爆の惨状を目の当たりにして、15トンもの医薬品を持って自らも広島入りし、被害調査とともに治療に携わったマルセル・ジュノー博士を人々は決して忘れません。 感謝の念を込めて・・・    合掌

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このメッセージは、 2023年7月16日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
原爆の惨状を目の当たりにして、15トンもの医薬品を持って自らも広島入りし、被害調査とともに治療に携わったマルセル・ジュノー博士を人々は決して忘れません。 感謝の念を込めて・・・    合掌