長男の妻の佐藤公香です。
四月の末、父は体調を崩し日大板橋病院に入院することとなりました。日大の医師より腎機能が低下しているとの事で処置を受け、腎臓専門の敬愛病院へ転院を致しました。そちらで人工透析を受けながら治療、リハビリに励み、板橋花火大会の日には一時退院をするまでに回復。その後退院も叶いましたが、再び体調を崩し再入院致しました。
11月12日昼、容態が思わしくなく私が病院へ伺うと、父より「ヤクルト飲みたい」と言われ、コンビニでヤクルトを買い父に渡しました。その時に「夕方4時半に、家族みんなで来ます」と伝えると、父は腕時計を指さしてOKサインのマルを作りました。その姿が最期となりました。
夕方、母と夫、娘が病室に到着する寸前の所で、父は息を引き取りました。まだ温かく眠っているようでした。敬愛病院では先生や看護師の皆様に良くして頂き、たいへん安らかな旅立ちであったと思います。
まだ、父がいないと言う実感がわかないのですが、家族みんなで支え合っていきたいと思います。
皆さまには変わらぬお付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。
四月の末、父は体調を崩し日大板橋病院に入院することとなりました。日大の医師より腎機能が低下しているとの事で処置を受け、腎臓専門の敬愛病院へ転院を致しました。そちらで人工透析を受けながら治療、リハビリに励み、板橋花火大会の日には一時退院をするまでに回復。その後退院も叶いましたが、再び体調を崩し再入院致しました。
11月12日昼、容態が思わしくなく私が病院へ伺うと、父より「ヤクルト飲みたい」と言われ、コンビニでヤクルトを買い父に渡しました。その時に「夕方4時半に、家族みんなで来ます」と伝えると、父は腕時計を指さしてOKサインのマルを作りました。その姿が最期となりました。
夕方、母と夫、娘が病室に到着する寸前の所で、父は息を引き取りました。まだ温かく眠っているようでした。敬愛病院では先生や看護師の皆様に良くして頂き、たいへん安らかな旅立ちであったと思います。
まだ、父がいないと言う実感がわかないのですが、家族みんなで支え合っていきたいと思います。
皆さまには変わらぬお付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。
長男の佐藤巌です
父は皆様とこれまで仕事や釣行・釣り談義、山菜取り、畑作業、麻雀や将棋、家の建替えなど色々とご一緒させていただき、とても賑やかで楽しい時間を過ごせたと思いとても感謝しております
今後ともこれまでと変わらぬお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます
ありがとうございました
父は皆様とこれまで仕事や釣行・釣り談義、山菜取り、畑作業、麻雀や将棋、家の建替えなど色々とご一緒させていただき、とても賑やかで楽しい時間を過ごせたと思いとても感謝しております
今後ともこれまでと変わらぬお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます
ありがとうございました