承継
この追悼サイトは、 栗田 春生(栗田工業の創業者)さまのために作成されました。

享年62歳 、誕生日 1919年4月18日、命日 1981年8月8日
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栗田春生(読み)くりた はるお                                                                                                デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗田春生」の解説
栗田春生 くりた-はるお1919-1981 昭和時代後期の実業家
大正8年4月18日生まれ。昭和24年栗田工業を創立し,社長となる。ボイラー洗浄剤の販売から出発し,会社を水処理業界のトップ企業に発展させる。42年会長47年クリタ・タイランドをバンコクに設立し,社長。昭和56年8月8日タイで使用人に殺害された。62歳。福岡県出身。海軍機関学校卒。
中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2242回
栗田春生バンコックに死んで水処理業興る


牢屋から出てきた栗田工業の栗田春生さんは、
もはや栗田工業に戻ることもできず、
持株をすべて一株37円でイトーチュに譲り、
日本を離れてバンコックに行くことになりました

いま栗田工業の株は一株が2500円になっていますが、
創業者が下りた時は50円額面の株が
たったの37円だったのです。

栗田さんがバンコック下りをしたのは、
さんざ新聞ダネになって
日本ではもはや思いっ切り羽がのばせなくなったこともありますが、
多分、栗田工業の仕事の延長線上でやるのはタイ国ならいいと
本社から内諾を受けていたからではないかと思います


私はできることなら台湾でやってもらいたかったのですが、
台湾は前回にも述べたように
設備にお金をかけるよりも
罰金を払って先延ばしにする人が多かったので、
どこも援助には乗らないだろうと
悲観的な見方をしていたので、
積極的にすすめる氣にはなれなかったのです。

栗田さんは予定通りにバンコックに赴いて会社をつくり、
社員募集をすると、チェラロンコン大学の卒業生がドッと集まり、
前景氣はよかったようですが、
台湾よりはまだ遅れたところですから、
やがてヒマをもてあますようになり、
日本料亭で使う紫蘇の畑いじりをやっているとききました。
ところが或る日、
そこで働いていたタイの少年を叱りとばしたところ、
持っていた刀でいきなり刺殺され、
とうとう不帰の客になってしまいました。

あれからもう20何年の歳月がたってしまいましたが、
日本では栗田工業とオルガノが
水処理専門の会社として不動の地位を築き、
最近は大陸にも進出して
無錫のあたりに工場も建設するようになりました

もちろん、まだ着工したばかりで、
大きな実績をあげていませんが、
中国の経済成長が
汚水処理や環境保全対策を必要とする時代に入ったことを
証明しています。
中国もいよいよ環境汚染が社会問題になる時代になったのです。

「打出小槌町一番地」城山 三郎2019/02/20公開 2023/04/07更新
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打出小槌町一番地 (新潮文庫)

要約と感想レビュー■水処理の栗田工業が
 アメリカのベンチャー企業フラクタを
 子会社化したと聞いて手にした一冊です。


 栗田工業の創業者栗田春生さんは、
 日本軍で学んだタンクの洗浄の技術を活用して、
 戦後ボイラ洗浄薬品を売り出しました



 その創業ドラマがこの本の
 『第二章 前途洋々』に書かれてある



 この本によれば、栗田さんは
 軍隊組織のような規律経営で
 会社を大きくしましたが、
 やる気だけが先行してうまく
 経営できなかったようです



 小説では強気の経営が行き詰まり、
 大企業に経営を譲渡し、
 ブラジルに隠棲しています。


 現実の栗田さんは
 脱税と粉飾決算で有罪となり、
 タイのバンコクに隠棲しました



・「無理な売りこみは、いつかボロが出ます。それに、かつての大本営発表のように、誇大戦果が報告されてきます。売れそうなものを売れたといったり、代金を回収しきっていないのに、回収したといったり、そうなってくると、数字が全部おかしくなり、会社の実態がつかめなくなるじゃありませんか・・・」「くだらん因縁をつけるくらいなら、もう少し売れる車をつくったらどうだ」(前途洋々)(p161)


■この本には東京郊外の高級住宅街
 「打出小槌町一番地」に住む経営者の
 4つのドラマが書かれてあります。
                                    追悼 栗田春生(「追悼栗田春生」編集委員会 編) / 古本、中古本 ...
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このメッセージは、 2025年1月20日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
昭和24年栗田工業を設立し社長となる。 日本軍で学んだタンクの洗浄の技術を活用して戦後、ボイラー洗浄液の販売から出発し会社を水処理業界のトップ企業に発展させました。 その後、脱税と粉飾決算で有罪となりタイのバンコックへ行くことになりました。 一時的な経営の失敗は有ったにせよ、これだけの功労者の功績があまりにも残されていない事実に驚き、やむなく邱永漢氏と城山三郎氏の著書を掲載させて戴きました。 波瀾万丈の一生を送られた栗田春生氏に哀悼を捧げます。 身近にて情報をお持ちの方からの投稿をお待ちしています
     合掌

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このメッセージは、 2025年1月20日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
昭和24年栗田工業を設立し社長となる。 日本軍で学んだタンクの洗浄の技術を活用して戦後、ボイラー洗浄液の販売から出発し会社を水処理業界のトップ企業に発展させました。 その後、脱税と粉飾決算で有罪となりタイのバンコックへ行くことになりました。 一時的な経営の失敗は有ったにせよ、これだけの功労者の功績があまりにも残されていない事実に驚き、やむなく邱永漢氏と城山三郎氏の著書を掲載させて戴きました。 波瀾万丈の一生を送られた栗田春生氏に哀悼を捧げます。 身近にて情報をお持ちの方からの投稿をお待ちしています
     合掌