承継
:長谷川 一夫(はせがわ かずお)旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)
戒名:照林院澄譽演雅一道大居士
墓地谷中霊園(マップ)〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目5−24
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俳優。称は長さん。戦前から戦後にかけて、二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。

不思議の国のアリス
没後、俳優初の国民栄誉賞を受賞

※ 運に恵まれる: 曰く「長谷川一夫さんほど運の強い人はないと思う」と語っている。映画入りして以来、ついに一度も人気の落ちることもなく、特別な事情のない限り助演に回ったこともないという大スタア、東宝歌舞伎の切符は毎回売り切れ、『ベルサイユのばら』も大当たりとなった。また、「もう一つ不思議なこと」として、長谷川の去ったあとの会社は、たいてい落ち目になることを挙げている。

このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
私は長谷川一夫さんの「銭形平次」が大好きで、よく投げ銭をまねして、
親から「お金を大切にしなさい」としかられました。
あの音楽とうっとりの流し目、素晴らしいです。
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
「ミーハー」とは、林長二郎のファンのために作られた言葉である。若い女性が大好きな「みつまめ」と、「はやし長二郎大好き人間」を揶揄してできたのが「ミーハー族」というキャッチフレーズだった。 Wikipediaより。

ミーハーです。まさに昭和スター、天国で安らかに
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
共演女優、田中絹代、岡田嘉子、山田五十鈴、李香蘭、高峰秀子、京マチ子、高峰三枝子、音羽信子、淡島千景、山本富士子、岸恵子、香川京子、若尾文子
実に豪華な顔ぶれですね。うるんだまなざしは「眼千両」と称されました。

永遠の二枚目俳優、心に刻みます。
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
 長谷川一夫(ハセガワ・カズオ)さん。俳優。1984年4月6日死去。同月に国民栄誉賞を受賞、丹精な顔立ち、重厚な演技、まさに昭和の名優です。
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
長谷川和夫さん

あなたは日本映画界が生んだ最大の二枚目スターです。昭和37年NHK大河ドラマ「赤穂浪士」での大石内蔵助役は、今でも人々の記憶に強く残っています。
多くの華やかな女優陣と競演し、永遠の二枚目俳優長谷川さんの心からのお悔やみを申し上げます。
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
心よりお悔やみ申し上げます。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
私は長谷川一夫さんの「銭形平次」が大好きで、よく投げ銭をまねして、
親から「お金を大切にしなさい」としかられました。
あの音楽とうっとりの流し目、素晴らしいです。
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
「ミーハー」とは、林長二郎のファンのために作られた言葉である。若い女性が大好きな「みつまめ」と、「はやし長二郎大好き人間」を揶揄してできたのが「ミーハー族」というキャッチフレーズだった。 Wikipediaより。

ミーハーです。まさに昭和スター、天国で安らかに
このメッセージは、 2020年11月20日に、TsuitonetSupportさんが投稿
共演女優、田中絹代、岡田嘉子、山田五十鈴、李香蘭、高峰秀子、京マチ子、高峰三枝子、音羽信子、淡島千景、山本富士子、岸恵子、香川京子、若尾文子
実に豪華な顔ぶれですね。うるんだまなざしは「眼千両」と称されました。

永遠の二枚目俳優、心に刻みます。
大切な方の思いで

生い立ち

京都府宇治市六地蔵(現・宇治市六地蔵)に生まれる。幼い一雄は、後に家業の酒造業を継ぎ、「大手座」という芝居小屋を経営していた叔父の長谷川宗太郎の影響を受ける。幼い頃から大手座に通い、芝居を見て育つ。風邪をひいた子役の代役として中村鶴之助一座の「菅原伝授手習鑑寺子屋」の菅修斎役で初舞台を踏んだ。これが縁で、翌年、関西歌舞伎の中村福円に弟子入りし、中村一夫と名乗るようになった。1917年、福圓一座とともに初めて上京、浅草あづま座で公演し、嵐一夫と改名。1918年、初代中村太郎次郎の一座に加わり、長男の林長三郎を預け、林長丸を名乗る。

スター俳優

1927年、松竹下鴨撮影所に入社。師匠から林長次郎の芸名をもらい、犬塚稔監督の「子供の剣術」で銀幕デビューを果たした。当時、松竹は時代劇映画の製作に力を入れ始めており、林は期待の新星として莫大な宣伝費を投じて宣伝した。その結果、この映画は若い女性の間で大人気となり、林は抜群の美貌と松竹の全社的な宣伝により、一躍スター俳優の仲間入りを果たしたのである。
1950年(昭和25年)、大映京都撮影所に重役として迎えられる。翌1951年(昭和26年)、『銭形平次』(森一生監督)が公開、以後『銭形平次捕物控』シリーズとして、大映で計17本の作品が作られ、同社を支える人気シリーズの一つとなった。
1953年(昭和28年)、イーストマン・カラー第1作である、衣笠監督の『地獄門』に主演。作品はカンヌ国際映画祭グランプリとアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。

暴漢に襲われる事件

1937年11月12日、渡辺邦男監督の「元禄繚乱」の撮影初日、俳優の三船敏郎は、共演の大河内藤次郎、入江たか子とともに宣伝用のスチール写真撮影に臨んだ。撮影を終えてスタジオを出たところで、待ち伏せしていた暴漢に突然襲われた。暴漢は安全カミソリ2本で林の左頬を12cmほど切って逃げた。この時、彼の第一声は「鏡よ、鏡!」であり、自分の顔を気にしていた。これぞ役者魂!
想いで

ミーハーという言葉の発祥

墓マイラー趣味クラブさんが2023年2月27日に投稿
「ミーハー」とは、長谷川一夫のファンのために作られた言葉である。若い女性が大好きな「みつまめ」と、「はやし長二郎大好き人間」を揶揄してできたのが「ミーハー族」というキャッチフレーズだった。
日本橋小網町のガソリンスタンド明光石油株式会社日本橋カズヲスタンドSSと供に赤坂で料亭賀寿老(かずお)を繁夫人と経営していた。酒が体質的に飲めず、大の甘党であったこともあり、晩年は糖尿病などの慢性病に悩まされた。

美剣士スターと称された

TsuitonetSupportさんが2020年11月18日に投稿
その美貌は生涯女性ファンを魅了、女性ファンにとってはたまらない魅力となり、劇場では銀幕に向かって思わず「長さァ〜ん」