承継
軌跡

(生い立ち)

1809年2月12日にイングランドシュロップシャー州シュルーズベリーにて、裕福な医師投資家だった父ロバート・ダーウィンと母スザンナ・ダーウィン英語版)の間に、6人兄弟の5番目の子供(次男)として生まれた。父方の祖父は高名な医師・博物学者であるエラズマス・ダーウィンであり、母方の祖父は陶芸家・企業家であるジョサイア・ウェッジウッドである。

祖父同士は博物学者として、父ロバートと叔父ジョサイア2世(母スザンナの弟)は実業家としてダーウィン家ウェッジウッド家は親密であり、両親など数組の婚姻が結ばれ、近しい姻戚関係にあった。母スザンナはダーウィンが8歳のときに没し、キャロラインら3人の姉が母親代わりをつとめた。ロバートは思いやり深かったが、妻の死によって厳格さを増し、子供たちには厳しく接することもあった。

ウェッジウッド家はダーウィンの誕生当時はすでに英国国教会を受け入れていたが、両家とも、もともとはおもにユニテリアン教会の信徒だった。ダーウィン家はホイッグ党の急進的でリベラルな考え方に同調していた。一族の男性は密かな自由思想家で非宗教的だったが、父ロバートはしきたりに従って子どもたちに英国国教会で洗礼を受けさせた。しかしダーウィンは兄妹や母とともにユニテリアンの教会へ通った。

(幼少期)

子供のころから博物学的趣味を好み、8歳のときには植物・貝殻鉱物の収集を行っていた[3]。父ロバートは祖父とは異なり博物学に興味はなかったが、園芸が趣味だったため幼少のダーウィンは自分の小さな庭を与えられていた。

また、祖父と同名の兄エラズマスは化学実験に没頭しており、ダーウィンに手伝わせた。ダーウィンは兄をラズと呼んで慕った。

1818年から、シュルーズベリーの寄宿舎校で学ぶ。