承継
この追悼サイトは、私たちの愛する人 安倍 晋三さんを記念して作成されました。
※このサイトで安倍 晋三さんへの弔意・思い出を自由に投稿することができます。

本名:安倍 晋三(あべしんぞう)
戒名:紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士
墓地長安寺(マップ)〒759-4503 山口県長門市油谷新別名人丸34
※安倍家墓所 (阿部家の墓所は富士霊園にもあります)

関連リンク

ありがとう安倍元総理デジタル献花プロジェクト」の献花が9-30-2022で終了し、安倍元首相の大学同窓有志より、引き続き追悼サイトにて永代供養いたします。

プロフィール

内閣総理大臣(第90・96・97・98代)、内閣官房長官(第72代)、内閣官房副長官(政務担当)、衆議院議員(10期)、自由民主党総裁(第21・25代)、自由民主党幹事長(第41代)、自由民主党幹事長代理、清和政策研究会会長(第10代)などを歴任した。
※ 詳細は ウィキペディアを参照


生い立ち
安倍一家左から、母・洋子、当時2歳の晋三、父・安倍晋太郎、兄・寛信(1956年)東京都新宿区出身。毎日新聞の記者であった安倍晋太郎と妻洋子の次男として生まれる。弟の信夫は養子に出されたため末子として育つ。本籍地は山口県大津郡油谷町(現長門市)。父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相岸信介で、大叔父には元首相の佐藤栄作、叔父には日本興業銀行の頭取を務めた西村正雄がいる。一家は渋谷区南平台町の岸の自宅で、岸と同居した。1958年5月、父の安倍晋太郎が第28回衆議院議員総選挙に立候補し初当選した。幼い頃は野球選手や、テレビを見て刑事になることに憧れていた。
心に残る言葉
  • 言うべきことはきちんと言わなければならないし、そのためには自分で発信することを躊躇していては何も始まらない
  • 誰が何と言おうと、どんなに批判を受けようと自分の信念を持ち続けることが重要
  • 重要なことは結果だ。100の言葉より1の結果だ。


このメッセージは、 2023年9月23日に、24-7upJune Kさんが投稿
あれは麻生太郎氏を励ます会でした。安倍総理(これからも総理と呼ぶのは安倍晋三のみ)とお話させていただきお写真を撮らせていただきました。
僭越ながらあの時、私が総理にお伝えさせていただいた
「6年間、日本のためにありがとうございました。これからの経済は我々、企業家が頑張らせていただきます」と。
日本の国家安康のために鋭意を尽くしてまいります。
https://www.tsuitonet.com/kabasawajun/
(不肖 樺沢潤)
このメッセージは、 2023年1月18日に、FujisawaTedさんが投稿
1978年1月から1年間、南カリフォルニア大学に留学された際に沢山の交友を築かれました。大学の先輩として、訪米中に同大学を訪問した際はお世話になりました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
このメッセージは、 2023年1月18日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
ご冥福をお祈り申し上げます

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2023年9月23日に、24-7upJune Kさんが投稿
あれは麻生太郎氏を励ます会でした。安倍総理(これからも総理と呼ぶのは安倍晋三のみ)とお話させていただきお写真を撮らせていただきました。
僭越ながらあの時、私が総理にお伝えさせていただいた
「6年間、日本のためにありがとうございました。これからの経済は我々、企業家が頑張らせていただきます」と。
日本の国家安康のために鋭意を尽くしてまいります。
https://www.tsuitonet.com/kabasawajun/
(不肖 樺沢潤)
このメッセージは、 2023年1月18日に、FujisawaTedさんが投稿
1978年1月から1年間、南カリフォルニア大学に留学された際に沢山の交友を築かれました。大学の先輩として、訪米中に同大学を訪問した際はお世話になりました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
このメッセージは、 2023年1月18日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
ご冥福をお祈り申し上げます
大切な方の思いで

人柄

執念深く身を潜めた後に返り咲いた、首相第二期は、内政にも目を向けて数々の実績を上げた。
いずれの時も、「とりもろす」「下痢ピー」「仮病で逃亡」などと揶揄されましたが、その柔和な姿勢を崩さず結果を出し、人生を全うした。
 努力によって人は強くなれる。努力によって大きな失敗でも取り戻せる。努力によって世界中の人々から尊敬を集めることができる。

誰が何と言おうと、どんなに批判を受けようと自分の信念を持ち続けることが重要」
....安倍晋三