承継
この「想いでサイト」は、最愛の父・高倉英樹さんが永眠されたことを機に、建墓とともにご家族のファミリーヒストリーとして制作されたものです。

墓所:北海道美唄市光珠内墓地:3095番 墓所マップ


ありがとう お父さん――車と笑顔と、家族を愛しぬいた52年――

お父さん、ありがとう。
私たちは、あなたと出会えた人生を誇りに思っています。

1972年6月12日、お父さんはこの世界に生まれました。
なかなか授かれなかった中でようやく誕生した命。
その小さな存在は、両親にとって何よりも大きな希望でした。

幼い頃から車が大好きで、特に緑色のダンプカーのトミカは宝物。
たくさん並べて遊ぶ姿は、まるで夢を描くようでした。
甘やかされて、少しワガママ。でも、それも全部、お父さんらしさでした。

スキーやサッカー、野球にも打ち込み、
高校時代は“自由”を楽しみながら、自分の道を切り拓いていく強さを持っていました。

親に隠れて買ったホンダ・ジャズ。
仲間と乗り回した日産グロリア。
「走ること」が、お父さんの人生そのものでした。

そして、夢だった運転手の道へ。
2tトラックから始まり、4t車、大型免許を取り、ついには自分のダンプを手にして独立。
車をカスタムし、自分らしい働き方を貫き通したお父さんの姿は、本当にかっこよかった。

家では、家族との食事を何より楽しみにしていました。
夏は焼肉、冬は鍋。ビール片手に語るお父さんの笑顔が、いまも目に浮かびます。

そして――
お孫さんとの時間は、かけがえのない宝物でしたね。

引退後、家の前に止めたダンプ。
そのハンドルを握る孫の写真を見て、「本当は乗せてあげたかったな」と微笑んだ優しい表情。
ソファに並んで座って、YouTubeを一緒に見て、くすぐって笑わせてくれたこと。
何気ない日常の中に、たくさんの“お父さんの愛”がありました。

妊娠の報告に心から喜んでくれたこと。
赤ちゃんを抱きかかえ、「可愛いね」と何度も見つめてくれたこと。
「駄菓子屋さんに連れて行ってあげるからね」と言ってくれた約束。
一緒に過ごせた時間は短かったけれど、
その温かさは、私たちの心の中に、ちゃんと残っています。

お父さん、
あなたの人生は、好きなことを大切にし、
家族を心から愛しぬいた、幸せな人生でした。

これからも、私たちはずっと思い続けます。
グロリアのエンジン音を聞くたびに。
ダンプカーのミニカーを見かけるたびに。
家族で食卓を囲むたびに――

お父さん、ありがとう。
これからも、ずっと、ずっと一緒です。


このメッセージは、 2025年8月17日に、秀明笹渕さんが投稿
高ちゃん
会いに来たよ
とっても立派なお墓だね☺️先日、テレビで息子ちゃんと娘ちゃん出てたよ、とても立派に育ってるね☺️いつも、美唄は素通りしちゃってごめんよ、また来るからね。
こんな素敵なサイトありがとう

ぶっち
このメッセージは、 2025年8月11日に、池田真美さんが投稿
立派なお墓で感動しました
高倉天国で喜んでるだろーなぁ〜
又来ます

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メッセージ
このメッセージは、 2025年8月17日に、秀明笹渕さんが投稿
高ちゃん
会いに来たよ
とっても立派なお墓だね☺️先日、テレビで息子ちゃんと娘ちゃん出てたよ、とても立派に育ってるね☺️いつも、美唄は素通りしちゃってごめんよ、また来るからね。
こんな素敵なサイトありがとう

ぶっち
このメッセージは、 2025年8月11日に、池田真美さんが投稿
立派なお墓で感動しました
高倉天国で喜んでるだろーなぁ〜
又来ます
軌跡

【1. 幼少期の記憶と家族の愛情】

1972年6月12日誕生。待ち望まれて生まれた長男として、大切に育てられました。幼い頃から車が大好きで、なかでも緑のダンプカーのトミカはお気に入り。何台も買い与えられ、今もコレクションとしてご自宅に飾られています。トミカビルで遊ぶ姿に、幼いながらも夢が詰まっていました。
甘やかされて育ったこともあり、少々ワガママな面もありましたが、それすらも可愛らしく、家族にとっては愛すべき存在でした。

【2. 学生時代の情熱と自由な精神】

小学校から高校生までスキー競技(大回転・回転)に取り組み、さらにサッカーや野球などにも積極的に参加。体を動かすことが大好きな活発な少年でした。
高校時代は、自ら出席日数を計算して“計画的に”休むという大胆さも持ち合わせ、友人との青春の日々を存分に楽しんでいました。
バイト代を貯めてホンダ・ジャズ(青)を購入、日産グロリアY31に乗り始めてからは、仲間と岩見沢や滝川を巡り、自由を満喫していました。

【3. 仕事への誇りと夢の実現】

高校卒業後は作興大工として社会人の一歩を踏み出したものの、幼い頃からの夢「運転手」への思いが強く、まもなく転職。
食品輸送会社で2t車から始まり、4t車、21歳のときに大型免許を取得し、峰延の運送会社でダンプの運転をスタート。
やがて自身のダンプを購入して独立。仕事車両は常に自分好みにカスタムし、「車と共に生きる人生」を体現されました。最期まで自分の車で走り続けた姿には、誇りと信念がにじんでいます。
報告

2025年8月10日 15時 納骨

山崎山崎石材:管理者さんが2025年7月24日に投稿
お父様が歩んでこられた人生――
それは、家族を守り、導き、時に背中で語る、まっすぐな生き様でした。

その想いを永遠に形として遺すために、
お墓には、一文字 「導(みちびき)」 を彫刻いたします。

この一文字には、
ご家族を想い、道を切り開きながら生きてこられたお父様の姿と、
これからも天から皆さまを見守り、静かに導いてくださる存在であるという願いが込められています。

また、お父様がこよなく愛された「ゴールド」。
その輝きを、厳選した 金色のガラス素材 にて、お墓の一部に優美にあしらいます。
石の堅牢さとガラスの透明感が織りなす、凛とした美しさ――
それは、力強さの中にも優しさを宿した、お父様そのものです。

墓石全体は落ち着きある石材で構成しつつ、
ゴールドのガラスがさりげなく輝くデザインは、ご家族だけが知る「物語」として、
お参りのたびに語り継がれる特別な場所となることでしょう。