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ダスキン創業者 鈴木清一さんの偉大さを私たちは永遠に覚えています。

昭和4年(1929年) 老舗の蝋問屋である合資会社川原商店、東京出張所に入社・・その後、肋膜を患い養母の愛情に救われた影響から金光教に入信  昭和13年1月、大阪で結婚式を挙げる。 結婚7カ月の満26歳の秋、胸の病を再発。故郷の三河で療養生活を送る。  ふとしたことから一燈園・西田天香著の「懺悔の生活」という書物にめぐり会った。  おっかさん譲りで金光教の信者であり、もともと信仰心の篤い清一であったから 1938年京都山科へ、修養団体・一燈園に身を投じ托鉢求道の生活に入る。
                (おっかさん)
数え歳5つ 清一は鈴木きわの養子に迎えられる。 その貧しい生い立ちの中で優しい養母に出会ったことは清一にとって大きな幸運だった。 東京は京橋、八丁堀の長屋で育った大好きなおっかさんへ「母の日の詩」・・母をたたえる母の日に私も亡き母を思い出します

私は母のことを「おっかさん」と呼んでいました。 私のおっかさんは貧乏でした 家も狭い長屋に住んでいました  おっかさんは、よく働き よく食べて太っていました  だから小さい時の思い出は、おっかさんのお腹がお餅のように柔らかで真っ白で、ただ可笑しかったのはお腹の真ん中のおへその所がへっこんでいることでした。
おっかさんは、よく食べるので何でも安い物を沢山作りました。 キャベツとジャガイモをお水に塩を入れてぐつぐつと煮て食べるのが大好きでした。 肉も少しは入れていましたが、高い肉よりキャベツとジャガイモがいっぱいでした。
                 (中略)
それでも貧乏のくせに おっかさんは とても人の世話が好きでした。  せまい家なのに
いつでも誰かを泊めていました  それに少しばかりのお金がたまると、すぐに人にお金を
貸しました。  「ね あの人を男にしてあげようよ」と  そのくせお金が返してもらえないと 「気の毒だねぇ あの人は運のない人だよ  返してもらえなくても 食べていけるだけ私たちは幸せなんだよ」と 私たちに教えてくれるおっかさんでした。

私がニキビの出来る青年になりました。 女の子のお友達が出来て夜遅く帰り、ガタリと戸を閉める私の音に「あっ、せっちゃん帰って来たかい お腹が空いているんじゃないかい」と、いつまでも優しいおっかさん 叱ったことの無いおっかさんでした。

あれから40年、私は社長になり時には先生などと呼ばれるようになりましたが、今しみじみと思うことはおっかさんのことです。 もし今、おっかさんが居て この私を見てくれたなら、どんなに喜んでくれるだろうか  生きているうちには親孝行らしいことも出来なかった私。  今、涙を流しておっかさんを思い出す
あなたにも、おっかさんがあるでしょう  無ければ私がおっかさんの役をしたい あなたが幸せになってほしい あなたが立派にこの人生を生き抜いて行ってほしい
私は聞きたい 「お腹が空いていないかい」「お金が欲しくないかい」「いい人が出来たかい」・・と、どうか どうかみんなが幸せになっていただきたい 合掌

この詩は、昭和46年4月 清一が即興で作った。 ダスキン北海道地区大会後の宴席にて、ちょうど母の日の前日であったことから司会者が「お母さんのお話」を依頼したのだ。
感情のほとばしるままに亡き母を一編の詩にうたいこんだのだった。
以来、清一は「シーダー大会」や「愛の店の大会」で自己紹介の必要がある時は、必ずこの詩を朗読した。

昭和19年(1944年) ダスキンの前身であるケントク創立
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分 広島の朝はよく晴れていた。 5トンの原子爆弾1
  個で広島は一瞬のうちに飛び散った 人口34万のうち7万8000人が死亡、負傷・行方不
  明は5万1000人にものぼった
昭和20年8月9日午前11時2分 2回目の原爆が長崎に投下された。 死者2万3753人、行方不    
  明1927人、重軽傷4万933人 爆心地近くでは建物はもちろん樹木さえも、その姿を残さ
  なかった。    この時清一は願いをこめて「ケントク一家の祈り」を作った。

この悲願と祈りは、今日のダスキンにそのまま受け継がれ朝に晩に唱和されている。
以後「道と経済の合一」を願う祈りの経営を生涯追求した。

ダスキン悲願  謙遜、賢明、剛建の徳を養い  仕事の第一は人間をつくることでありま
       うように  働くことが楽しみであり  利益は喜びの取引から生まれます
       ように  あきないを通じて人と仲良くなり  経済をもって世界平和のお
       役に立ちますように 合掌

ダスキン一家の祈り  はかなきは金銭  たよりなきは地位  人の思惑も苦にせず  
       ただひたむきにざんげの一路を歩み  己を捧げて報恩の托鉢を致します 
                                     合掌

昭和38年(1963年) ダスキン創立、フランチャイズシステムによって画期的な流通組織を
          確立。 お掃除用具のレンタル事業を全国展開する
昭和45年(1970年) ミスタードーナツ事業の導入を初めとする多角化によって、我が国初
          の複合フランチャイズ企業の道を開く
昭和51年(1976年) 藍綬褒章を授与される
昭和55年(1980年) 68歳にて永眠、同日、従五位勲四等に叙せられ瑞宝章を受ける

          自分に対しては 損と徳とあらば 損の道をゆくこと
            他人に対しては 喜びの種まきをすること


  ※注:このサイトは、鈴木清一に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・
       訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝
 <参考文献>「祈りの経営1,2」財団法人広げよう愛の輪運動基金発行 昭和59年8月22日
        祈りの経営ダスキンの30年 第1巻 創業物語と成長への道のり
                   株式会社ダスキン発行 平成6年(1994年)3月

このメッセージは、 2023年1月10日に、㈱スマートシニアさんが投稿
故・鈴木清一さまの偉業に敬意を表します。※投稿ありがとうございます。
このメッセージは、 2023年1月7日に、宇崎勝さんが投稿
現在の世界情勢を見るにつけて、鈴木清一さんの「悲願と祈り」がのちのち
までも継承されていくことを願い、継承者の一人として歩んでまいります。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2023年1月10日に、㈱スマートシニアさんが投稿
故・鈴木清一さまの偉業に敬意を表します。※投稿ありがとうございます。
このメッセージは、 2023年1月7日に、宇崎勝さんが投稿
現在の世界情勢を見るにつけて、鈴木清一さんの「悲願と祈り」がのちのち
までも継承されていくことを願い、継承者の一人として歩んでまいります。
想いで

お墓について

㈱スマートシニアさんが2023年1月10日に投稿
鈴木清一(戒名:建業院清空徳風居士)さまは、海徳寺(かいとくじ)は、愛知県碧南市音羽町1丁目30にある浄土宗西山深草派の寺院に永眠されています。