承継
この想いでサイトは、 江口家 お墓改葬の際に作成されました。
お墓参りの際は、江口家ファミリーヒストリーにメッセージ等が打ち込める欄があります。
ぜひ一言よろしくお願いいたします。

※ メッセージ投稿ボタンを押して頂くと、サインインをしてくださいという依頼があります。ラインで簡単に登録が可能となっております。


我が家系(北海道の江口家)は、福岡県八女郡広川町の江口家より 江口嘉平(江口文藏の二男)が分家し、明治27年に長男江口幸太郎が 北海道開拓の屯田兵として、滝川市江部乙に家族とともに移住したことから始まる。


江口家墓所:北海道滝川市江部乙町 江部乙墓地 墓所番号:北5条2番
江口家墓所マップ(有壁家と両家墓)  墓所座標:43.620545, 141.957040

有壁家ファミリーヒストリー
このメッセージは、 2024年4月25日に、 真弓さんが投稿
工事も最終段階ですね
近いうちに見に行きます
楽しみです
このメッセージは、 2024年4月23日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
前部分の基礎工事入ってます。

https://yama148-jp.box.com/s/h6n2419etkywnhjbcxtyhg2mgqyye8eg
このメッセージは、 2024年4月8日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
4月末までには基礎コンクリート前部分も完成しますので、できましたら連絡します。よろしくお願いします。
このメッセージは、 2024年4月8日に、 真弓さんが投稿
雪どけ進みましたね
春ももう少し
お墓の改修が終わったら、墓参に行こうと思います
ゴールデンウィークは帯広に集合して、BBQしましょう
このメッセージは、 2024年4月7日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
今日、かなり雪溶けが進みました。
まだ、水はけ切っていないので、前の部分の基礎工事もう少し様子みて入ります。
このメッセージは、 2024年2月14日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
江口徹様のお墓への納骨を2024年6月23日 午前11時位を予定しております。
このメッセージは、 2023年11月21日に、 真弓さんが投稿
今日、「思い出サイト」について、道新の取材を受けました
江部乙のお墓のリノベーション、思い出サイト利用のきっかけとか、どう活用したいかとかを伝えました
これから、思い出サイトの作り込みを進め、家族みんなに見てもらえるようにしていきます☺️
このメッセージは、 2023年11月12日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
今日は無事、猛吹雪にも関わらず、納骨の儀が無事済んでよかったですね。お疲れ様です。
このメッセージは、 2023年11月11日に、墓マイラー趣味クラブさんが投稿
写真の美しさから、故人の生き生きとした姿が、まるで今も目の前にいるかのように感じられました。感動のあまり、思わず閲覧を続けてしまいました。

ご冥福をお祈りいたします。

このメッセージは、 2023年11月3日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
お墓の基礎工事完了しております。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2024年4月25日に、 真弓さんが投稿
工事も最終段階ですね
近いうちに見に行きます
楽しみです
このメッセージは、 2024年4月23日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
前部分の基礎工事入ってます。

https://yama148-jp.box.com/s/h6n2419etkywnhjbcxtyhg2mgqyye8eg
このメッセージは、 2024年4月8日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
4月末までには基礎コンクリート前部分も完成しますので、できましたら連絡します。よろしくお願いします。
大切な方の思いで

江戸から明治へ 祖先は福岡県八女郡広川町の出身

我が家系(北海道の江口家)は、福岡県八女郡広川町の江口家より 江口嘉平(江口文藏の二男)が分家し、明治27年に長男江口幸太郎が 北海道開拓の屯田兵として、滝川市江部乙に家族とともに移住したことから始まる。
<写真は家長の江口嘉平、妻ソメ(1代目)>
幸太郎の長男江口正光が当時の記録を残している。

(正光の記録より抜粋)
江口嘉平は福岡県上妻郡下廣川村大字廣川十三番地に住居せしが、三男四女をかかえ商業していたが、当時北海道開拓の屯田兵募集のあり、長男(幸太郎)の希望を聞き入れ、大家族を引き連れ江部乙屯田に応募したもの 明治27年5月5日手宮より汽車の乗り空知太まで、それから山道を家族引き連れ歩行する。
江部乙村史にある如く深山なり。戸主幸太郎は屯田兵としての教練に出、家族の者は一家総出して開墾に従事する。


1894(明治27年)屯田兵として家族とともに北海道・江部乙に入植

長男江口幸太郎(2代目)が 北海道開拓の屯田兵として、滝川市江部乙に家族とともに移住したことから始まる。

幸太郎は屯田兵として教練を受け、江部乙の追給地と宅地の開墾は両親と弟妹が当たる。

幸太郎は日清・日露の戦いに従軍し、奉天の戦いで右足を負傷する。凱旋後、勲功により八等を賜る。

家族は成人して嫁に行く者、分家する者などあり。追給地及び宅地を農作していたが、幸太郎は馬を使用することが嫌いのため、時々馬にために大失策を起こすことあり ために農業を嫌い、湯屋を買うことにした。大正4年頃より市街に常磐湯を開業して、十年程経営す。


1920(大正9年)江口正光 ニコライスク派遣の時 

江口正光21歳 ニコライスク派遣の時
この年にハナエと結婚、第一子美枝子が生まれる
3年後に正が生まれるが、産後まもなく母子ともに亡くなってしまう

想いで

前部分基礎工事中

山崎山崎石材:管理者さんが2024年4月27日に投稿
墓所前分基礎工事中です。

2024年4月8日お墓

山崎山崎石材:管理者さんが2024年4月7日に投稿
雪溶けがかなり進みました。
近々昨年の小さな修正等、入りたいと思います。

2022.12.31 大晦日

真弓さんが2024年2月5日に投稿
コロナ渦4年目の大晦日
例年のように川沿の実家にげんた家、しょうご家が集まり賑やかに年越し
圭祐も病院勤務後に参加
ユッケと過ごした最後の大晦日だった