承継
この追悼サイトは、 水島 新司(漫画家・野球漫画の第1人者)さまのために作成されました。

享年82歳 、誕生日 1939年4月10日、命日 2022年1月10日
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水島 新司(みずしま しんじ、1939年昭和14年〉4月10日[1] - 2022年令和4年〉1月10日)は、日本漫画家野球漫画の第一人者。代表作に『野球狂の詩』『ドカベン』『あぶさん』など。

新潟県新潟市出身。趣味は野球将棋血液型はB型。元タレント俳優水島新太郎は長男。

1958年、大阪の貸本漫画出版社『日の丸文庫』の漫画短編誌『影』の新人漫画コンクールにデビュー作『深夜の客』を投稿する[3]。評価としては次点であったが、審査員の一人だった佐藤まさあきがその才能を評価し、入選を強硬に主張。特別に特選二席として表彰される。その表彰式で社長の山田秀三に漫画家になりたい旨を直訴、「一年以内に漫画家になる」という条件で家族を説得し来阪する。

山田宅に住み込み、日の丸文庫の編集の下働きの仕事をしながら寝る間を削って漫画を執筆、人気貸本漫画家となる。日の丸文庫では主にコメディ漫画を執筆。短編集『オッス!』シリーズや『水島新司爆笑シリーズ』、大阪のTV局制作ドラマ『番頭はんと丁稚どん』や『てなもんや三度笠』の漫画化などで人気を博す。

1964年、日の丸文庫専属を経て独立、上京。

週刊少年キング』で多くの短編作品を描くが、漫画家としての活動初期はサイクルサッカーなど野球以外のスポーツ漫画も多く手がけていた[注 1]。野球漫画を描かなかった理由は、打つ・走る・投げるなど本物に近い絵を描きたかったが、絵が下手だったので、一番好きな野球のジャンルを描ける自信が付くまで10年かかったためであるという[4]

満を持して、本格的な野球漫画として1969年に『エースの条件』を発表。1970年からは『週刊少年サンデー』に『男どアホウ甲子園』、『週刊少年チャンピオン』に『銭っ子』を連載し、仕事の幅を広げる。特に『男どアホウ甲子園』は最初の大ヒットとなり、少年誌での人気を得る。

1972年からは『月刊少年マガジン』で『野球狂の詩』を読み切り不定期掲載、『週刊少年チャンピオン』で『ドカベン』を連載開始。1973年からは『ビッグコミックオリジナル』で『あぶさん』を連載開始。青年漫画にも進出する。『あぶさん』は2014年に完結するまで、41年にわたる長期連載となった。

水島自身やブレーンによる取材や資料集めの丁寧さを活かした「リアルな野球漫画」であった上記の連載作品はすべて人気を博し、野球漫画の第一人者の地位を確立する。特に柔道漫画として始まったが、『男どアホウ甲子園』終了に伴い、予定通り野球漫画へ転換した『カベン』は記録的大ヒットとなった。

清原和博の希望もあって、1995年に『ドカベン プロ野球編』(週刊少年チャンピオン)を、リメイクブームの風潮から1997年に『野球狂の詩 平成編』(ミスターマガジン)を連載開始。講談社との関係は『極道くん』連載終了前後に、たけし軍団によるフライデー襲撃事件が発生し、水島の息子である新太郎が連座していたことから、しばらく関係が途絶えていた[注 2]が、本作で和解している。また、これらは2000年に『新・野球狂の詩』(モーニング)、2004年に『ドカベン スーパースターズ編』とタイトルを改め、長期連載となる。

2000年代に入ってから、連載は講談社の『野球狂の詩』、小学館の『あぶさん』、秋田書店の『ドカベン』だけになっていたが、上記の単行本化である『野球狂の詩VS.ドカベン』(2006年2月刊)を最後に、小学館と秋田書店だけになった。

2007年、漫画家生活50周年を迎え、『週刊少年チャンピオン』では漫画家生活50周年の企画として、連載中の『ドカベン』を巻頭カラーに、水島と同郷の高橋留美子の他、秋本治さいとう・たかをかわぐちかいじあだち充井上雄彦満田拓也藤子不二雄A森川ジョージ高橋ヒロシなど沢山の漫画家からの寄せ書きとイラストが掲載された。また、王貞治長嶋茂雄ビートたけし爆笑問題松井秀喜城島健司など野球関係者や芸能人からもメッセージが寄せられた。

2012年、『ドカベン』シリーズ40周年を記念し、最終章『ドカベン ドリームトーナメント編』連載開始。2018年に大団円を迎えた。週刊少年誌に連載する漫画家としてはあだち充を12歳も上回り、現役最長老であった。2014年2月には『あぶさん』も976回の連載を終了している。

引退・死去[編集]2020年12月1日、同日付で63年間の漫画家生活から引退することを発表[6]。最終作は2018年8月に発表した『あぶさん』の読み切り作品。

2022年1月10日肺炎のため、東京都内の病院で死去[7][8][9]。82歳没。喪主は妻・修子[10]。『ドカベン』シリーズに登場した松坂大輔は水島の訃報について、「漫画『ドカベン』に自分が初めて出た時の喜びは今でも忘れません…。」とコメントした[11]。他にも多くのプロ野球関係者・漫画関係者が追悼のコメントを述べている。

作品一覧[編集]五十音順。ただし、シリーズ物はそのシリーズ順。

     漫画家・水島新司さんの人気作品「ドカベン」(秋田書店)の表紙 ... 連載46年の歴史に幕。水島新司の野球漫画「ドカベン」 ついに ...


  copy_guard.pngcopy_guard.png女子野球パイオニア」「通天閣有名に」水島新司さん、関係者が ...  あぶさん:連載39年で100巻 水島作品で初の大台 - MANTANWEB ... 

※注:このサイトは、水島新司に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

このメッセージは、 2024年3月1日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
野球漫画の第1人者で「あぶさん」「ドカベン」シリーズはいづれも40年以上にわたって連載された。 大ヒットメーカーである。 夢と勇気を有難う!  合掌

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メッセージ
このメッセージは、 2024年3月1日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
野球漫画の第1人者で「あぶさん」「ドカベン」シリーズはいづれも40年以上にわたって連載された。 大ヒットメーカーである。 夢と勇気を有難う!  合掌
大切な方の思いで

(生い立ち)

1939年、新潟市の魚屋の家に生まれる[2]。父親がギャンブル好きで多額の借金を背負い、金銭的に困窮した少年時代を送る。

中学は新潟市立白新中学校に通っており、当時同校に隣接していた新潟明訓高等学校への進学を希望していたものの、家庭の経済状況を勘案して高校進学を断念した。中学卒業後、父親が借金をしていた水産問屋に丁稚奉公に出されるが、そこで漫画家になることを決意。仕事後に睡眠時間を削って漫画を執筆する。