青野政美さんの思い出を永遠に
- 逝 去 2021年2月25日 -
この追悼サイトは、 青野 政美さまのために作成されました。
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お葬式での想いで
この冬の入院、もう話をすることはできない
病室のベツドの上、あなたは命を数えるように浅い呼吸を繰り返すばかりだった
そんなあなたに由美子さんは話しかける
たとえば「お父さん、あのときは、こんなことがあったねえ」とか、「あそこに行ったときは楽しかったねえ、また一緒にいきたいねえ」とか……
聞こえていたんですよね、政美さん
たとえ返事をすることはできなくても、由美子さんの声はしっかりとあなたの胸に届いていたのでしょう
そして今日由美子さんは…、ここにいる皆が感じることができるのです
そう、励ましてくれるあなたの声、「元気を出せよ」と言ってくれるあなたの笑顔を……
ご実家は酒屋さん、四人きょうだいの末っ子、商売屋の息子として育つ
幼き日は戦中、戦後の混乱期で大変な時代、誰もが毎日を食いつないでいくだけで精一杯の時代だった
けれどそんな日々のなか、少年だったあなたはきっとやんちゃでわんぱくな男の子
近くに流れる安倍川で魚を捕まえたり、びしょ濡れ泥んこになるのなんてちっとも気にせずに、日が暮れるまで遊び戯れたのでしょう
そしていつも明るい笑顔で、ご両親やお兄さん、お姉さんたちを和ませていたのでしょう
学校卒業後は松坂屋に就職そこでのちに妻となる由美子さんと出会うそれはもう50年以上前のこと初めて会ったときどんな会話をしたのか、由美子さんはなかなか思い出すことはできないのでしょうけれどひとつそうであっただろうと想像できることがあるそれは明るく屈託のないあなたの笑顔に、由美子さんの心がどんなにも安心できたことそれにあなたの人柄や働く姿に、無意識のうち頼りがいも感じていたのでしょう
そして結婚、最良の日は子供たちを授かった日浩子さんのときも麻衣子さんのときも、あなたは赤いほっぺの「小さないのち」を宝物のように抱き寄せる何足りぬことはない我が子浩子さんと麻衣子さんをその腕に抱きながら、あなたは胸いっぱい溢れるほどしあわせを感じていたのでしょう
父親となればなおいっそう張り切って働く仕事はとても忙しく残業も多い、普通の人ならストレスを感じ、大変なことも多々あったはずけれどあなたは持ち前の明るさや人付き合いの良さで、むしろ毎日をいきいきと働いたのでしょう
それになんといっても子供たちの笑顔が明日への鋭気どんなに大変なことがあっても浩子さんと麻衣子さん、ふたりの笑顔があれば、きっと胸を張って仕事に向き合えたのでしょう
残業ばかりの毎日に加え、お休みの日も仕事のお付き合いで出かけなくちゃならないそれでも子供たちとの時間も大切にする幼い頃お父さん子だった浩子さんとは、男の子みたいな遊びをたくさんした川に行って魚取りを教えてあげたり、一緒にキャッチボールもした小学生の浩子さんがソフトボールを始めたのは、もちろんあなたの影響あなたとのキャッチボールは、今日もあたたかく浩子さんの思い出を彩っているのでしょう
年に一度は家族旅行もする訪れるのは東京や軽井沢など大はしゃぎで喜ぶ浩子さんや麻衣子さんを、あなたもまたニコニコ顔で見つめたのでしょう
時は流れ、最初に結婚したのは麻衣子さん花嫁の父親である、となれば、あなたの胸には嬉しい反面、どこか淋しい気持ちもあったのかもしれないそれでも貴則さんという「息子」ができて喜びはひとしおだったに違いない
そうして麻衣子さんと貴則さんの門出を、あなたは満面の笑みで祝ったのでしょう
さらなる嬉しさは孫のりりさん、あんさんの誕生その頃には仕事を早期退職していたあなたは、由美子さんと一緒に幼いりりさんとあんさんを車であちこち連れていく夏休みには二人がお泊りに来るから楽しみでしょうがない宿題の自由研究を手伝ったり、一緒に川遊びをしたり、あなたはりりさんとあんさんを目に入れても痛くないほど可愛がる
数年後、浩子さんも晃良さんと結婚浩子さんと晃良さんは近くに住んでいるから、あなたとしてもきっと何かと心強かったことでしょう
渚音くんと英騎くんもやっぱり大切な宝もの同じ目線でワイワイ賑やかに盛り上がるから、一緒に遊ぶ姿は「おじいちゃんと孫」というより友達同士のようお孫さんたちは忘れないこれからもずっとお孫さんたちの胸には、あなたの優しさ、「じいじ3のあったかな笑顔が在り続けるのでしょう
お出かけするのが大好きで、思い立ったが吉日、あなたは由美子さんを助手席に乗せ上機嫌でハンドルを握る
向かうのはたとえば山梨や長野、朝霧や八ヶ岳など
趣味の一つであるお料理の食材を買ったり、温泉巡りをしたりと、あなたと由美子さんは楽しさを分かち合う
釣りも大好きだった
そうして買ってきた食材や釣った魚は、腕によりをかけて料理してみんなに振舞う
お料理は退職後に始めた趣味であるけれど、そう思えないほどあなたの作るものはどれもが美味しい
とくにチンジャオロースやカレーは絶品の味、アジのから揚げやイワシのつみれ揚げもほんとうに美味しかった
「お父さん、美味しい」「じいじ、美味しい!Jとみんなが喜んでくれれば、あなたも嬉しそうに笑顔をほころばせたのでしょう
思い出す
あの日張り切って台所に立つあなたの姿、作ってくれた料理の美味しさは、きのうのことのように家族の胸によみがえる
人との垣根を少しももたないあなたである
人見知りの「ひの字」もない、年齢も国籍も問わず誰にでも心を開く
由美子さんとのお出かけ先でも誰かれ関係なく気さくに話しかけ、だからこそ思いがけない出逢いも広がっていく
そしてそれがあなたの生き方
袖触れ合うも多生の縁、という諺(ことわざ)のごとく、あなたはすべての人たちと心を通わせていく
そんなあなたにも病という現実は訪れてしまう突然の脳梗塞に倒れたのは一昨年だったままならない右半身に言語障害けれどふさぎこんだりしなかった、投げやりにもならない気持ちはいつも前向きで、リハビリにも一生けんめい向き合っていくそうして支えがあれば歩けるようになり会話も普通にできるまでに恢復する右半身に後遺症は残ってしまったけれど、それでも心折れることはない慣れない左手でお料理をし、左手でボールを投げてお孫さんたちと野球をして遊ぶ中には外出するのが億劫で、家に閉じこもりがちになる人もいるけれどあなたは違う以前のように運転は出来なくても、今度は由美子さんの運転で海や蓮華寺池公園、お買い物…、あちこちへ出かける嬉しかったんですよね由美子さんに車椅子を押してもらいながら、空の青さも吹く風も心地よくあなたは心から喜びを感じていたのでしょう
デイサービスではみんなのムードメーカー、あなたの明るさはいつも職員さんやお仲間たちの胸を和ませる変わらない
ずっとずっと人の輪の中で、あなたは笑顔の花を咲きほこらせるそして何があってもいきいきと生きることを楽しんでゆく
あなたが「教えてくれたこと」があるそれは生きることは素晴らしい、ということ辛いこと、苦しいこともいっぱいあるけれど、それでも笑顔を失くさなければ、前向きであれば人生は輝くということならばあなたとの思い出はカタチのない贈り物そしてその「贈り物」はこれからも、ここに集うみんなの支えとなってゆくのでしょう
だから政美さん、私たちは心を込めて伝えたいのですそう、大切なあなたへ、ありがとう、とこれからもずっと、あなたの笑顔を忘れないから、と……
病室のベツドの上、あなたは命を数えるように浅い呼吸を繰り返すばかりだった
そんなあなたに由美子さんは話しかける
たとえば「お父さん、あのときは、こんなことがあったねえ」とか、「あそこに行ったときは楽しかったねえ、また一緒にいきたいねえ」とか……
聞こえていたんですよね、政美さん
たとえ返事をすることはできなくても、由美子さんの声はしっかりとあなたの胸に届いていたのでしょう
そして今日由美子さんは…、ここにいる皆が感じることができるのです
そう、励ましてくれるあなたの声、「元気を出せよ」と言ってくれるあなたの笑顔を……
ご実家は酒屋さん、四人きょうだいの末っ子、商売屋の息子として育つ
幼き日は戦中、戦後の混乱期で大変な時代、誰もが毎日を食いつないでいくだけで精一杯の時代だった
けれどそんな日々のなか、少年だったあなたはきっとやんちゃでわんぱくな男の子
近くに流れる安倍川で魚を捕まえたり、びしょ濡れ泥んこになるのなんてちっとも気にせずに、日が暮れるまで遊び戯れたのでしょう
そしていつも明るい笑顔で、ご両親やお兄さん、お姉さんたちを和ませていたのでしょう
学校卒業後は松坂屋に就職そこでのちに妻となる由美子さんと出会うそれはもう50年以上前のこと初めて会ったときどんな会話をしたのか、由美子さんはなかなか思い出すことはできないのでしょうけれどひとつそうであっただろうと想像できることがあるそれは明るく屈託のないあなたの笑顔に、由美子さんの心がどんなにも安心できたことそれにあなたの人柄や働く姿に、無意識のうち頼りがいも感じていたのでしょう
そして結婚、最良の日は子供たちを授かった日浩子さんのときも麻衣子さんのときも、あなたは赤いほっぺの「小さないのち」を宝物のように抱き寄せる何足りぬことはない我が子浩子さんと麻衣子さんをその腕に抱きながら、あなたは胸いっぱい溢れるほどしあわせを感じていたのでしょう
父親となればなおいっそう張り切って働く仕事はとても忙しく残業も多い、普通の人ならストレスを感じ、大変なことも多々あったはずけれどあなたは持ち前の明るさや人付き合いの良さで、むしろ毎日をいきいきと働いたのでしょう
それになんといっても子供たちの笑顔が明日への鋭気どんなに大変なことがあっても浩子さんと麻衣子さん、ふたりの笑顔があれば、きっと胸を張って仕事に向き合えたのでしょう
残業ばかりの毎日に加え、お休みの日も仕事のお付き合いで出かけなくちゃならないそれでも子供たちとの時間も大切にする幼い頃お父さん子だった浩子さんとは、男の子みたいな遊びをたくさんした川に行って魚取りを教えてあげたり、一緒にキャッチボールもした小学生の浩子さんがソフトボールを始めたのは、もちろんあなたの影響あなたとのキャッチボールは、今日もあたたかく浩子さんの思い出を彩っているのでしょう
年に一度は家族旅行もする訪れるのは東京や軽井沢など大はしゃぎで喜ぶ浩子さんや麻衣子さんを、あなたもまたニコニコ顔で見つめたのでしょう
時は流れ、最初に結婚したのは麻衣子さん花嫁の父親である、となれば、あなたの胸には嬉しい反面、どこか淋しい気持ちもあったのかもしれないそれでも貴則さんという「息子」ができて喜びはひとしおだったに違いない
そうして麻衣子さんと貴則さんの門出を、あなたは満面の笑みで祝ったのでしょう
さらなる嬉しさは孫のりりさん、あんさんの誕生その頃には仕事を早期退職していたあなたは、由美子さんと一緒に幼いりりさんとあんさんを車であちこち連れていく夏休みには二人がお泊りに来るから楽しみでしょうがない宿題の自由研究を手伝ったり、一緒に川遊びをしたり、あなたはりりさんとあんさんを目に入れても痛くないほど可愛がる
数年後、浩子さんも晃良さんと結婚浩子さんと晃良さんは近くに住んでいるから、あなたとしてもきっと何かと心強かったことでしょう
渚音くんと英騎くんもやっぱり大切な宝もの同じ目線でワイワイ賑やかに盛り上がるから、一緒に遊ぶ姿は「おじいちゃんと孫」というより友達同士のようお孫さんたちは忘れないこれからもずっとお孫さんたちの胸には、あなたの優しさ、「じいじ3のあったかな笑顔が在り続けるのでしょう
お出かけするのが大好きで、思い立ったが吉日、あなたは由美子さんを助手席に乗せ上機嫌でハンドルを握る
向かうのはたとえば山梨や長野、朝霧や八ヶ岳など
趣味の一つであるお料理の食材を買ったり、温泉巡りをしたりと、あなたと由美子さんは楽しさを分かち合う
釣りも大好きだった
そうして買ってきた食材や釣った魚は、腕によりをかけて料理してみんなに振舞う
お料理は退職後に始めた趣味であるけれど、そう思えないほどあなたの作るものはどれもが美味しい
とくにチンジャオロースやカレーは絶品の味、アジのから揚げやイワシのつみれ揚げもほんとうに美味しかった
「お父さん、美味しい」「じいじ、美味しい!Jとみんなが喜んでくれれば、あなたも嬉しそうに笑顔をほころばせたのでしょう
思い出す
あの日張り切って台所に立つあなたの姿、作ってくれた料理の美味しさは、きのうのことのように家族の胸によみがえる
人との垣根を少しももたないあなたである
人見知りの「ひの字」もない、年齢も国籍も問わず誰にでも心を開く
由美子さんとのお出かけ先でも誰かれ関係なく気さくに話しかけ、だからこそ思いがけない出逢いも広がっていく
そしてそれがあなたの生き方
袖触れ合うも多生の縁、という諺(ことわざ)のごとく、あなたはすべての人たちと心を通わせていく
そんなあなたにも病という現実は訪れてしまう突然の脳梗塞に倒れたのは一昨年だったままならない右半身に言語障害けれどふさぎこんだりしなかった、投げやりにもならない気持ちはいつも前向きで、リハビリにも一生けんめい向き合っていくそうして支えがあれば歩けるようになり会話も普通にできるまでに恢復する右半身に後遺症は残ってしまったけれど、それでも心折れることはない慣れない左手でお料理をし、左手でボールを投げてお孫さんたちと野球をして遊ぶ中には外出するのが億劫で、家に閉じこもりがちになる人もいるけれどあなたは違う以前のように運転は出来なくても、今度は由美子さんの運転で海や蓮華寺池公園、お買い物…、あちこちへ出かける嬉しかったんですよね由美子さんに車椅子を押してもらいながら、空の青さも吹く風も心地よくあなたは心から喜びを感じていたのでしょう
デイサービスではみんなのムードメーカー、あなたの明るさはいつも職員さんやお仲間たちの胸を和ませる変わらない
ずっとずっと人の輪の中で、あなたは笑顔の花を咲きほこらせるそして何があってもいきいきと生きることを楽しんでゆく
あなたが「教えてくれたこと」があるそれは生きることは素晴らしい、ということ辛いこと、苦しいこともいっぱいあるけれど、それでも笑顔を失くさなければ、前向きであれば人生は輝くということならばあなたとの思い出はカタチのない贈り物そしてその「贈り物」はこれからも、ここに集うみんなの支えとなってゆくのでしょう
だから政美さん、私たちは心を込めて伝えたいのですそう、大切なあなたへ、ありがとう、とこれからもずっと、あなたの笑顔を忘れないから、と……
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