承継

墓地覚王山北山霊苑(マップ)〒464-0042 愛知県名古屋市千種区南ケ丘2丁目57−7
戒名:顕本院殿行徳圓大居士
 ※代々墓石の高さが統一されていて、清々しい。
豊田佐吉記念館:湖西市山口 113-2
トヨタ産業技術記念館: 行き方(マップ)〒451-0051 愛知県名古屋市西区則武新町4丁目1−35

トヨタ産業技術記念館https://www.tcmit.org/research/toyodasakichi/

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日本発明家実業家。豊田式木鉄混製力織機(豊田式汽力織機)、無停止杼換式自動織機(G型自動織機)をはじめとして、生涯で発明特許84件、外国特許13件、実用新案35件の発明をした[1]

豊田紡織(現 トヨタ紡織)、豊田紡織廠、豊田自動織機製作所(現 豊田自動織機)を創業、トヨタグループの創始者である

略歴[編集]豊田佐吉は慶応3年(1867年)に遠江国浜名湖の西にある敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市)で、父・伊吉、母・ゑいの長男として生まれた。豊田家は伊吉が百姓のかたわら大工で生計を立てていた。佐吉を頭に3男1女の子供と両親の6人が豊田家の家族であった[2]

豊田家は裕福ではなかったが、とても貧しいということはなかった。佐吉は幼い頃、寺子屋へ通った。その寺子屋が下等小学校として開設されると、佐吉は4年間通学して卒業した。まだ学校に行けない子供の方が多い時代であった。佐吉の弟たちも小学校に通った。そして、豊田家では一人の子供も奉公に出なかった。当時の山口村の中では、少しは余裕のある家庭であった[3]

佐吉は小学校を卒業した後、父について大工の修業を始めた。だが18歳のころ、「教育も金もない自分は、発明で社会に役立とう」と決心し、手近な手機織機の改良を始めた[4]
  • 1891年(明治24年)5月14日付で、豊田式木製人力織機の特許を得る。
  • 1895年(明治28年)2月14日、糸繰返機の特許を取得
  • 1895年(明治28年)豊田式木鉄混製力織機設計完成(名古屋市東区宝町、豊田商店)。
  • 1895年(明治28年)7代目石川藤八の援助により、愛知県知多郡乙川村(現 半田市乙川高良町)にて力織機の試験運転。
  • 1896年(明治29年)11月15日、豊田式木鉄混製力織機の発明・完成。
  • 1897年(明治30年)2月25日、豊田式木鉄混製力織機の特許出願。
  • 1897年(明治30年)7月9日、同郷の林政吉の長女・浅子と郷里で結婚式を挙げる(再婚)。
  • 1899年(明治32年)12月、三井物産が井桁商会設立、佐吉は技師長。
  • 1901年(明治34年)10月、たて糸送り出し装置を発明。
  • 1902年(明治35年)井桁商会の技師長を辞任。
  • 1902年(明治35年)豊田商会を設立(名古屋市東区武平町)。
  • 1904年(明治37年)11月、管換え式自動織機を発明。
  • 1905年(明治38年)7月、島崎町工場設立。
  • 1906年(明治39年)12月、豊田式織機株式会社(現 豊和工業)が設立される。佐吉は常務取締役。
  • 1925年(大正14年)8月10日、「無停止杼換式自動織機G型」を完成・特許取得[9]
  • 1925年(大正14年)10月、佐吉、帝国発明協会へ蓄電池の発明懸賞金100万円を寄附。
  • 1926年(大正15年)11月、株式会社豊田自動織機製作所を設立。
  • 1926年(大正15年)帝国発明協会から恩賜記念賞を受賞。
  • 1927年昭和2年)11月12日 勳三等瑞宝章を受章。
  • 1985年(昭和60年)4月18日、工業所有権制度100周年を記念し、「日本の偉大なる発明者10人」に選ばれ、政府から特別顕彰される。
叙勲・栄誉[編集]
  • 藍綬褒章を受章(1912年(明治45年)5月18日[56]
  • 大正天皇御駐輩所名古屋離宮に御召出し(1913年(大正2年)11月、陸軍特別大演習)
  • 藍綬褒章(飾版)2度目受賞(1924年(大正13年)2月)
  • 恩賜記念賞を受賞(帝国発明協会)(1926年(大正15年))
  • 昭和天皇に名古屋離宮にて単独拝謁(1927年(昭和2年)11月、大演習)
  • 勲三等瑞宝章を受章(1927年(昭和2年)11月12日)
  • 従五位に叙せられる(1930年(昭和5年)11月4日)
豊田佐吉の名言10選                                (1) 人間のやったことは、人間がまだやれることの100分の1にすぎない。

(2) 男は、四の五のいらぬことを考える必要はない。志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をすればよい。

(3) 発明発見とか創意工夫の世界は、あくまでも広大無辺で、今まで人間の踏み込んだ地域は九牛の一毛(多くの牛の中の1本の毛)にも達していない。その大きな未開の秘庫は「早く扉を開けてくれ」と、中からいつもわれわれに呼びかけている。しかもその扉を開く鍵は、いつも、どこにも、誰の足下にも転がっておるのである。

(4) 世の中の多くの人の為に、またお国の為にと言う考えで一生懸命に働いてゆけば、食う物も着る物も自然とついて来る。

(5) 仕事は人がさがしてくれるものではなく、自分で身付けるべきものだ。職は人が作ってくれるものではなく、自分自身でこしらえるべきものだ。それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは無限にあるといっていい。

(6) 障子を空けてみろ、世界は広いぞ。

(7) 世の中の多くの人の為に、またお国の為にと言う考えで一生懸命に働いてゆけば、食う物も着る物も自然とついて来る。

(8) いくら儲けたいの、いくら儲けねばならんのと、そんな横着な考えでは人間生きてゆけるものではない。

(9) わしは他人よりよけいに創造的知能に恵まれているわけではない。すべて努力の結晶だ。世間は、その努力を買ってくれないで『天才だ』と言って片づけてしまう。私には遺憾千万。

(10) わしの今日あるのは、天の心というものだ。それなら、こちらも社会へ奉仕せにゃいかん道理だ。『誠実』というその字を見ろ。言うことを成せという言葉なんだよ。

            
   豊田佐吉記念館で、佐吉の偉業を知る。 - じゃらん旅行記
          豊田佐吉記念館   静岡県湖西市山口113-2

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     出典:フリー百科事典「ウイキペディア(wikipedia)」、他

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想いで

豊田佐吉の信条

㈱スマートシニアさんが2023年3月17日に投稿
「いくら儲けたいの、いくら儲けねばならんのと、そんな横着な考えでは人間生きてゆけるものではない」

「大丈夫だ。世の中の多くの人の為に、またお国の為にと言う考えで一生懸命に働いてゆけば、食う物も着る物も自然とついて来る。御膳様がいつもそうおっしゃっている」