承継
この追悼サイトは、私たちの愛する人 水木 しげるさんを記念して作成されました。

本名:武良 茂(むら しげる)
戒名:大満院釋導茂
墓地覚証寺(マップ)〒182-0033 東京都調布市富士見町1丁目35−5
水木しげる記念館:鳥取県境港市本町5番地 電話 0859-42-2171

※かわいい鬼太郎とねずみ男がこま犬のように置かれ、墓を守っている。五輪塔型の墓石。建立は昭和62年秋彼岸とあるので、60代に建てられた生前墓。外柵の左右と裏には、水木さんの原画で、子泣きじじいや砂かけばばあ、ねこ娘などおなじみのメンバーなどさまざまな妖怪が精巧に浮き彫りされている。
妖怪と日本人 水木しげる生誕100年:中日新聞Web
漫画家、妖怪研究家、紙芝居作家。 大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町育ち。ペンネームの「水木しげる」は、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた。代表作となる『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』など。

(名言)

怠け者になりなさい.... 「いくら好きなことでも、努力しなければ食えない。しかも、努力しても結果はなかなか思い通りにならない。だからたまにはなまけたくなるものです。のん気にくらしなさい、ということです」

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軌跡

生い立ち

大阪府西成郡小浜村(現大阪市住吉区東小浜)に生まれた。父・村屋良一、母・琴江の次男である。水木が生まれた時、父・良一は大阪・梅田駅近くの親戚の印刷会社に勤めていた。5歳の時、「死」に興味を持ち、3歳の弟を海に突き落とそうとしたが、近所の大人に見つかって親に叱られ、当時同居していた祖父の姉「ねこ」からお灸をすえられた。比較的恵まれた環境で育ったが、成績は良くなく、両親は小学校への入学を1年遅らせたほどであった。自他ともに認める偏屈な生徒で、夜遅くまで寝て、朝食をゆっくり食べ、学校はたいてい2時間目くらいから出席した。学歴を心配する母親のため、水木の進路に不安を抱きながらも、中等教育の予備校を兼ねた無試験の高等小学校に進学し、その不安も忘れて、この時期には友達と遊び回る子供だった。

戦争を体験

戦争にまつわる話はたくさんある。あまりの悲惨さに、記憶として脳裏に焼き付いているのだろう。確かに、上官に殴られて嵐に巻き込まれた話、片腕を失い麻酔なしで手術された話、敵に後ろから武器を持って追いかけられた話、その他多くの悲惨な話が延々と繰り返される。しかし、暗い描写がいつまでも続くのかと思いきや、そうではない。水木博士はかなり変わり者で、マイペースな人だったようだ。上司にいじめられたこともあったが、あまりの奇抜さとマイペースぶりに、やがて上司も短時間でこなす仕事の多さを知り、見過ごすようになった。点呼に遅れそうになると、他の者が時間通りに来るように世話を焼いたり、仕事をサボっていても見て見ぬふりをしたりした。まるで漫画の主人公のようだ。オウムに憧れて生き延びた話や、トランペットを吹けないために南部の戦地に送られた話などは、まるで運命のいたずらのようである。

幸福の7カ条(水木さんらしい)

第1条:成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない
第2条:しないではいられないことをし続けなさい
第3条:他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし
第4条:好きの力を信じる
第5条:才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
第6条:怠け者になりなさい
第7条:目に見えない世界を信じる
報告

ゲゲゲの鬼太郎は自分の名前?

墓マイラー趣味クラブさんが2023年2月28日に投稿

子供の頃は自己紹介の折に「しげる」という名前が上手く発音できず「げげる」になってしまった事から「ゲゲ」と言われており、墓場鬼太郎がアニメ化の際に「ゲゲゲの鬼太郎」に変更されるきっかけになった

戦争で右腕を失うも生命力が神

墓マイラー趣味クラブさんが2023年2月28日に投稿
過酷な戦争体験を重ね、アメリカ軍やオーストラリア軍の攻撃で左腕を失う。強い生命力の秘訣は、「胃が丈夫だった」と称し、幼少時から大食漢で「ズイダ」というあだ名(雲伯方言で「何でも食べる浅ましい者」という意味)で呼ばれていた。90歳を過ぎても食欲は非常に旺盛で、特に病気もなく健康そのものだった。自身のツイッターでも食事や間食の様子がたびたび書かれていた。数多い友人の中でも大食漢やよく太った人を喜び、荒俣宏とはよく一緒に旅行しては旅先でグルメを競い合っていた。好物はすき焼き。