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この追悼サイトは、 佐野 一枝さまのために作成されました。

享年86歳 、誕生日 1927年11月7日、命日 2014年5月1日
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このメッセージは、 2021年8月1日に、佐野裕子さんが投稿
この前お花をあげてきたよ。 綺麗でしょ。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2021年8月1日に、佐野裕子さんが投稿
この前お花をあげてきたよ。 綺麗でしょ。
大切な方の思いで

葬儀の時のメッセージ

名は「一枝」、一つの枝、と書いて そう読む
だけど「一つの枝」じゃない
あなたは いつの日も、夫の鉄治さんと寄り添い合っていた
だから ふたりで ひとつ ふたりで 一本の枝となり、
あなたと鉄治さんは その枝葉に優しさの花を実らせてきた
それは これからも 同じ 生と死の宿命は ふたりを分かたず、
あなたと鉄治さんは いつまでも こころを 一つにしていく
そして あなたは願う
鉄治さんが 元気で過ごせるように、きっと あなたは 空の彼方から 願うんですよね
そう、おだやかな眼差しのまま、あの あたたかい笑顔のままに…
石屋の女房、である
昔は 鉄治さんを手伝い、重い石材 持つこともあったのでしょう
でも弱音なんか吐かない 時に 指先がひび割れても、
あなたは 笑顔を絶やさずに 頑張る 頑張りやさん、だった
おとなしい性格の その中に、あなたの「心の芯」は けして揺るがない
秋が過ぎ、冬になるなら、部屋の明かりの下、子供たちのために編み物をする
マフラーや セーター ポカポカだった
あなたの編んだマフラーを首に巻き、子供たちは 冬の木枯らしも ヘっちゃらだった
あなたが編んだセーターを着れば、手編みは あたたかい
遠い昭和の あなたのセーターは、今も 子供たちを あたためている
時は流れる 子供たちは 大人になり、
あなたは お孫さんたちの 「おばあちゃん」になる
可愛くてたまらない ハイハイからアンヨができたとき、
カタコトで「ばあば、ばあば」と呼ばれたとき
あるいは 新一年生、ピカピカのランドセルを背負う お孫さんを、
あなたは いっぱいの笑顔で 見つめたのでしょう
そして お孫さんたちにも、あなたは ポカポカのセーターを編む
そして 喜ぶ お孫さんに 「おばあちゃん、ありがとう」と言われるなら、
あなたの眼差しは 木洩れ日のように優しく揺れる
愛おしい
あなたの胸には いつだって、家族への 愛しさが 溢れていた
お嫁さんたちとも 心を通わせる 実の子も 同じである
おなかを痛めて産んだ 我が子のように、
あなたは お嫁さんたち、娘さんのご主人のことを 大事にする
そして そんな あなたを、お嫁さんたち、
娘さんのご主人は 実の母親のように慕う
渡し 渡されるリレーのバトンのように、想い合う「こころ」は 互いの胸に 渡される
生け花が 趣味、
いい出来栄えに 活けられたとき、
きっと あなたは お嫁さんの裕子さんに言ったのでしょう
「裕子さん、完成したよ、 今回はどうかしら」と
そして「椅麗だねえ」と 言われるなら、
あなたは 嬉しそうに 表情を ほころばせる
書道の腕も 確かなもの
墓石に彫る もとの字を、昔は あなたが 書いていた
そして 墓石の書を したためるとき、亡くなった方へ 想いを馳せていたのでしょう
それは 商売、だからじゃない
同じ人間として、同じように 精一杯に生きる人として、あなたは 誠実さを失くさない
真っ直ぐな生き方の「石屋の女房」だった
きれいな心のまま、
あなたは 人生を歩む
ひ孫さんたちを可愛がる
トランプをやり、一緒にカルタをし、あなたは ひ孫さんたちと 戯れる
良き時間であるあどけないひ孫さんの笑顔に、
あなたは どんなにも 癒やされていたのでしょう
変わらない
幾歳月(いくとせ)が巡っても、あなたの笑顔は優しくて あたたかい
鉄治さんとのお散歩は お手々つないで、である
照れくさくはない
互いに 大切に想うから、
あなたも鉄治さんも 恥ずかしがったりはしない
枝葉に 花は 咲いてゆく
あなたと鉄治さんの 夫婦の枝、 あなたと皆の 家族の枝
その枝からは いつの日も、愛情という花が 芽吹いていた
ならば 今日、あなたが 一番に願うこと
それは きっと 夫の鉄治さんが元気で暮らせること、
ここに集 (つど)う みんなに 笑顔が戻ることなんですよね
そう思う
心配し、励ましているあなたの笑顔を、今皆が 感じることができるのです
だから 一枝さん、
私たちは たとえ涙が止まらなくても、しっかりと微笑んで 伝えたいのです
そう、この空の彼方、いつまでも見守ってくれる あなたに、
ありがとう、と
あなたに逢えて、ほんとうに よかった、 と……
想いで

葬儀の時のメッセージ

佐野雅基さんが2021年7月31日に投稿
名は「一枝」、一つの枝、と書いて そう読む
だけど「一つの枝」じゃない
あなたは いつの日も、夫の鉄治さんと寄り添い合っていた
だから ふたりで ひとつ ふたりで 一本の枝となり、
あなたと鉄治さんは その枝葉に優しさの花を実らせてきた
それは これからも 同じ 生と死の宿命は ふたりを分かたず、
あなたと鉄治さんは いつまでも こころを 一つにしていく
そして あなたは願う
鉄治さんが 元気で過ごせるように、きっと あなたは 空の彼方から 願うんですよね
そう、おだやかな眼差しのまま、あの あたたかい笑顔のままに…
石屋の女房、である
昔は 鉄治さんを手伝い、重い石材 持つこともあったのでしょう
でも弱音なんか吐かない 時に 指先がひび割れても、
あなたは 笑顔を絶やさずに 頑張る 頑張りやさん、だった
おとなしい性格の その中に、あなたの「心の芯」は けして揺るがない
秋が過ぎ、冬になるなら、部屋の明かりの下、子供たちのために編み物をする
マフラーや セーター ポカポカだった
あなたの編んだマフラーを首に巻き、子供たちは 冬の木枯らしも ヘっちゃらだった
あなたが編んだセーターを着れば、手編みは あたたかい
遠い昭和の あなたのセーターは、今も 子供たちを あたためている
時は流れる 子供たちは 大人になり、
あなたは お孫さんたちの 「おばあちゃん」になる
可愛くてたまらない ハイハイからアンヨができたとき、
カタコトで「ばあば、ばあば」と呼ばれたとき
あるいは 新一年生、ピカピカのランドセルを背負う お孫さんを、
あなたは いっぱいの笑顔で 見つめたのでしょう
そして お孫さんたちにも、あなたは ポカポカのセーターを編む
そして 喜ぶ お孫さんに 「おばあちゃん、ありがとう」と言われるなら、
あなたの眼差しは 木洩れ日のように優しく揺れる
愛おしい
あなたの胸には いつだって、家族への 愛しさが 溢れていた
お嫁さんたちとも 心を通わせる 実の子も 同じである
おなかを痛めて産んだ 我が子のように、
あなたは お嫁さんたち、娘さんのご主人のことを 大事にする
そして そんな あなたを、お嫁さんたち、
娘さんのご主人は 実の母親のように慕う
渡し 渡されるリレーのバトンのように、想い合う「こころ」は 互いの胸に 渡される
生け花が 趣味、
いい出来栄えに 活けられたとき、
きっと あなたは お嫁さんの裕子さんに言ったのでしょう
「裕子さん、完成したよ、 今回はどうかしら」と
そして「椅麗だねえ」と 言われるなら、
あなたは 嬉しそうに 表情を ほころばせる
書道の腕も 確かなもの
墓石に彫る もとの字を、昔は あなたが 書いていた
そして 墓石の書を したためるとき、亡くなった方へ 想いを馳せていたのでしょう
それは 商売、だからじゃない
同じ人間として、同じように 精一杯に生きる人として、あなたは 誠実さを失くさない
真っ直ぐな生き方の「石屋の女房」だった
きれいな心のまま、
あなたは 人生を歩む
ひ孫さんたちを可愛がる
トランプをやり、一緒にカルタをし、あなたは ひ孫さんたちと 戯れる
良き時間であるあどけないひ孫さんの笑顔に、
あなたは どんなにも 癒やされていたのでしょう
変わらない
幾歳月(いくとせ)が巡っても、あなたの笑顔は優しくて あたたかい
鉄治さんとのお散歩は お手々つないで、である
照れくさくはない
互いに 大切に想うから、
あなたも鉄治さんも 恥ずかしがったりはしない
枝葉に 花は 咲いてゆく
あなたと鉄治さんの 夫婦の枝、 あなたと皆の 家族の枝
その枝からは いつの日も、愛情という花が 芽吹いていた
ならば 今日、あなたが 一番に願うこと
それは きっと 夫の鉄治さんが元気で暮らせること、
ここに集 (つど)う みんなに 笑顔が戻ることなんですよね
そう思う
心配し、励ましているあなたの笑顔を、今皆が 感じることができるのです
だから 一枝さん、
私たちは たとえ涙が止まらなくても、しっかりと微笑んで 伝えたいのです
そう、この空の彼方、いつまでも見守ってくれる あなたに、
ありがとう、と
あなたに逢えて、ほんとうに よかった、 と……