承継
享年42歳 、誕生日 1902年7月12日、命日 1945年3月22日

この追悼サイトは、三神吾郎さまのために作成されました。

  • 日本人初のプロ野球選手かつ日本人最初の大リーガー。日本にまだプロ野球が存在していない時代に 1914年から 1916年まで米の「オール・ネイションズ」でプレー。守備位置は外野手、遊撃手、投手、一塁手。
  • 三神は、日本のマスコミなどはおろか家族に対しても自分がオール・ネイションズでプレーしていたことを話しておらず、そのため、野球研究家からも、長くの間早稲田野球部の一OBというだけだと思われていた。一方、オール・ネイションズに「ジャップ・ミカド」というニックネームの日本人選手が居たことはアメリカの野球研究家の間では早くに判明していたが、その正体については明していなかった。
About All Nations (オールネーションズについて) | We are (B)all One!! ~ボール1つから繋がる奇跡を信じて~

  • 墓地: 青山霊園 東京都港区南青山2丁目32–2


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軌跡

生い立ちー大リーグへ

  • 1889年に山梨県甲府に生まれる。父は甲府電灯会社を創業。 11人兄弟の五男。
  • 1908年、19歳で早稲田大学に進学し、 野球部に入部。 外野手としてレギュラーになる。 1910年(21歳)、野球部がアメリカ運行をした際のメンバーにも選出された。
  • 1913年、24歳のときにイリノイ州の私立大学ノックス大学へ留学。 当時は白人しか入学を認めない学校が多かったが、同校はアメリカ中西部を代表するリベラル校で、 黒人と女性に最初に門戸を開いた大学のひとつ。 三神は野球部に入部し、 主に遊撃手、時に投手を 務め、「この日本人選手こそは、わが大学チームの命であって、彼が走塁を始めたら、もう誰もアウトにすることができない」と校史に記 録されたほどの走塁を見せ、チームの中心選手となり、2年後にはキャプテンも務めた。
  • 1914年(25歳) 夏休みに有色人種(当時の大リーグでは有色人種は入団できなかった)を含めて編成される独立巡業プロチーム 「オール・ネイションズ」(後のカンザスシティ・モナークス〉に参加。 1916年(27歳) イリノイ大学に進学し経済学を専攻、 その後、三井物産に就職し野球から離れた。
報告

大リーグでのニックネームを嫌う

墓マイラー趣味クラブさんが2023年7月19日に投稿
  •  三神は家族に対しても自分がオール・ネイションズでプレーしていたことを話しておらず、野球研究家からも長い間、ただの早稲田野球 部OB と思われていた。
  • 1994年になって研究者によって三神がオール・ネイションズでプレーしていたことが判明した。 三神が口を閉ざしていたのは、チームに所属していた東洋人は代々 「ジャップ・ミカド」とニックネームで呼ばれており、三神はこの名前を拒否していた可能性が高いという。 
  • いずれにせよ、日本でプロ野球が始まるのは1920年、プロ野球リーグの公式戦は1936年からであり、1914年の段階で米国の独 プロ野球チーム所属したことは特筆されるべき。