承継
軌跡

(苦労しながら勉学)

5歳の頃、父と死別し9歳の時から12歳の時まで寺小屋に学び、その後は母を助けて代々営む農業に勤しんだ。 
15歳のころ、何人かの人たちの好意によって教えてもらいながら算盤と和算を身につけた。

(製革技術を習得)

藤田組製革所に入って西欧製革技術を習得した。
1880年(明治13年)に、藤田組は経営不振から事業縮小することとなり退職した。
2年後に大倉組製革所に入所した。 
明治17年に工場の仕込部主任となり、なめしの準備工程一切の指揮を任された。

(独立~起業)

1885年(明治18年)に新田組として独立し、大阪府西成郡難波村久保吉に空き家を借りて
製革工場を起こした。
1889年(明治21年)には、大阪紡績(現在の東洋紡)の依頼で動力用革ベルトの国産化に日本で初めて成功新田製地球印帯革として、その後全国で設立された紡績会社に販路を広げていった。