承継
  • 本名中浜 万次郎(なかはま まんじろう)
  • 霊園:雑司ケ谷霊園〒171-0022 東京都豊島区南池袋4丁目25−1 (霊園の東部、1-15号19側1番
  • ジョン万次郎資料館:〒787-0337 高知県土佐清水市養老303
  • ジョン万次郎の生家:平成22年10月31日、茅葺木造平屋建ての生家が復元された。入場無料、年中無休、午前8時から午後5時まで。(所在地:高知県土佐清水市中浜)

  • ジョン万次郎の生涯とは?西郷隆盛との関係や子孫、英語についても解説!
ジョン万次郎は、江戸時代末期から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人である。アメリカ人からはジョン・マンという愛称でも呼ばれた。土佐国出身。帰国後は本名として 中浜 万次郎を名乗った。

※日本人で初めてアメリカに留学したのはジョン万次郎である。ネクタイをする、鉄道に乗るなど多くの経験をした。ちなみに、アメリカに上陸した日本人は万次郎が初めてではなく、それ以前に漂流民がアメリカに渡っていたが、留学(勉強)をしたのは万次郎が初めてであった。


このメッセージは、 2022年3月31日に、㈱スマートシニアさんが投稿
昨日はTOMONIのご説明ありがとうございました。ーデザインがいいと思いましたー

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大切な方の思いで

生い立ち

万次郎は(1827年1月27日)、土佐国幡多郡中ノ浜村に生まれた。中之浜村(現在の高知県土佐清水市中之浜)で半農半漁の生活を送る貧しい漁師の次男として生まれた。父は悦助、母はしお。

米国留学

足摺岬沖のアジ漁に出る漁船に、料理人として乗り込んだ。乗組員は、5日半(一説には10日)漂流した後、伊豆諸島の無人島の一つである鳥島に漂着した。この島で143日間、わずかな水溜まりと海藻と海鳥だけを食べて生き抜いた。同年5月9日(1841年6月27日)、ウミガメを食料として確保するために島に立ち寄った万次郎一行は、ウィリアム・ホイットフィールド船長率いるアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランドの乗組員に発見・救助されたる。

船長のホイットフィールドは、彼の聡明さを賞賛してよくしてくれた。アメリカ本土に渡った万次郎は、しばらくホイットフィールド船長の隣に住むエベニーザー・エイキン(英語版)の家に滞在し、船長と叔母のアメリアから養子のように扱われる。ここで地元の子どもたちと一緒に学校に通い、英語や、数学、測量・航海術などの技術を学んだ。その後、バートレット牧師が運営するバートレット・アカデミーという全寮制の学校で学び、そこで数学・測量・航海術・造船技術などを学ぶ。彼は寝る間を惜しんで熱心に勉強し、首席となった。
想いで

人柄

墓マイラー趣味クラブさんが2023年3月2日に投稿
  • おごることなく謙虚で、晩年は貧しい人には積極的に施しを行い、役人に咎められても続けていたという。
  • 甘いものや、うなぎの蒲焼が好物だったという逸話が残っている。 
  • 刺客に襲われる可能性があったため、常にピストルと仕込み杖を持っていたとされる。
  • 画家の高橋由一が無名の頃に、彼の救助金を募ったとされる