このたび、小林千寿を偲ぶための追悼サイトを開設いたしました。
2年前に病気が見つかり、療養しておりましたが、4月18日に永眠しました。
思い出の言葉や写真、動画など、自由に投稿していただけます。
彼の印象、心に残るエピソード、ささやかな日常の記憶…。
どんな小さなことでも大歓迎です。
サイトは公開設定になっておりますので、公開・共有しても差し支えのない内容を投稿していただけますと幸いです。
2年前に病気が見つかり、療養しておりましたが、4月18日に永眠しました。
思い出の言葉や写真、動画など、自由に投稿していただけます。
彼の印象、心に残るエピソード、ささやかな日常の記憶…。
どんな小さなことでも大歓迎です。
サイトは公開設定になっておりますので、公開・共有しても差し支えのない内容を投稿していただけますと幸いです。
小林さんとの出会いは、大学4年生、就職1社目で仕事をしていた時。
私は右も左もわからないデザイナー1年目。上司から「技術的なところで困ったら、小林さんに連絡して!」と言われて渡された電話番号が小林さんでした。
この会社を退社した後、「一緒に仕事してみませんか?」と声をかけていただいて。
私の世界はこれをきっかけには大きくひろがりました。
お仕事を一緒にしたり、勉強会に参加したり、奥さんことあゆさんとも仕事仲間・お友達になり、ご家族とも食卓をかこうようになり、ついには誕生日まで祝っていただくようになり。お誕生日なんて、もう3回以上も祝っていただきましたね。
会わない期間が長く続くこともあって、連絡をいただいたり、私が困って相談の連絡をしたり。
小林さんは、旅路の止まり木のような人でした。
いつも和やかで、いつも前向きで、ほわほわ〜っとした雰囲気なのに、仕事はぐいぐいリードして。私が、「困った、、、困った、、、」言っていると「う〜ん。大丈夫じゃない?」「なんとかなると思うから、とりあえずやってみよう。」と、ほわわ〜んとした口調で背中を押してくれていました。
ありがとうを何度言っても足りないぐらいとても、とても、とても、お世話になりました。
私は右も左もわからないデザイナー1年目。上司から「技術的なところで困ったら、小林さんに連絡して!」と言われて渡された電話番号が小林さんでした。
この会社を退社した後、「一緒に仕事してみませんか?」と声をかけていただいて。
私の世界はこれをきっかけには大きくひろがりました。
お仕事を一緒にしたり、勉強会に参加したり、奥さんことあゆさんとも仕事仲間・お友達になり、ご家族とも食卓をかこうようになり、ついには誕生日まで祝っていただくようになり。お誕生日なんて、もう3回以上も祝っていただきましたね。
会わない期間が長く続くこともあって、連絡をいただいたり、私が困って相談の連絡をしたり。
小林さんは、旅路の止まり木のような人でした。
いつも和やかで、いつも前向きで、ほわほわ〜っとした雰囲気なのに、仕事はぐいぐいリードして。私が、「困った、、、困った、、、」言っていると「う〜ん。大丈夫じゃない?」「なんとかなると思うから、とりあえずやってみよう。」と、ほわわ〜んとした口調で背中を押してくれていました。
ありがとうを何度言っても足りないぐらいとても、とても、とても、お世話になりました。
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小林さんとの出会いは、大学4年生、就職1社目で仕事をしていた時。
私は右も左もわからないデザイナー1年目。上司から「技術的なところで困ったら、小林さんに連絡して!」と言われて渡された電話番号が小林さんでした。
この会社を退社した後、「一緒に仕事してみませんか?」と声をかけていただいて。
私の世界はこれをきっかけには大きくひろがりました。
お仕事を一緒にしたり、勉強会に参加したり、奥さんことあゆさんとも仕事仲間・お友達になり、ご家族とも食卓をかこうようになり、ついには誕生日まで祝っていただくようになり。お誕生日なんて、もう3回以上も祝っていただきましたね。
会わない期間が長く続くこともあって、連絡をいただいたり、私が困って相談の連絡をしたり。
小林さんは、旅路の止まり木のような人でした。
いつも和やかで、いつも前向きで、ほわほわ〜っとした雰囲気なのに、仕事はぐいぐいリードして。私が、「困った、、、困った、、、」言っていると「う〜ん。大丈夫じゃない?」「なんとかなると思うから、とりあえずやってみよう。」と、ほわわ〜んとした口調で背中を押してくれていました。
ありがとうを何度言っても足りないぐらいとても、とても、とても、お世話になりました。
私は右も左もわからないデザイナー1年目。上司から「技術的なところで困ったら、小林さんに連絡して!」と言われて渡された電話番号が小林さんでした。
この会社を退社した後、「一緒に仕事してみませんか?」と声をかけていただいて。
私の世界はこれをきっかけには大きくひろがりました。
お仕事を一緒にしたり、勉強会に参加したり、奥さんことあゆさんとも仕事仲間・お友達になり、ご家族とも食卓をかこうようになり、ついには誕生日まで祝っていただくようになり。お誕生日なんて、もう3回以上も祝っていただきましたね。
会わない期間が長く続くこともあって、連絡をいただいたり、私が困って相談の連絡をしたり。
小林さんは、旅路の止まり木のような人でした。
いつも和やかで、いつも前向きで、ほわほわ〜っとした雰囲気なのに、仕事はぐいぐいリードして。私が、「困った、、、困った、、、」言っていると「う〜ん。大丈夫じゃない?」「なんとかなると思うから、とりあえずやってみよう。」と、ほわわ〜んとした口調で背中を押してくれていました。
ありがとうを何度言っても足りないぐらいとても、とても、とても、お世話になりました。
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報告
千尋さんに初めてお会いしたのは、2021年の狩猟チームでした。 彼はまだ猟銃の免許を取得中の時から巻き借りに参加し、八王子や奥多摩の山で持ち場にいる私達の為に、猟犬と共に獲物を追い立てていて、猟日は数キロも野山を歩き回っていました。
猟後に本部へ向かう際の峠の下りでは、愛車のMiniを飛ばして走り、こちらが追いつけない速さでした。猟後の鍋を食べながらの歓談時に、弓道やセーリングの趣味がある事をしり、同じ経験があるため非常に親近感を持ちました。
その後、2023年頃に加藤オーナーのヨットチームに引き合わせていただき、四谷で千尋さんを車でピックアップし様々な話しをしながら船橋港まで行き、セーリングを一緒に楽しみました。
千尋さんは娘さんのまおちゃんを狩猟チームに紹介し、二人でやっと猟銃と狩猟免許を取得できた矢先の出来事に驚きを隠せません。
千尋さんのおかげで、私の長女も同ヨットチームに引き合わせていただき、感謝の気持ちで一杯です。
この出会いを大切に引き継がせていただきますので、見守っていてください。
ご冥福をお祈りします。
猟後に本部へ向かう際の峠の下りでは、愛車のMiniを飛ばして走り、こちらが追いつけない速さでした。猟後の鍋を食べながらの歓談時に、弓道やセーリングの趣味がある事をしり、同じ経験があるため非常に親近感を持ちました。
その後、2023年頃に加藤オーナーのヨットチームに引き合わせていただき、四谷で千尋さんを車でピックアップし様々な話しをしながら船橋港まで行き、セーリングを一緒に楽しみました。
千尋さんは娘さんのまおちゃんを狩猟チームに紹介し、二人でやっと猟銃と狩猟免許を取得できた矢先の出来事に驚きを隠せません。
千尋さんのおかげで、私の長女も同ヨットチームに引き合わせていただき、感謝の気持ちで一杯です。
この出会いを大切に引き継がせていただきますので、見守っていてください。
ご冥福をお祈りします。