この追悼サイトは、 鈴木 美智子(関西女性パーソナリティーの草分け)さまのために作成されました。
享年83歳 、誕生日 1941年8月28日、命日 2025年5月12日
※ 鈴木さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
鈴木 美智子(すずき みちこ、1941年8月28日 - 2025年5月12日)は、近畿を中心に活動するタレント、フリーアナウンサー、パーソナリティ、エッセイスト、朗読家、ガラスアーチスト。アナ・トーク学院学院長。未婚。A型。身長156cm。体重57kg(2014年8月時点)。大阪市在住。
帝塚山学院中学校でコーラス部と演劇部に入っていた。宝塚ファンで、「宝塚ファンコンテスト」(毎日放送ラジオ)に出演して、黄金賞ばかりとって黄金賞大会で宝塚劇場に出た。 神代錦など現役のタカラジェンヌとドラマをやったり、歌も歌ったりした。
松竹座の上にあった演劇研究所に通う。劇団「笑いの王国」(花登筺が立ち上げ、大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁らが参加)に出演。「頓馬天狗」や「番頭はんと丁稚どん」に娘役で出演。花登から「お金になる声をしてる」と言われる。
1963年11月23日、関西初のラジオ京都の高島屋サテライトスタジオで、アナウンサー、ディレクター、ミキサーと三役を一人でこなす世界初の職種ラジオスチュワーデスとして、マイクキャリアをスタート[1]。第一声はケネディの暗殺を伝えた[1]。四条烏丸の三和銀行の会議室で行われたオーディションには、当時の社長が紺色が好きであることをきき、紺の横縞の半袖のセーターに紺のセーターを着て紺のタイトスカートをはいて受け、約1200人の中から選ばれる。その服は今でも、虫に食われないようにして、大事に保管している。人事部長と東京の雷門のサテスタ、銀座のサテスタで研修を受ける。フリーになった後は、他の放送局でサテライトスタジオができる時、呼ばれて稼ぎに行った。放送局のスト破りにも技術をしに行った。MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」の相手役を20年間担当した(浜村淳からは「美智子ねえさん」と言われていた)のをはじめ、多くのテレビ、ラジオ番組のレギュラーを務める。
晩年までは講演、司会のほか、都々逸を交えての放談、落語(高座名・鈴々亭ちりん)、朗読ミュージカルなどの新境地を開いていた。また、吉本興業系列の吉本音楽出版が行っている「アナ・トーク学院」の学院長を務め、アナウンサー・タレントの後進の指導や、関西各地のよみうり文化センターで朗読ライブ講座の講師を務めている。
ABC所属のアナウンサー高橋大作(2018年現在は報道記者、朝日新聞大阪本社社会部記者[2][3])はアナ・トーク学院の第一期生である。小篠綾子は鈴木の朗読教室に92歳まで来ていた。元OSKのトップスター桜花昇ぼるもレッスンを受けている。
2006年、繁昌亭盛り上げに本塗りの真っ赤な人力車を寄贈[4]。人力車は静岡県伊東市の工房で製作。人力車に名前は書いていないが、鈴を付けている。2005年秋、落語会終了後の宴席で、上方落語協会会長の桂三枝(当時)が「繁昌亭」盛り上げの趣向に、赤い人力車の復活を考えていると話すのを聞く。父親を99歳で亡くしたばかりの鈴木は、父親の遺産で赤い人力車を贈れば、世の中のためにと働いていた父親の思いも活かせると考えて寄付。父親の遺産でプレゼントしたから、父親だと思って会いに行っている。「いつも内緒で 落ち合う場所は 人力車前 繁昌亭」と詠んでいる。
鈴木美智子、小山乃里子、浅川美智子はラジオ界を「さんばばトリオ」といって牛耳っていた時代があった。
1年で3回手術を経験。フリーでずっとやってきたが、病気をしてスケジュールの調整で吉本に入る。
赤井英和と小学校(大阪市立金塚小学校)が一緒で、赤井の母親と兄は鈴木の家に天神祭の時よく花火を見に来ている。
謡は福王和幸に師事。都々逸は、柳家三亀松、江利チエミ、美空ひばりを聴いて自己流で会得した。 若い頃、日本舞踊花柳流を花柳伊十輔(はなやぎ いそすけ)に師事したが、腕が長いためかポーズが決まらず、あきらめた。藤山直美と師匠が一緒だった。
趣味はシャンソンと名取の資格も持っている都々逸、姓名判断。座右の銘は「目標あればいつも青春」。最後まで独身だった。特技は「お嫁に行くこと」(シャンソン)である。好きな言葉は「満期」。好きな芸能人はアンダルシアの伊藤英明と片岡愛之助。ラッキーカラーはピンク。卵黄アレルギー(白味は食べられる)。
2025年5月12日、老衰のため死去[5]。85歳没。生涯独身だった。
享年83歳 、誕生日 1941年8月28日、命日 2025年5月12日
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鈴木 美智子(すずき みちこ、1941年8月28日 - 2025年5月12日)は、近畿を中心に活動するタレント、フリーアナウンサー、パーソナリティ、エッセイスト、朗読家、ガラスアーチスト。アナ・トーク学院学院長。未婚。A型。身長156cm。体重57kg(2014年8月時点)。大阪市在住。
経歴・人物[編集]
大阪市阿倍野区生まれ。兄弟は兄2人、弟1人の家庭で可愛がられて育つ。帝塚山学院出身。吉本興業大阪本部所属。いつどこで年齢を聞かれようと「永遠の28歳」と答えている。帝塚山学院中学校でコーラス部と演劇部に入っていた。宝塚ファンで、「宝塚ファンコンテスト」(毎日放送ラジオ)に出演して、黄金賞ばかりとって黄金賞大会で宝塚劇場に出た。 神代錦など現役のタカラジェンヌとドラマをやったり、歌も歌ったりした。
松竹座の上にあった演劇研究所に通う。劇団「笑いの王国」(花登筺が立ち上げ、大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁らが参加)に出演。「頓馬天狗」や「番頭はんと丁稚どん」に娘役で出演。花登から「お金になる声をしてる」と言われる。
1963年11月23日、関西初のラジオ京都の高島屋サテライトスタジオで、アナウンサー、ディレクター、ミキサーと三役を一人でこなす世界初の職種ラジオスチュワーデスとして、マイクキャリアをスタート[1]。第一声はケネディの暗殺を伝えた[1]。四条烏丸の三和銀行の会議室で行われたオーディションには、当時の社長が紺色が好きであることをきき、紺の横縞の半袖のセーターに紺のセーターを着て紺のタイトスカートをはいて受け、約1200人の中から選ばれる。その服は今でも、虫に食われないようにして、大事に保管している。人事部長と東京の雷門のサテスタ、銀座のサテスタで研修を受ける。フリーになった後は、他の放送局でサテライトスタジオができる時、呼ばれて稼ぎに行った。放送局のスト破りにも技術をしに行った。MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」の相手役を20年間担当した(浜村淳からは「美智子ねえさん」と言われていた)のをはじめ、多くのテレビ、ラジオ番組のレギュラーを務める。
晩年までは講演、司会のほか、都々逸を交えての放談、落語(高座名・鈴々亭ちりん)、朗読ミュージカルなどの新境地を開いていた。また、吉本興業系列の吉本音楽出版が行っている「アナ・トーク学院」の学院長を務め、アナウンサー・タレントの後進の指導や、関西各地のよみうり文化センターで朗読ライブ講座の講師を務めている。
ABC所属のアナウンサー高橋大作(2018年現在は報道記者、朝日新聞大阪本社社会部記者[2][3])はアナ・トーク学院の第一期生である。小篠綾子は鈴木の朗読教室に92歳まで来ていた。元OSKのトップスター桜花昇ぼるもレッスンを受けている。
2006年、繁昌亭盛り上げに本塗りの真っ赤な人力車を寄贈[4]。人力車は静岡県伊東市の工房で製作。人力車に名前は書いていないが、鈴を付けている。2005年秋、落語会終了後の宴席で、上方落語協会会長の桂三枝(当時)が「繁昌亭」盛り上げの趣向に、赤い人力車の復活を考えていると話すのを聞く。父親を99歳で亡くしたばかりの鈴木は、父親の遺産で赤い人力車を贈れば、世の中のためにと働いていた父親の思いも活かせると考えて寄付。父親の遺産でプレゼントしたから、父親だと思って会いに行っている。「いつも内緒で 落ち合う場所は 人力車前 繁昌亭」と詠んでいる。
鈴木美智子、小山乃里子、浅川美智子はラジオ界を「さんばばトリオ」といって牛耳っていた時代があった。
1年で3回手術を経験。フリーでずっとやってきたが、病気をしてスケジュールの調整で吉本に入る。
赤井英和と小学校(大阪市立金塚小学校)が一緒で、赤井の母親と兄は鈴木の家に天神祭の時よく花火を見に来ている。
謡は福王和幸に師事。都々逸は、柳家三亀松、江利チエミ、美空ひばりを聴いて自己流で会得した。 若い頃、日本舞踊花柳流を花柳伊十輔(はなやぎ いそすけ)に師事したが、腕が長いためかポーズが決まらず、あきらめた。藤山直美と師匠が一緒だった。
趣味はシャンソンと名取の資格も持っている都々逸、姓名判断。座右の銘は「目標あればいつも青春」。最後まで独身だった。特技は「お嫁に行くこと」(シャンソン)である。好きな言葉は「満期」。好きな芸能人はアンダルシアの伊藤英明と片岡愛之助。ラッキーカラーはピンク。卵黄アレルギー(白味は食べられる)。
2025年5月12日、老衰のため死去[5]。85歳没。生涯独身だった。
出演[編集]
- テレビ
- ラジオ
- スタジオ300(月曜担当、? - 1971年9月、24:00 - 29:00、KBSラジオ)共演:きむらしのぶ、ディレクター:こせん。朝5時までの深夜番組。キャッチフレーズ「ちょこざいな、名を名乗れ。赤銅すずすず鈴木美智子だ」「はげらーまん、きむらしのぶだ」。番組名の300は300分を意味する。
- お早うキンキ、ハイハイ福郎です- (4年、8:00 - 、アシスタント、KBSラジオ)初代森乃福郎。ラジオの看板娘としてやっていた。この番組を聴いてた毎日放送が「朝の放送に」と呼ばれて行った。
- ドリームイン京都(KBSラジオ)
- ミッドナイトハーモニーが新鮮(KBSラジオ)
- 美智子のヨーロッパ一人歩き(KBSラジオ)30歳の時に初めて旅行に行った
- 鈴木美智子のミニミニタイム(KBSラジオ 湯谷家具センター提供)
- 鈴木美智子の素敵だ・きれいだ・乾杯だ(KBSラジオ)
- サテスタ リバイバルウイーク 2011~フィナーレ(2011年11月20日(日)12:00~13:00、ゲスト、京都高島屋1階ゆとりうむサテライトスタジオ 、KBS京都ラジオ)森谷威夫、對馬京子、村上祐子
- 鈴木美智子の脳活ラジオ(木曜 14:00 - 17:00、2012年4月5日 - 2015年3月26日、KBS京都ラジオ)アシスタント:梶原誠
- ラジオ関西のナマナマ大放送(ラジオ関西)
- サテスタおひるのプレゼント(ラジオ関西)
- さんちかサテライトジョッキー(ラジオ関西)
- サテスタサンデープレゼント(ラジオ関西)
- サテスタデイトインサテライト(ラジオ関西)
- ポップ対歌謡曲(ABCラジオ)
- 歌謡大全集(ABCラジオ)
- 米朝・美智子のほろ宵ばなし(ABCラジオ)
- 林と鈴木・今日は土曜日(ABCラジオ、林伸一郎(元ABCアナウンサー)と共演)
- MBSヤングタウン金曜日(MBSラジオ)
- ありがとう浜村淳です(MBSラジオ)
- ふれあい広場決定版(MBSラジオ)明石家さんまと担当した公開録音番組
- ほんまか 電話リクエスト(MBSラジオ)
- 気分はアクティブ!!(MBSラジオ)
- ラジオよしもと むっちゃ元気!(ラジオ大阪)西川のりお、和泉修他
- 春日八郎・演歌ひとすじ(関西放送制作)
- 受賞歴◆平成30年度 第53回大阪市民表彰 受賞◆毎日放送ラジオ「ありがとう浜村淳です」民間放送連盟ワイド番組最優秀賞受賞 実績 「アナ・トーク学院」(現在大阪NSCにて毎週土曜日)事務局:06-6941-8781 アナウンスのプロを育てる吉本興業全面バックアップの鈴木美智子の話術「アナ・トーク学院」の学院長をつとめる。学院からは在阪キー局のアナウンサー6人、歌舞伎のイヤホーンガイド、落語家、アニメーションの声優ほか、多くのタレントを輩出している。
- 注:このサイトは、鈴木美智子に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者
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